御花畑 さんの感想・評価
2.4
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 4.5
音楽 : 2.5
キャラ : 1.0
状態:観終わった
ほげたら(改変が鬼畜仕様だったとは)
このタイミングでのリメイクを心から喜んだ原作ファンで期待も大きかったのだけれども、観終わった後どうしてこうなったのか?と脱力感が半端無かった。
1クールめはそれでもまだ良かった。
広げた話に収拾を付けたすばらしい見所が用意されているに違いないと、巧くすればかなりの名作になる気がしていた。
ところが、これが見事にあさっての方向に飛んでいってしまい、迷作と化したとしか言い様は無い。
キャラブレや話の整合性の欠落、説明セリフでお茶を濁した諸々、回収無しの設定、そして根本的な問題として作品とキャラクターの扱いの酷さなど、アラが事あるごとに露呈したまさかの展開だった。
高評価の向きもあるようだが、私は到底納得していない。
{netabare}
音を聴く事が出来るようになり、声を取り戻し、これで百鬼丸は周りとのコミュニケーションが増えるのだから、そこから学び人らしくなっていくのだろうと思っていたのだ。
けれども、いつまで経っても喜怒哀楽が薄く、かと思えば激昂するばかりで、こんな人にどうやって感情移入すればいいのかと見ている私は戸惑い、気付けばもはや彼はただ痛い主人公と化していた。
育ての親の寿海に再会してからどろろの存在を気にかける素振りをはっきりと見せるようになったものの、しかし一応この作品はバディものなのだし、ただどろろが付いてきてくれたらいいような描き方では相棒の意味も醍醐味も、突き詰めてどろろの存在意義でさえもがそっちのけであったようにしか見えはしない。
だから23〜最終話とそのラストはツッコミどころ満載で、白々しくも都合良く嘘っぽい仕上げだと感じてしまった。
最後の成長した二人の姿は幻なのでは?と、現実感が異様に乏しく煙に巻かれたような。
一体これで「どろろ」というタイトルを使った意味がどこにあるのか、私にはよくわからない。
作品を見た個々人に想像の領域がある事は当然だけれども、作品は描かれた事が総てだと考えているので、 描かれなかった事への希望的観測による延長線上の想像は私には出来ない。
だから、どろろが百鬼丸を導き救った存在だからこそ二人に明るい未来があるとか、そんな美しい終幕の彼方は残念ながらこのアニメどろろからは読み取れはしないのだ。
それほどに、ーー百鬼丸の精神的発達が未熟すぎた為もあるのだが、ここのどろろと百鬼丸の繋がりはまだ不十分な心理描写しかされておらず、弱かった。
大体、どろろが百鬼丸のお世話係となっているのは双方が痛々しく、お互いが利用しているだけの共依存的関係のようなのだ。
だからどろろは、13話では「おいらがついている」だの薄っぺらく言うし、そのくせ15話では掌を返したように百鬼丸から離反する。
そして最終話では、出会って間もない信頼も何も出来上がっていないような連中に大切な親の遺産を与えてしまう。
あんな共同体の自立なんてあり得ない子供騙しの筋書きなのだが、あの百鬼丸とどろろの関係性ならば仕方が無いかという始末の悪さ。
制作側は不親切な作りだとかと言っていたようだが、これはそういうスタイル以前、ただ必要最低限なものが上手く取り込めなかっただけではないのか?
不必要なセリフや説明セリフを堂々と入れてきている事からしても、話の手綱がしっかりと握られていないのが窺えもする。
「描かなくてもわかるでしょ、伏線ちゃんと置いといた」
いえいえ、「描いて下さい、解りません」なのだ。
寡黙に多くを語らないと何となく凄く意味ありげに見えるのだが、その実は何も設定されていないだけだったような感じで、特に鬼神が最後までただの人食い怪物ばかりで何だったのか遂に解らなかった。
それから、どうやら百鬼丸は人になりきっていないものとして作中では位置づけられていたようなのだけれど(キャッチコピー「鬼か、人か」も示すように)、この設定だけで大変な事故だと思う。
ここがしっかりとフォロー出来ていて落としどころを手厚くし納得させてくれたら良かったのだが、あの通り、あわや鬼神になりかけの、自分の身体を取り戻す事しか頭に無い危うい状態。
そして最終回で身体を全部取り戻したタイミングに、これでやっと人になれると言わんばかり「鬼でなく、人を宿せ」などと言われてしまったのが絶望的に気分が悪かった。
シリーズ通して、人じゃなかったのか、百鬼丸。
哀れ!!
身体も不完全で精神や魂も不完全な仮にも主人公が目を見張るような変化もせずに立ち回っていたとは、制作は「物語を造る」ということを何だと捉えていたのかまったく理解不能としか言えない。
それ故に彼は独り相撲を取るように空回りし続け、最高の相棒となれた筈のどろろとも十二分な意思の疎通も叶わず、自己の欲求と国の繁栄を秤にかけられ追い詰められて、終始孤独だった。
ただ弟の多宝丸と決戦をさせたかっただけのような虚しい構造にも映る。
これらのオチは、原作好きにはたまらなく苦痛でしかなかった。
原作愛のあるスタッフ陣だったらどんなに良かった事だろう。
無論原作通りにとかは毛頭望んではいなかったが、せめて「それでも自分は(鬼神ではなく)人である!」としっかりと自らの言葉で表明出来る主人公達であって欲しかった。
だから、身体総て取り戻した上でまだ人になりきれていないかもしれないからとか、他人の口からの説明のみで百鬼丸を一人旅立たせるとはあの期に及んでどれだけひどい仕打ちをすれば気が済むのだろう?と。
底辺から立ち上がっていく者達の足掻きを圧し潰しながら、上っ面の綺麗事で無理矢理持ち上げようとするセンスには心寒いものしか感じられない。
{/netabare}
良かったところは、キャラクターデザインと声優さんなど、直接話作りにかかわれない方々の熱量だったように思う。
あんなに魅力的なキャラの外観が出来たのに、本当にもったいなかった。
叶うなら、もう一度リメイクしてくれ!