fuushin さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
京都アニメーション大賞を、唯一受賞した、唯一の劇場版。
原作は既読です。
期間限定の上映作品ですので、取り急ぎ、本レビューで、本作の特長と、原作の特徴について、私見を述べさせていただければと思います。
皆さまの今後の鑑賞に、いささかなりとも参考になれば幸いです。
本作は、原作の「上下巻・外伝」のうち、外伝の2編めにあたり、55ページめから始まる55ページの短編です。
原作、アニメ、それぞれに異なる深い味わいがあり、私はダブルで堪能させていただきました。
まず私は、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が、京都アニメーション大賞を受賞したことのストレングスについて、気づいたことを三つ述べてみたいと思います。
と、その前に、ストレングスというコトバについて少し。
一般的には「強み・勢い」と解されています。
また、「能力を引き出す、特長を伸ばす、開花させる、後押しする」という意味合いも含んでいます。
私がここで使う意味合いは、「活用する」というニュアンスです。
暁氏の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という上質な素材に、京都アニメーションという職能集団の手が加わることによって、彩り、香り、耳あたり、味わい、手応えといった "5感" において、"星五つの最高レベルに引き立てられる" という意味合いを内包している、とでもいえば近しいのかもしれません。
私は、自分にとって心地良い作品に出逢えたときに、感動や感激を深く得ます。
また、ありあまる満足感や未知のエナジーに満たされることを感じます。
文化的な充実、精神的な平穏、身体的な活力、社会的な満足、そして経済的な充足といった多様性において、コンディショニングが整えられ、高められた状態と言ってもいいと思います。
私は、それを、心のなかに灯りがともされた状態と言いおきたいと思います。
また、ウェルネス、あるいは、ウェルビーイングというコトバに表現できるのではないかと感じています。
この関係性、この気持ちのありようが、まず、暁氏とヴァイオレットらの間に、ポリシーとして共有されていること。
そして、京都アニメーションのそれにおいても、相互に成立していること。
加えて、アニメ化するにおいて、視聴者にもそれが十分に及ぶこと。
これらが相みたがうことが、ストレングスが発揮される大前提として欠かせないだろうと思います。
さて、道草はここまでにして、本題に戻ります。
三つのストレングスについてです。
一つは、原作を再構成し、全く違う印象で演出できるセンスの確かさです。
二つには、たった1項の挿絵から膨らませてくる作画のクオリティの高さです。
三つめは、本作品が、外伝としたなかでも、きわめて劇場版に適うということです。
これらのストレングスは、暁佳奈氏と藤田春香監督のコラボレートによって引き出されたところ大であったと感じました。
また、京都アニメーションが、一貫して作り上げてきた企業風土の到達点としても、高い評価が得られるところだと思います。
つぎに、その理由についても、個人的な感想をいくらか述べたいと思います。
私は、観はじめてみて、すぐに、おかしいな?と感じました。
既読感が全く沸き上がってこないといいますか、既視感が少しも思い浮かびあがってこないといいますか、そのような不思議な印象を持ちました。
(響け!ユーフォニアムのそれとは全く違う印象です。)
これにはたいへん驚きました。
既読していたにもかかわらず、全くの新編がアニメ化されたように感じたのです。
そうでありながら、たしかに55ページの骨格は完璧に踏襲しているのです。
この違和感はいったい何なのでしょうか・・・。
実は、外伝の1編めは、皆さんご存知の "シャルロッテとダミアンの公開恋文ストーリー" のお話。
外伝の3編目は、アニメ化されていないベネディクト・ブルーのお話です。
今にして思えば、本作は、このダイナミックにも思える二編に挟まれた "ささやかなエピソード" であり、それゆえに、読後の記憶にちびっと残りにくい "地味めに思えてしまった" 作品だったのです。
その代わりといってはなんですが、あまりに、あまりにも強いインパクトが、たった1枚の挿絵にあったのです。
(ちなみに、この挿絵は本作にも描かれており、ヴァイオレットのそれは想像していた以上でした。これには参りました。いやはや、素晴らしい作画です。)
しかし、意表を突かれたのは別なところにありました。
テイラーです。
テイラーは、原作では、『マリーゴールド色のふわりとした天使の巻き毛、ぷっくりとした頬の柔らかさ。』という一文だけを頼りとする人物です。
テイラーの人となりを示す、暁氏からの便りは、それだけなのです。
もちろん、挿絵も、ありません。
テイラーの表情、仕草、聲、意志は、アニメ化することによって、初めて読者と視聴者に届けられるのです。
私は、いてもたってもいられずに、もう一度、原作をひも解いてみました。
そこで、ようやく気づいたのです。
本作が、アニメ化される理由を。
(テイラーを描くことで、初めて完成する作品だったのです。)
プロローグと、エピローグの表現の違いを。
(然るに、文字数も、一字一句も、全く同じだったのです。)
原作で表現されていた、リフレインの意味を。
(全く同じ文脈でありながら、余韻が全く違っていたのです。)
エイミーがヴァイオレットに託した13文字の意味に。
(テイラーに捧げる、永遠の愛情に溢れる手紙だったのです。)
意表を突かれるとは、このことでしょう。
京都アニメーション大賞を受賞する作品は、必ず映画化されるという仕組み。
すなわち、求められるハードルの高さを、唯一、乗り越えてきた暁氏のポテンシャルの高さに、私は心の底から戦慄を覚えました。
なお意表を突かれたのが、花の演出です。
原作では、エイミーの学び舎は "四百種類以上の薔薇園" という設定でした。
しかも、心憎いことに、このコトバ。
ページめくりの視線移動のせつなに、さりげなく置かれてあるのです。
それが、本作では "白椿" に置き換えられていたのです。
私の記憶には朧げでありながら、しかし、欠かせない舞台設定として、本作のエヴァーガーデンを飾った花。
それは、薔薇ではなく、白椿だったのです。
エヴァーのネイティブの意味は、『ほんの一瞬』。
ガーデンのそれは、『安らぎを感じられる中庭』。
エイミーにも、テイラーにも、そして劇場のお客様にも、ウェルビーイングを提供する。
それが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンその人なのですね。
最後に、白椿の "花ことば" を添えておきましょう。
「完全なる美しさ」
「申し分のない魅力」
「至上の愛らしさ」
ぜひ、劇中の舞踏会で、可憐な二輪の白椿をご覧になってください。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作が、皆さまに愛されますように。