「彼方のアストラ(TVアニメ動画)」

総合得点
89.7
感想・評価
990
棚に入れた
3900
ランキング
73
★★★★☆ 4.0 (990)
物語
4.2
作画
3.9
声優
4.0
音楽
3.8
キャラ
4.0

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

Home is where you make it. (住めば都)

原作は未読です。

良く練られた作品。
最後まで楽しく観られました。

事前の印象は、インターナショナルスクールに集う子どもたちが、異文化交流を深める学校行事的なあるあるを、スペースチックな舞台で描く作品なのかなって感じでした。

ところが、いきなりアリエスが宇宙漂流となる急展開。
その後も、アクション、サスペンス、アドベンチャー、サバイバル、ギャグ、チームワークなどのエッセンスを織りまぜながら、やがて自己覚知へと繋がる矢継ぎ早の展開。
毎週ごと、あの手この手の変化球が繰り出されるので、少しも目が離せませんでした。

彼方のアストラは、明日へのトライを叶えた仲間たちの物語でした。
寄せ集めのチーム、出自もさまざまでありながら、がっちりスクラムを組み、モールでぐいぐい進み、ときには予期もしないタックルをくらい、パントミスやノックオンもありました。
それでも、お互いを信じ、常に前を向き、ノーサイドまでリスペクトし続けあった姿は、清々しささえ感じました。


さて、本作は "SFを謳う作品" ですから、何よりもリアリティは大事。
なので、その世界観を理性で受けとめることが肝要だと思いました。

で、はなから引っかかりました。
うっかりハードルを上げすぎました。

アニメの表現において、キャラをどのように立たせるかという課題があります。
ママありがちなのは、髪や瞳の色味を変えたり、外国風のネームを用いたりする手法。

髪については、〇〇ライダーでは色カツラを付けていますし、歌舞伎の演目にも同じような表現がありますから、その延長線上にある一つの文化性として捉えれば、特段の違和感はありません。

ネームも角を立てることのほどでもないと思います。

問題は、話し言葉。声なのです。

例えば、宇宙戦艦ヤマトは、沖田艦長以下、隊員はオールジャパンでしたから、日本語の会話に違和感を感じることはありませんでした。
アナライザーもきっと日本語仕様だったのでしょう。
でも、スターシャやデスラー総統が日本語を話すのには、子どもごころにも、どうしても馴染めなかった記憶があります。

アニメの場合、キャラ造形と声優は、間接的で不即不離な関係です。
声優はあくまでも "裏方さん" です。
キャラ造形が外国人、あるいはそれに似せた風貌であっても、それは作品の上でのこと。設定です。

でも、声優は日本語を喋らなければなりません。
聞き取りやすく、情感を込めて美しく表現するのが仕事です。

で、案の定、リアリティーを担保するSF作品において、避けがたい違和感を、その "声" に感じてしまったのです。

実写版でしたら、キャラと俳優とは表裏一体の関係。
そこにはダイレクトな同一性が担保されるわけです。
演者の声=キャラの声ですから、リアリティにおいて齟齬は発生しません。

外国人俳優が日本語をしゃべったり、その逆であっても、イントネーションのたどたどしさとか、滑舌の悪さとかはリアリティの一つとして理解できます。
また、エイリアンが未知の宇宙語を話すなら、通訳的なガジェットがそれを補えば良いわけで、SF的演出の一つと言えるでしょう。

例えば、「超時空要塞マクロス 愛、おぼえていますか」では、宇宙人の会話を字幕で表現するというユニークな手法がとられていました。

いささか厳しい注文だとは思うのですが、アニメ作品に対して、SF的演出をストレートに追求するなら、まずはこの声の問題、つまり、間接的表現のハードルをどのように越えるのか、その対応が制作陣には求められます。

そこで、私は・・・自分から騙されればいいか~と思いました。
SFとして捉えるのではなく、ファンタジー枠なら、キトリーが日本語を喋っても何ら問題はありません。

でも、本作は "本格SF" と謳っています。
そう簡単に騙すことはできないのです。

本作は、初対面の子どもたちが、いきなり共通言語(しかも地球的にはマイナーな日本語!)で会話する演出です。
カナタはともかく、なぜシャルスが日本語を流暢に喋れるのか。なぜフニのパペットの関西弁ギャグさえ、皆に通じるのか。
そんな疑問が11話までくすぶり続けたのです。

私は、(ええ、仕方なく。) 翻訳こんにゃくを発注しました。
しかも、関西弁対応バージョンです。

これでファンタジー路線との切り離しは成功。
矛盾は全て解消です。
ザックだろうがポリ姉だろうが、日本語の会話はバッチリSFバージョンです。

ところが、これとて最終話で、"まんまと" やられてしまいました。
ファンタジー枠とか、翻訳こんにゃくとか関係なく、作者の意図する設定に、気持ちよく翻弄されてしまいました。


まさか、アストラが、最初から、"日本語" を統一言語に採用していたとは・・・。


何はともかく、この着想が凄いです。
旧約聖書のバベルの塔の "逆バージョン" とでも言えばいいでしょうか。

これでSFアニメとしての最大のハードルを、私はクリアすることができました。




次に関心を引いたのは、オリジナルとクローンとの関係性です。

今から40余年前、"ルーツ" というテレビドラマが放映されました。
クンタ・キンテという名前に聞き覚えのある方はかなりのベテランさんですね。
お若い方にもぜひ観ていただきたい作品です。

さて、ルーツとアストラは、4つの点で共通しています。

はじめに、人類の暗黒の歴史の恥部をあからさまにした作品であること。
次に、人権を全否定され、不条理に塗れた生き方を強いられた人間の物語であること。
そして、自らのルーツを知ることを踏まえつつ、未来志向で生き抜く覚悟を描いていること。
最後に、自己の実存性を、声に出して主張し続け、ついに法律によって確定させていること。

これらの要素は、カナタら9人の "クローン" という生い立ちに限らず、ポリ姉を含めた "かつての残された人々" にも共通する「自己覚知における普遍的な価値観さがし」であることに気づきます。

DNA、肌の色、文化性、宗教観など、ヒューマニズムの根幹に関わる要素を、過去の歴史に鑑(かんが)み、顧(かえり)みること。
そして、新しい倫理に照らし合わせ、未来を獲得すること。

これらは、クンタ・キンテら黒人の方々が辿ってきた奴隷の歴史と、カナタらクローンが辿るだろう未来性の懸け橋となる価値観です。

少年誌原作でありながら、かなり重いテーマ性を含んだ作品だと言えましょう。



動物を完コピする技術は、羊のドリーが最初だったでしょうか。
最近では、クローンどころか、ゲノム編集された人間が造りだされています。

社会倫理が追いつかないままに、科学技術だけを先行させた結果、当事者ばかりでなく、多くの方が不幸になった事例は、事欠くことがありません。

本作のキモは、そんなリアルな近・現代の実相を直視し、明日にさえ起こるかも知れない権力犯罪、国家犯罪に対しての注意喚起とアジテーションであり、倫理と法を社会正義の一つの根幹として見せていることです。

本作に語られるメッセージは、平和を希求する道筋が、一部の権力マイノリティによる、嘘で塗り固められ、ブラックボックス化された社会を "良しとはしていません" 。

ましてや、恣意的に作り上げられた嘘の世界に、なおコピーを用いて永遠の命を得ようとした者たち、すなわち、さも "オリジナル" だと正当化する者たちの、無知のあさましさ、傲慢のおぞましさを、明確に断罪していることです。

宇宙の理(ことわり)に対し、人類の知の及ばざる到達は、是正され、淘汰されるのでしょうね。


私は、本作が、次世代の若者、とくに青少年に、これらを明示していることに対して、最大限のリスペクトを払いたいと思います。


彼方のアストラ。
素晴らしい作品でした。

スタッフ・声優・関係者の皆さん、ありがとうございました。


おまけ。
{netabare}

表題の、make it というコトバには、
「うまくいく(やり遂げる・切り抜ける)」
「何とかする(調整する・やりくりする)」
「成功する、出世する」
「時間に間に合う」
「都合がつく、都合をつける」
「回復する」
「目標とする」
といった多くの意味があります。

make it to Astra.なら、「アストラにどうやらこうやらたどり着く」でしょうか。

彼らが、行く先々でへこたれなかったのは、この意味合いを知っていたからかもしれません。

もし彼らから学ぶとすれば、ただ一つの目的のために、国籍や、肌の色、コトバや、文化性などに左右されずに、ひとえに結束し、ひたすらに行動し続けてきたというプロセスの尊さでしょう。

まさに、チームワークの何たるかを知らしめる良作でした。



もう一つ。

彼らの行動原理を抽出してみました。

1、自己覚知。
・自分自身のもつ価値観にきちんと向き合っていたと思います。
(天上天下唯我独尊。生きていることが何よりも尊いのですね。)

2、人間(仲間)への尊厳。
・お互いをかけがえのない存在として認め合い、尊重し、最後まで守り続けていました。
・差別、暴力、排除、偏見などを、権利の侵害として明示していました。
(インクルージョン。非排除。みんな違って、みんないい。)

3、自己実現。
・どんなに困難があっても、判断能力が足らなくても、障がいや病気になっても、夢を実現できる可能性は誰にでもあり、権利を有していることが示されていました。
・持っている可能性を見つけ出し、持てる能力を最大限に引き出すシーンが自然な姿として描かれていました。
(ノーマライゼイション。平等。)

4、成長と発達は、権利そのもの。
・自分の状況をよく自覚することは、成長につながる要求それ自体ということ。
・成長は固定的なものではなく、発達も同一のものではないこと。
・内面性の葛藤や発達を原動力として、外面的な成長を捉えていること。
・単純に個人のレベルにとどまるものではなく、集団や社会とのかかわりの中で、成長と発達が捉えられていたと思います。
(インテグレーション。統合。合理的配慮。)

5、当事者の思いが最優先。
・生みの親の都合や、育ての親の利益よりも、当事者の思いや願い、利益を優先することが重要な柱になっていたと思います。
(寄り添い、傾聴すること。)

6、自己決定。
・どんなに判断能力が不十分であっても、自分自身で考え、選び、決めていく能力と可能性があること。
・当事者が、自分で選び、決定するプロセスを、常に手助けしていました。
・当事者の選択を助けるために、十分な情報を提供し、選択肢を準備していたと思います。
(インフォームドコンセント=説明と合意形成。エンパワメント=援助。)

7、受容。
・当事者の思いをあるがままに見つめ、受け入れるために、先入観や偏見を排して対応していたように思います。
・異なる価値観や感情や考え方があることを素直に認めていたと感じました。
(オーソライズ。)

8、権利の擁護。
・当事者それぞれが、個々の権利の主体であることを理解しあうために、よく話合い、交流し、大切に守りあっていたと感じました。
・お互いに、自分たちの出自や、その有する権利についてよく学ぼうとしていたし、常に高い意識性を保持しようと努力していたと思います。
(アドボカシー。プロテクション。)
{/netabare}


長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作品が、皆さまに愛されますように。

投稿 : 2019/09/25
閲覧 : 271
サンキュー:

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