fuushin さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
勢いで行こ~!
とても面白かったです。
三つ巴の化学反応で創りだされるシナジー。
全身から湧き出してくる勢いのあるエナジー。
青天井の振る舞いに、いっぱい魅せられました。
クリエイターの心意気。
湯浅監督の遊び心を感じました。
"主人公に力水をつける" 。
冒頭、「設定」をどれだけ愛してきたかを浅草氏が熱弁するシーンがあります。
キャラを前へと進める要素が、設定の妙にあることを主張するなんて、考えてみればすごい気づきだと思います。
アニメーターとしては欠かせない感性の一つなんだろうなあとこちらが気づかされました。
コナンの身体にかかる風速や風圧を朗々と語り、芝浜の街並みを千と千尋の遠望風景にそこはかとなく似させ、ラピュタのフラップターの空戦をあたかもトレースしたようなアクション。
このあたりの設定や演出は、理屈抜き、肌感覚として一気に引き込まれました。
令和の新年に、昭和と平成のレジェンドテイストをさり気なく織り込んでくるあたり、実に心憎いものでした。
宮崎監督の "アニメーション" で育ってきた私の視線は釘づけです。
ハートが高鳴るのも自然な流れでした。
とにもかくにも浅草氏の脳内描写のパフォーマンスを描写する作画演出が素晴らしいと思いました。
常軌を逸する想像力の暴走。
それに乗っかる水崎氏の瞳も眩しい。
画面から彼女たちの疾走感が溢れだす。
このワクワク感。
特盛りのシンパシーです。
私のいち推しは浅草氏でしたが、金森氏の何物にも動じない強心臓や、水崎氏の底なしの一生懸命さは、驚きと羨望の眼差しの対象です。
この2人にシンパシーを感じる方もいらっしゃることでしょうね。
9話以降、特に最終話は、作品の結末としては "?マーク" がつくようなシナリオの閉じ方ではありました。
ディレクターとしての浅草氏のアイデンティティーが「未熟さを持ったままで押し通した勢い」として、現実的な "あるある" で表現されていたように思います。
彼女の精一杯の背伸びと能力の限界越えとが綯い交ぜになって、視聴者からは「破綻してる?」と評価されそうな作品が「できあがって」しまいました。
でも、私は、湯浅監督がそのように「表現したかった」のではないかと感じます。
本当は、1作目、2作目のクオリティーが思いのほか良かった(むしろ湯浅監督があえて良くした?)ので、私も3作目には期待していました。
でも、柳の下にどじょうがいつもいるなんてことは分からないものです。
何と言っても、浅草氏は監督業駆け出し。
「芝浜UFO大戦」は、湯浅監督が、浅草監督をして映像制作の実態・実相は「そんなに甘くはないよ。」って、「だから次は、もっと上手く取り回したくなるんだよね。」と、劇中劇で示そうとなさったのではないでしょうか。
キャラについて少し。
浅草みどり氏。
印象的だったのは最終話です。
彼女は、円盤を、なぜ売っているのか分からなくなる。
仲間と一緒に「作品を観よう」と言いながら、先に寝てしまう。
浅草氏には、金森氏、水崎氏には構いもなしに、放心してしまうほどの自己達成感があったんだと思います。
同時に、積み残してきたもの、拾いきれなかったものに、力の至らなさや胸の痛みを感じていたでしょう。
綯い交ぜになった心情のままで夢うつつのゆりかごに身を委ね、心を遊ばせて充電していたのかもしれません。
創ってしまったものは変えられない。
だから、次を創りたくなってしまう。
ディレクターたるクリエイティビティの源泉は、そんなところから湧き出してくるのかもしれません。そんなふうに感じました。
金森氏、水崎氏が、寝入っている浅草氏を理解しようとする姿に、演出の妙を感じました。
ずんと心に沁みました。
彼女たちが見つめる青色の先(OPの画ですね。)を、私も見たいと願っていました。
金森さやか氏。
特に6話が印象的でした。
金森氏が、浅草氏の自信の無さと逃げ口上を "叱咤" するシーンです。
浅草氏が、耳を赤くしながら、金森氏に後講釈をたれる。
金森氏が、白目をむいて、浅草氏に監督としての姿勢を問い正す。
水崎氏が、不敵な笑みを浮かべて二人への期待感をあらわにする。
一つの山場だったような気がします。
1ミリも青臭く見えなくて、それでいて生粋な展開。
「進歩するべし!」のテーマがキラキラしていて、「悔しいなぁ~」とちびっと妬いている私がいました。
水崎ツバメ氏。
この子は、お婆ちゃんが、"お茶を撒く" シーンでキマリ、ですね。
これを再現しようとして、キツネにつままれたような顔つきになったくだり。
→ やり切ったときの満面の笑み。
椅子から立ち上がる挙動のままならさに思考が固まってしまうくだり。
→ ボディメカニクスへの気づき。
お婆ちゃんの笑顔を引きだせた歓びが、アニメーション演技への志向に決定的な動機付けに結びついたくだり。
→ 両親とは違う道を選ぶ確信。
アニメーターの誕生を "感じさせる" 演出でした。
お箸の持ち方、走り方の演技ひとつとっても、彼女の拘りの源泉は、胸の宝箱にしまってある "表現者としての強烈な自我の形成" にあるんだろうと感じました。
両親が語っていた「演技への満足感?・・・ないわねえ。」のくだりが、それを如実に言い表わしていたと思います。
すべての演技を自分のペン先だけで表現するのが彼女のパフォーマンス。
その自負を他人には譲れないからこそ、己が意志で歩かなきゃと発奮するのでしょうね。
あらためて、アニメっていいなあと思います。
懐かしくて、もったいなくて、羨ましい。
アニメーターの皆さん、アニメを愛する皆さん。
"勢いもって行こ~!!"
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆さまに愛されますように。