退会済のユーザー さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
考察ができない。
この作品をどのように解釈するかが、主人公が最後に発する「大丈夫」というセリフを肯定するべきかどうかに影響すると考えられる。
私は視聴後何時間も「何かについて」考え込んでしまった。何かを考えさせられる映画であったが、まず私は何について考えればいいのかということも含めて考えなければならなかった。そしてネット上の色々な考察を見て「なるほど」と納得しつつも、「自分は」どう考えたらいいのかという問いは消えなかった。
グラスリップは「一見意味不明だがよく考えれば答えが出る」ものだったが、天気の子は「一見意味が分かりそうだが考えれば考えるほど答えが出なくなる」ものだった。そのため、このレビューではすべての項目をデフォルトの「3.0」にしたままとする。つまりは未評価である。
<追記>
しかしここはレビューの場なので、一応現時点での仮の解釈は書いておかなければならない。令和になった前後から日本では平成の頃にはなかった悪いニュースが増えている。そして「今後いよいよ日本はおかしくなっていくのでは」という感覚を私は抱いており、これは他にも同様に感じている人がいて、そのような世間の感覚を天気の子は反映している。これに対して、「自分は自分のやりたいことをやっていくのだから日本がおかしくても大丈夫だ」と主人公が言い放っている。
という作品の解釈を前提にして、私は次のような疑問をもった。
・主人公は「狂った」というよりは「狂わないことを放棄した」のではないか?
元々天候が変わり始めたのは自然の摂理によるものであり、主人公らの意思とは関係なかったはずである。したがって主人公は「意図的」に「社会をおかしくしたかった」わけではない。「結果として」反社会的行為に出てしまったと描かれているのは間違いない。
・ヒロインはどのようなキャラか?
主人公は「自分とヒロインのこと」しか考えていないが、ヒロインは大多数の人間のことも考えているので、主人公よりは「社会的な」人間である。主人公が「もう天気は狂ったままでいい」と言うことで、ヒロインの「社会的責務」は解放されるが、終盤でヒロインは結局自ら「誰かのための幸せ」を願っている。ただしこれが「社会に貢献する行為」と言い切ることは難しい。元々、「母親のため」という純粋な気持ちからヒロインは気象改変能力を手に入れたのだった。ヒロインは主人公よりは「お人好し」であるだけであって、そこに「社会的」な要素は感じられない。
・いったい何が「大丈夫」なのか?
視聴後すぐに感じたことである。いや待てよ。何が大丈夫なのか、と。大丈夫と言える「根拠」がない。しかしおそらく監督には「大丈夫と言える根拠がないからこそ大丈夫と言わなければならないのだ」という思想があるのだろう。