ilohasu さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:今観てる
父と子の愛の法を巡る物語
凄く面白い。 ここ最近見たアニメの中で一番好きです。
絵が凄く綺麗だし、楽曲も良い。緻密な世界観も強烈。
でも、僕が一番興味を持ったのは父と子の《愛》です。
ここで言う父は現実のパパの意味だけではありません。父なる神。つまり愛と試練と律法をもたらす象徴的な父→ユダヤキリスト教的な神様をも含みます。
父性社会において超越的な法を司る存在を父性のメタファーで語ります。
ここで思い出したのはフロイトのエディプスコンプレックスと去勢コンプレックス。養育者(母)とベッタリな関係にいる子供が社会の規範(この世界の意味を司る父性)を内面化する契機の神話。
フロイトは父性社会に住む人たちの一般的な精神構造を神経症と呼びました。
その意味で、作者の描くヴィンランドサガはトラウマに苦しむ神経症者のサガ(物語)だと思いました。
僕自信、精神分析の理論を表面的にしか理解してないので、ゴチャゴチャと語る気はないです。ただ、本作の深いリアリティと精神分析的なリアリティは並行だなと思います。
特に強くそう思ったのは『本当の戦士に剣はいらない』というトールズの《愛》の箴言。
フロイトの直感的なメモ書きを、現代思想風に整理した精神分析家ラカンの教えに、僕らの愛には2種類の愛があると言います。
ラカンは無駄にややこしい言い方をするので、僕なりに超約します。
一つはフェチの〈愛〉そしてフュージョンの《愛》
男性は基本的にフェチの愛です。車やバイク、地位、権力を愛する様に異性を愛すと言います。トロフィーワイフとかその典型ですよね。ある意味自己中な愛。
対して女性は先程のフェチの愛も持っていますが、フュージョンの愛も持っていると言います。それは他人と深く繋がる愛。それは時に宗教的な神秘体験であり、自己犠牲的であると言います。
男性は基本的にフェチの愛で女性の様なフュージョンの愛へ向かう事が出来ません。しかし世の中にはフュージョンの愛に向かう例外的な男性がいるとラカンは言います。ラカンが挙げている人に哲学者のキルケゴール。そして福音書のヨハネです。
彼らは私達、男性的なナルシストでフェチな愛を切り捨て、宗教的な深い愛、フュージョンの愛へと至ったと言います。父トールズがトルフィンに語る『本当の戦士に剣はいらない』とは、他人より優位に立つパワーのシンボルである剣は必要ない。つまりフェチな愛は、他人を愛してるようで単に自己愛だと、大切なのは自己犠牲的でありながらな他人と深く繋がる愛。
ラカンはその様な愛に目覚めた男性を、『ファルス的享楽を自ら去勢して他者の享楽に移行した存在』と語りました。ファルスを去勢、つまり剣を棄てるですね。
この父ありて斯にこの子あり、という諺の様に、父から子に受け継がれる”何か”を初期のラカンは《法》と言いました。
本作はトールズからトルフィンへと受け継がれる《愛の法》が物語の中心点と捉えると、凄まじく面白いと思いません?
僕はうぉぉおお!!(((o(*゚▽゚*)o)))って思いました笑
日本社会は制度としては父系社会ですが、本質は母性社会だと言われてます。一神教の文化において、父なる神と私の関係性が利己主義を抑制し個人主義を成り立たせていると言います。しかし日本は母なる自然との関係性で白黒ハッキリさせない中が空な社会。長はボスみたいに指示をするより、聞き役がその座に就きやすく、空気の中で物事が進むと言います。酔いどれ神父の愛の説経は私には日本人的な感性だなーと思いました。
母性と父性の対立の観点を通して本作を視聴するのも一つの楽しみ方だと思います。
要は次のシーズンが凄く楽しみです!!!
アホみたいな感想ですが、最後まで読んで頂きありがとうございます^ ^