キャポックちゃん さんの感想・評価
4.3
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
映像と音楽の豪華な饗宴
【総合評価☆☆☆☆】
始まってすぐ、チューズデイの家出シーンで、「ああ、上手いなあ」と思わず声が出た。昨今の手抜きアニメと異なり、作画がしっかりしている。窓から抜け出し勇んで歩き始めたものの、ギターが重くすぐに顎を出し、おまけに電動スーツケースが電池切れになってお尻で押す羽目に。そうした仕草の一つ一つに、少女らしいフワフワ感が滲み出る。誤って貨物車両に乗り込んでしまい、そのままヤギと一緒に旅を続けるところなど、世間ずれしておらず夢見がちな彼女の性格を浮き彫りにする。余計な説明はいらない。画がすべてを物語ってくれるのだ。
『キャロル&チューズデイ』は、こうした質の高い作画を通じて、音楽がもたらす感動を人々に分け与える作品である。映像と音楽の豪華な競演(あるいは饗宴)と言って良い。
映像と音楽がどのように結合されるか、その好例が第3話で見られる。Aパートの終わり近く、コインランドリーでクルクル回る洗濯物を見ながら、キャロルとチューズデイが足踏みと手拍子に乗せて歌い出すと、はじめは怪訝そうにしていた男性客が、いつしかリズムに合わせて体を揺らし手を打ち鳴らし始める。何と言うこともないシーンに思えるかもしれないが、私は、「人はなぜ音楽をするのか」という根源的な問いへの一つの解答だと感じて、涙が出るほど感動した。
このアニメが持つ力強さは、ハイレベルなパフォーマンスに支えられている。近年はやりのアイドルアニメは、女の子の頑張る姿さえ描けていれば、歌や踊りが少々下手でも許容されるようだが、『キャロル&チューズデイ』は、そんな逃げを打たない。登場するミュージシャンは、いずれも歌唱の技量が高く、歌声は強い訴求力を持つ。純然たるクラシックファンでポップスやロックはほとんど聴かない私でも、劇中で流れる歌には魅了された(ただし、ラップ嫌いは治らず、第20話のラップシーンでは、音を絞って字幕だけ見ていた)。
思うに、人間の声は、それだけである種の感応作用をもたらすのだろう。カレン・カーペンターや宇多田ヒカルの歌声をはじめて聴いたときの、一瞬息が止まるような感覚が思い出される。第16話で伸びやかなキャロルの歌声に誘われるようにフローラがそっと歌い始めるシーンには、作り物ではない説得力があった。数多くの楽曲の中で個人的に最も気に入ったのは、アンジェラの歌う後期ED「Not Afraid」。何かに憑かれたような必死さが感じられる歌唱である。
原作・総監督の渡辺信一郎は、『キャロル&チューズデイ』の企画について、次のように表現した--「音楽をネタとして扱うんじゃなくて、音楽そのものをテーマとした作品を作りたいということ。それは、音楽に対する清冽な思いであり、濁りなき衝動であってほしいということ。それを表現できるのは、きっと大胆で未熟で恐れを知らない17歳の女性たちだろうということ」(『アニメ!アニメ!(animeanime.jp)』ニュース2018.11.7 Wed)。この制作意図は、作品の中に間違いなく実現されている。
渡辺は、現代日本最高のアニメ作家の一人だが、社会の趨勢に敢えて背を向ける反骨精神が旺盛すぎるため、作品を順調に発表できていない(本作も、流行のアイドルアニメに背を向けたものである)。ただし、クリエーターたちからは尊敬されているようで、海外からのオファーを受けて短編アニメを作ることもある。最近では、音楽プロデューサー的な仕事にも情熱を傾け、総監督という肩書きで参加した『スペース☆ダンディ』では、さまざまなミュージシャンに声を掛けて、テレビアニメとは思えないほど豪華な顔ぶれを実現した(ディスクやグッズの売り上げでは惨敗)。『キャロル&チューズデイ』は、さらに本腰を入れて音楽の魅力を追求した作品で、海外ミュージシャンが多数参加し、全曲が英語で歌われる。これほどの作品がどのようにして完成に漕ぎ着けられたのか、裏事情はよくわからないが、企画・製作として、共に渡辺の初期作品『カウボーイビバップ』を担当した実力派プロデューサー、ボンズの南雅彦とフライングドッグの佐々木史朗が名を連ねていることが、鍵だったのではないか。
『キャロル&チューズデイ』で私が最も好きなのが、第5話「Every Breath You Take」における初ライブのシーンである。音楽ライブを見事に描出したアニメ作品には、『NANA』第15話「ブラスト、初ライブ」、『涼宮ハルヒの憂鬱(第1期)』第12話「ライブアライブ」、『覆面系ノイズ』第12話「とどきますように」などがあるが、本作は、感動の深さという点で、これらすべてを凌駕する。ライブハウス(というよりは演奏スペースのあるスナックといった趣の店)で、無名の少女二人が1曲だけ歌を披露。はじめは見向きもしなかった10人足らずの客が、歌声の純粋さに惹かれて少しずつ注意を向け始める。その過程が実にナチュラルに感じられる、衒いのない映像と音楽が感動的だ。
難を言えば、終盤になるにつれてシナリオがやや教条的になり、それとともに映像と音楽の結合が序盤ほど密でなくなったこと。第1話Bパートでは、軋むようなノイズが混じるチューズディのアクースティックギターの音と、キーボードを弾きながら口ずさむキャロルのハミングを、少しずつ組み立てるように聞かせることにより、まさに音楽が誕生する瞬間に立ち会っているという至福の思いを味わわせてくれた。しかし、後半では、完成された楽曲の演奏を収録し、これに合わせるように作画したらしく、映像で語られる物語と随伴する音楽が溶け合っていない。特に、ストーリーの上で重大なポイントとなる第22話ラストでのアンジェラの歌唱シーンが、いかにもパワー不足である。
{netabare} このシーンは、アンジェラが自分の存在価値を懸けて歌うところである。なのに、音が映像に負けている。小手先の歌唱技術で小綺麗にまとめるのではなく、リパッティ最後のリサイタル(このリサイタルがいかなるものだったかは、ググれば多くの情報が得られる)のように、鬼気迫る音を表現してほしかった。楽曲も、視聴者の耳に馴染んだED曲「Not Afraid」を、この場面のために演奏し直して使った方が、感動を増したのではないか。{/netabare}
第5話までなら、テレビアニメとしてここ5年間の最高傑作と言いたいのだが、少し減点せざるを得なかった。