fuushin さんの感想・評価
4.1
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
"最後の1秒" の必然性を探せ!
原作は既読です。
6月30日初版購入です。
何度も読み返しました。
初読から、違和感と物足らなさがありまくりで、「セカイがひっくり返る」なんて帯のキャッチコピーも、いい加減大仰に書きすぎじゃないの?と思っていました。
ルビの振り方がビミョーに違えて演出されているとか、名前を呼ぶときの呼称が誰のことを指しているとか、カラスの鳴き声が意図的に人語に変わった理由とか、手袋から金属を何度も作りだすことの真意とか・・。
なんとなく、「これ、伏線だったの?」とあとで気がつくような表現やヒントがあったのはぼんやりと感じられていたんです。
ですが、なによりもエピローグの2ページのエピソードが、"その場所" であらねばならない理由や背景は、どれだけ読み込んでもわからない。
だって書かれてないんだもの。どこにも。
だから、何度読み込んでも絶対に分からない。
ほんの1秒もその場所がどこか想像できない。
原作を読むだけでは、"大" どんでん返しが起こらないのです。
ジツは、本作を視聴したあとも、私はモヤモヤしていました。
最後の1秒の演出は、アニメならではの映像表現としては理解できます。
でも、だとしても、「デウス・エクス・マキナじゃないの?」って思ったんです。
だって、どうひっくり返したって {netabare} "夢落ち" なの{/netabare} ですから。
でも、夢落ちじゃないその「伏線と必然性」が、"必ずあるはず" です。
それはどこに、どんなふうに仕掛けられているのか。
それを探し出すのに、わたしは32時間もかかりました。
原作では見つけられなかったその伏線を、本作のさまざまなシーンのなかに見つけました。
特に、原作で記されていた、一行さんがナオミに施していた『器と中身の同調が必要だった』その演出シーンに描かれていた "意図と意味" の伏線です。
なぜ、舞台設定が京都なのか?
なぜ、手袋が右手だったのか?
なぜ、自己啓発本だったのか?
なぜ、ねじりパンだったのか?
なぜ、3本足のカラスだったのか?
なぜ、交わせなかったキスと叶えられたキスが描かれたのか?
そのほかにも、「ああ、これは伏線になっている。」と理解できる演出がいくつも表現されてありました。
『やってやりました。』
制作陣スタッフのそんな声が聞こえてきそうです。
私も言ってやる。
正真正銘、『デウス・エクス・マキナじゃなかったね』って。
なぜ、ナオミが目覚めた場所が、 {netabare} 地球ではなく "月" {/netabare}だったのか。
どうして、一行さんではなく、ナオミが昏睡していたのか。
裏返せば、どうして一行さんは、ナオミを諦めなかったのか。
その伏線が、理由が、背景が、どこのシーンに、どんな意味で描かれていたのか。
そこが分かると、とんでもなく面白い。
SFだけじゃない作品。そう思いました。
最後にひとつ。
"一行瑠璃" という名前について。
本作のヒロインは、一行瑠璃(いちぎょう るり)という少女なのですが、瑠璃というその意味が少し興味深いです。
諺もあります。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
この諺をちびっと深読みして、合わせて本作を、"一行さんの視点" でご覧になってみてはいかがでしょう?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆さまに愛されますように。