ossan_2014 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 3.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
無自覚のパントマイム
主人公のニックネームが「バカ」で、作中人物が何のためらいもなく「バカ」呼ばわりして平然と日常を過ごしているのがすごい。
何かを巧んだり、背後に何かを隠し持つ「バカ」ではなく、裏も表もひねりも無い、文字通りのバカだ。
女子高生というよりも中学生男子のような作中人物たちの日常は、この「バカ」の純粋性に象徴されているが、主人公のひねりの無いバカさ加減を受け入れられるかが、本作を楽しめるかの分水嶺だろう。
笑いは価値観の落差から生じるものだが、「女子高生らしさ」の全くない女子高生という落差が、ギャグの原動力になっている。
このところ妙に創作物のタイトル付けに違和を感じることが多く、不愉快に思うことも多いのだが、本作の場合、このギャグの構造とタイトルが共鳴して、奇妙な批評性を醸し出しているようだ。
視聴していて笑うたびに露呈される女子高生「らしくなさ」は、視聴者の脳裏に、反射的に「女子高生らしさ」が想起されるからこそ、「らしくなさ」として意識化されて笑いを生み出す。
同様に、『女子高生の無駄づかい』というタイトルを思い浮かべるとき、「女子高生の有益な使いかた」とはどういうモノであるか、いやでも視聴者の意識に去来することになる。
女子高生のどのような「らしさ」が、どのような価値観のもとで、利益を引き出す「有益」な使いかたとして「取引」されているのか。
そもそも「有益な使いかた」で得られる「利益」は、本当に女子高生にとって「利益」なのか。
「利益」を得ているという満足は見せかけで、支配を受け入れる代償を受け取っているだけではないのか。
などなど。
「女子高生らしさ」が欠けていることで笑わせる本作のギャグは、その度に、このような欠けている「モノ」=「らしさ」と「利益」の交換の価値観を逆説的に露わにする。
「らしさ」の欠如した「無駄」づかいは、利益を引き出す「有益」な取引の価値観と、取引材料としての「らしさ」の存在を視聴者に意識させずにはおかない。
ギャグを重ねて「らしさ」の欠如を示せば示すほどに、欠損としての「らしさ」は、視聴者の中の「らしさ」=「利益」の価値観の存在を、露わに突きつけてくる。
欠如を誇示することで、逆に欠けているモノの輪郭を浮かび上がらせてくる様は、あたかも、パントマイム役者が鍛えられた演技で見えない壁や階段を観客にありありと「見せる」、パントマイムのパフォーマンスのようだ。
空虚をなぞるパントマイムで可視化される「有益」の価値観は、当の価値観そのものが空虚であることを暗示しているとも思える。
こうした批評性を自覚的に追及している、かどうかは怪しい。
が、どういう巡り会わせか、本作が『荒ぶる季節の乙女どもよ』と同期に放送されていることは、不思議に暗示的に思える。
「乙女」たちが荒ぶって頭をぶつける「壁」は、おそらく本作のパントマイムが見えない壁として描き出す「価値観」と重なり合うモノなのだろう。