蒼い✨️ さんの感想・評価
2.9
物語 : 2.0
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
勿体無い。
【概要】
アニメーション制作:A-1 Pictures
2011年1月13日 - 3月31日に放映された全11話のTVアニメ。
監督は山本寛。
【あらすじ】
22世紀に確立された世界を管理する「フラクタルシステム」
ネットワークの庇護を受けて人類が働かなくても、
電子マネーが支給されて生活していける楽園の時代に突入。
人々はリアル空間に存在しながらもインターネットの世界にいるような生活をしていた。
だがシステムの開始から1000年が経ち、システムを維持する機械の故障が相次ぎ、
フラクタルの恩恵を受けられない「圏外」となった難民が続出。
フラクタル無しの生活を知らないがために、受信可能な地域を求めて放浪する事態。
更にはシステムを管理する僧院も修復する技術が失われていた。
そんな時代に、フラクタル開始以前の旧時代の機械が好きなクレイン少年がいた。
とある晴れた日、崖の近くのベンチにクレイン少年が腰掛けていると、
小型飛行船に追いかけられていて、メーヴェに似た機械で飛んで逃げている少女を目撃。
少女の名前はフリュネ。フリュネを追いかけているのは、
フラクタルシステムに反対している「ロストミレニアム」の「グラニッツ一家」であり、
フリュネは、崩壊しつつあるシステム再起動の鍵となる存在であった。
【感想】
これが売れなかったら引退すると監督が宣言するも、
1frt=883枚として中国でも有名な単位の由来となったオリジナルアニメ作品。
ちなみに舌の根も乾かぬうちに監督は引退撤回。
ジブリアニメとアメリカのSF映画をミックスしたような内容で、
管理社会への反抗と監督の性癖をトッピングして出来た感じ。
何故ジブリっぽいかと言うと、監督の意向が強く、
田代雅子(キャラクターデザイン)への指示が二言目にはジブリジブリ。
1話目しかでてこないメーヴェもどきと追いかけてくる3人組の空中戦をみても、
パクりすぎてワクワクの欠片もない。
『魔法少女まどかマギカ』みたいにオリジナリティを持った作品性で勝負するのではなくて、
複数の有名アニメ作品からのコピーをパッチワークにして、
自分らの趣味や性癖を盛り込めば大ヒット間違いなし!と考えたものの、
やはりバッタモンはバッタモンでコピーブランドを見るぐらいなら、
コピー元のジブリ作品を見れば良くね?となるのが当然だと、
『天空の城ラピュタ』のドーラ一家と『ふしぎの海のナディア』のグランディス一味を、
混ぜてやたら人数を増やした「グラニッツ一家」を見ながら思う次第。
パクリはさておいても、このアニメ観てるとなんだか疲れる。
何度も突然脱ぎだしたり行動が予測不能なヒロイン。
更には1話目ラストで登場するネッサは、誰のオーダーか知らないですが、
ア●レちゃんの丸パクリみたいな演技で台詞を聞いてると頭痛くなってくる。
何故頭が痛くなってくるか?というと、
人と人のコミュニケーションとして会話がキャッチボールになってない。
相手が何を思ってるか感じて考えて言葉を紡いでいるのではなくて、
ほとんど脊髄反射で気分だけで台詞を発してるだけのような。
それはネッサだけでなく全体的にちぐはぐな会話が繰り返される。
フリュネもグラニッツ一家の連中もただ言いたいことを言うだけ。
感情であれ理屈であれ、普通は当人なりの行動原理があるものだけど、
このアニメの場合は裏付けのない行動が多すぎ、
仮に裏付けが設定にあるにしても描写不足のせいか突拍子も無い印象を受けてしまう。
特にヒロインのフリュネが酷くシナリオの都合であっち行ったりこっち来たり、
行動の一貫性の無さが本当に『あんた何がやりたいの?』
それも中盤になると、不満がないわけではないのだが、
それなりに落ち着いてストーリーが観られるようになる。
持ち直したところで、
フラクタルシステムの解説不足&致命的な問題点が描かれてない時点で、
ストーリーの根本的な問題が解消されないままですが。
社会的なインフラや食糧事情に致命的な破綻が起きていない状況で、
『人間をあるべき姿に戻す。』のイデオロギーでテロリズムを肯定して、
治安を乱す&システム崩壊後の人類の行く末にはノープラン。
反フラクタルシステムの活動にしても具体的で説得力のある描写は出来なかったのか?
アニメの中ではフラクタルシステムの描かれ方自体がぼんやりしているので、
対立軸の描き方も観念的にならざるを得ないのですが。
もうちょっと、そのへんの設定を煮詰めて描写が出来なかった点でイマイチかと。
東浩紀によるストーリー案は別物だったらしいですが、今となっては確かめる術無し。
終盤になると更に台無し。
・これまで理知的なイメージだったのに突然ヒスを起こすキャラ。
・これまでに予兆も伏線もなく突然にかっこつけて雑に死ぬキャラたち。
・悪の元凶っぽいキャラがあっさり死にすぎてカタルシスが無い。
・フラクタルシステムの説明不足なのか鍵になる条件がニッチ過ぎて意味不明。
・敵役のおじさんがヒロインを分娩台に乗せて●●検査をやろうとしたのに、
後付でおじさんに汚されていたという設定追加。一体何を確かめたかったの?
・基本的にその場にいるだけで最後まで具体的な成長も活躍もしない主人公のクレイン。
・ラストシーンあたり綺麗に演出をしたのだけど、『マクロスF』からのパクリ要素が含まれていたり、
そこに登場した過去の映像にはストーリー的にはメッセージ性が弱すぎる。
・ラピュタにはカタルシスがあったのに、
こちらではカタルシス皆無なもっさりした展開に終止する最終回。
キャラの肉付けが薄っぺらいままに結果ありきでホイホイ動かしたり、
それっぽい台詞を喋らせているだけなので、多くのキャラがブレブレであり、
そこに感動の生まれようがない。
一応はボーイミーツガールものなのではあるが、クレインとフリュネがお互いに惹かれ合う描写も、
恐ろしく雑で、それこそ吊り橋効果を疑ってしまう程である。
シリーズ構成の岡田麿里は数々の恋愛アニメを手掛けたプロの脚本家であり、
普段ならやらないであろう初歩的な矛盾や継ぎ接ぎだらけな展開のうえに、
いつもと比べて、らしくない雑な心理描写じゃないか?と思っていたら、
例にもれず監督とスタッフの間でゴタゴタがあったようですね。
東浩紀(ストーリー原案) = シナリオで監督と衝突して降板。
岡田麿里(シリーズ構成) = 脚本を勝手に変えられて自分の名前をクレジットされては困るとの弁。
田代雅子(キャラクターデザイン・総作画監督)
= 打ち合わせして決めた重要な伏線になるはずだったはずのヒロインの髪の色を勝手に変えられる。
監督の横槍で岡田麿里の最終回を握りつぶされて現行の最終回になったように、
例によってスタッフが振り回されて、壮絶にコケたみたい。
途中で面白いと思える話が何回かあっただけに終盤の展開でキャラを雑に処分しすぎて、
そこがイマイチな作品に思える要因。
イラストレーターでキャラクター原案を担当している左によるイメージボードだと、
柔らかいタッチでアニメで見てるよりずっと面白そう。
作品素材としては面白くなる余地があったものの、
監督とスタッフの間で相当揉めて失敗した作品。
村田和也監督あたりで元のプランでリメイクしたら良いのでは?
と、ちょっと勿体無いなと思いました。
これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。