ostrich さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
2019年10月の夜に。
まずは、少しだけ、昔話をする。私がまだ「若者」に分類される年齢だったころの話だ。
とある機会があり、私は「ガンダム」の生みの親である富野由悠季監督の講演を聞いた。
そのとき、富野監督が何を話したのか、残念ながらほとんど忘れてしまっているのだが、唯一にして、決定的に記憶に残っている言葉がある。
講演の聞き手はみな私と同世代の若者だった。彼らに向かって、富野監督はこう言った。
「私は大人として皆さんに謝りたい。こんな世界にしてしまって申し訳ない」
それを聞いた当時の私は軽い反発を覚えた。
私はこの世界を「こんな」とは思っていないし、仮に「こんな」なのだとしても、私にはそれを引き受けて生きていく以外の選択肢なんてない。それに「こんな世界」にはあなたが作った作品が含まれていて、私はそれらが好きなのだ。だから、謝ったりしないでほしい。
そんなことを思った。
それから20年以上の歳月が流れた今、私は本作のエンドロールが流れる映画館でかつての富野監督の言葉通りの感慨を抱いていた。
不寛容で、不平等で、損得ばかりが支配し、空気を読まないゲリラ豪雨にさらされ、バカみたいに大きな台風が来る、こんな世界。
その成り立ちには私自身も確実に加担していると自覚せざるを得なかった。
私は新海監督と同世代なのだが、その世代の者なら、誰しも記憶の片隅にあるはずだ。世界が「こんな」になるという警告は、私たちが子供のころからずっとあった。だが、特段何もしなかった。
そして、気づけば私は、{netabare}帆高が銃口を向けた大人たちの一人になっていた。{/netabare}
帆高の気持ちは汲みつつも、口をついて出る言葉は「まあ、落ち着け。大人になれよ」。
…まったくお笑い草である。
そうやって、落ち着いて大人になった者たちが、「こんな世界」を作ったというのに。
{netabare}
うん、もう、いい、帆高。
お前は行っていい。
好きな女を助けに行っていい。
ていうか、行け!{/netabare}
そこで涙腺が決壊した。
あとは、ひたすら、帆高と陽菜を見守るような気持ちである。
そして、最後に2人が下す決断も全肯定せざるを得なかった。
別に彼らに感情移入したわけではないし、ロマンスに酔ったわけでもない。
ただ、仕方ねえな、と思ったのだ。
誤解している人たちがそれなりにいるみたいなので、はっきり書いておきたいのだが、{netabare}「こんな世界」にしたのは彼らではない。彼らが生まれた時から、世界は「こんな」で、彼らはそれをいくらか修正できる手段を放棄したに過ぎない。{/netabare}
それを否定する資格は私にはない。いや、すべての大人にはないと私は思う。
もし、彼らを否定できるとしたら、それは、彼らと同じ若者だけだ。
「それでもこの世界が好きだから、私なら違う選択をする」
そういう若者がいたっていい。
ていうか、富野監督の講演を聞いた当時の私なら、そんなことを考えたかもしれない、と思うと苦笑するほかない。
ちなみに富野監督は私の親と同世代である。
世界の有様について、いつの間にか、親と同じことを考えているのは、たぶん全然良いことじゃないよな。
そうだろ、新海監督。
さて、最後に本作そのものではなく、本作を鑑賞した状況についても書いておきたい。
私が本作を鑑賞したのは史上最大級の台風19号が過ぎ去った2019年10月の終わりだった。
幸い私が住む地域に台風の被害はなかったが、同じ自治体のある地域では、停車中の新幹線が水に浸かった。
私が鑑賞した回は、ロングラン上映の最果ての時期だからだろうか、休日であるにもかかわらず、客は私を含め、7人しかいなかった。大人は私1人だけ。残りの6名は、中高生の男女カップル3組だった。
上映前は若干の居心地の悪さを感じないわけでもなかったが、上映後は別の感慨に変わっていた。
私と彼らが住むこの世界は、私から見れば「こんな世界」である。
でも彼らがどう受け止めているのかはわからない。私と同じようなことを感じるているかもしれないし、かつての私のように(そして、実は、帆高と陽菜のように)「こんな」とは思っていないかもしれない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
この世界には「天気の子」という作品がある。
そして、もし、彼らが本作を好きになったなら、いや、本作に限らず、何か好きな作品に出会えたなら、それだけでこの世界には生きる理由があり、世界を肯定する、なんなら、世界をいくらかマシにする足がかりになると私は信じている。それは、富野監督の講演を聞いた20年以上前から今に至るまで、ほぼ唯一、私の中に変わらずある信念だ。
上映後のロビーで照れくさそうに佇んでいるカップルたちに、私は言いたかった。
今は自覚がないかもしれないが、君たちは大丈夫だ。
2019年10月に本作の主人公たちと同じ中高生であったこと。
さらに、カップルで映画館に行き「天気の子」を観たこと。
その体験が、いずれ君たちの何かを支えるはずだ。
もちろん、言えなかった。
でも、言った方が世界をいくらかマシにできるという確信だけはある。
だから、末筆ではあるけれど、ここに記した。