ドリア戦記 さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
原作者について
2019/10/05追記
個人的に神山さんの作品ではこれが一番資質に合っていたのではと思っています。
SACでも本筋のSF展開の他、
随所に浪花節的な人情話や道徳観を入れていた神山さんですが
どうしても師匠である押井さんの影響が強すぎた。
押井さんは社会科学的、人間科学的な考察力に優れた人です。
一方、神山さんはどちらかというと浪花節的な人情話の方が
上手い人のように思えます。
師匠の影響に引きずられて個性を十分に発揮できていないのでは
という思いがありました。
まさにこのお話のような、人情話、個人の道理を描く作品の方が
真価を発揮できるのではと思いましたが
SACのように押井さんが作った緻密に考察された世界観の上に
モノを作る方が楽であり、本作品の後半で神山さんが体調を崩した
という噂を聞くと、
やはり文字の世界を映像化するために
文化人類学、比較文化論、社会人類学、民俗学を
一から学ぶのは想像以上に大変だったのだろうという気もします。
神山さんなら続編を作ることでSAC以上の代表作にできると思うのですが
「鹿の王」もI・G制作ですが神山さんではないようですね。
そこが残念です。チャレンジしてほしかった。
「親離れ」するチャンスだったと思います。
ちなみに神山さんも読んだであろうレヴィ・ストロースは
私のようなバカでも読める分かりやすい文章で書かれていた記憶があります。
レヴィ・ストロースが左右「どっち側の人」かという
ひな壇芸人みたいなポジション・トークには興味がないのが私ですが
そんな人間でも読める本を書いた人です。
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原作者の著作はほぼ読んでいます。
子供の頃、物語が好きだった人は上橋菜穂子さんの作品は好きだと思います。
乱読癖があったので、子供の頃に出版されていたら
間違いなく手を付けていたでしょうね。
上橋菜穂子さん原作の『鹿の王』もアニメ化が決定されたので
原作者について少々書き加えておきます。
アニメの『精霊の守り人』ファンには余り知られていませんが、
本職は文化人類学者で大学でも教えておられる研究者です。
アボリジニの研究でオーストラリアで
フィールドワークをされていたこともあるようです。
要するに、仕事柄、古今東西の様々な「物語」の型を
知り尽くしている人なわけです。
国が成り立つ時、権力が変わる時、どのように歴史が権力者によって改ざんされるか
人が成長し、老いて死に至る時にその節々で人は何を思い、何を求めるのか
民話、神話を元にした人類幾万年のデータベースを活用してストーリーが展開されます
緻密さ厳密さを重視する海外のファンタジー作家に比べ、
構成にそこまで緻密さはない人です。
イメージの豊富さと発想の柔軟さは群を抜きますがどちらかと言えば大雑把。
例えば、未アニメ化の原作最終章のキーマンとしてヒュウゴという人物が出てきます。
大国によって征服された小国の特権階級であった人物が
怒りと絶望に囚われながら征服した敵の国の宰相を目指すストーリーが外伝にあります。
大国に飲まれる小国の政治権力機構をつぶさに描写し、
翻弄される様は現代にも通じ示唆に富んでいます。
「フィンランド化」のような状況を内部から描かせたら上手いですね。
非常に良く出来た話で、これを本編に入れれば物語の深みは増したでしょう。
(※各国の興亡は高坂正堯氏の著作を一部参考にしていると思います)
でも上手く構成できていない。技巧的な問題ですね。
神山さんは上橋菜穂子さんのエンタメ作家としての
この欠点を何とかしようとして、破綻しかけた節があります。
この技巧的な問題を解決したのが別作『狐笛のかなた』です。
これはやや難があったエンタメとしての技巧的な構成が克服された面白い作品です。
しかし、文化人類学者でもありますから、物語の「型」はがっちりしっかりしているのです。
あまり構成破綻が目に入らない。しかも国や文化、人物造型も1つ1つ細部まで作られています。
元々の基礎が違うというか、そこら辺のアニメ原作者とは別格なわけです。
大雑把の原因の1つは、まあこの人の興味の焦点は「人」にあるからだと思います。
どの作品も、人が人に手を差し伸べ助けることで、
運命が変わり、人生が変わっていく姿を描いています。
困窮した人を放っておけない。
端的に言えば主人公クラスはみんなどこか「お人好し」なんです。
しっかり者の武人バルサも突き詰めれば結局はお人好しです。
友情で人生を犠牲にしたバルサの養い親ジグロも武人でありながら情と仁義を優先した男です。
学者ではありますが、元々は「知」より「情」な人の訳です。
この甘さ優しさが、原作最終章の父と子の命を削った相克の結果に出ています。
とは言え、人それぞれという原作者の考え方の反映でもありましょうが。
嫉妬に囚われる陰湿な人間を真に陰湿に描くことができない欠点もあります。
描写に全く迫力がないというか、まあ根が陽性の人なんでしょう。
しかし、ただ情に流れるのではなく、知とバランスを取りながら、
進む人間を描こうとしているわけです。
原作者はいわゆるバランス型の人です。中途半端とも言いますが。
中間の位置にいるからこそ、知に流れ易い資質の人間が自身の情を
巧みにコントロールできず破綻することを知っていますし
必要以上に人が情に操られやすいことを恐れるか、
情を軽視するかどちらかに偏ることを知っています。
また逆もあります。情に流れ易い資質の人間が必要以上に知を重視するか軽視するか
どちらかに偏ることも知っています。
それぞれの特徴を持つ人の「人の道理」を描くことに興味のある原作者です。
社会機構、政治よりは人、それも個々の違いを持った集団や人を描くことに興味がある原作者です。
アニメ『精霊の守り人』はそうした個々を描いた物語の序章を描いた作品です。
とはいえ、やはり基礎が違いますから政治社会の描写もなかなか面白いですよ。
物語が好きな人にはおすすめでしょう。
※原作の続きは「闇の守り人」「神の守り人」が面白かったかな
闇はバルサの過去がわかる作品
神は現代に通じる経済格差と暴力の問題を描いています。
そこで知に溺れる人物が、人民の為という大義を持ち出して
暴力による革命を志そうとした結果何が起こるか、
人を操ろうとする人間のおぞましさと格差の難しさを良く描いています。