なばてあ さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ノーガードの眼差しを撫でる偽装された屈託
インフレーションが止まらない設定と世界観、テンションはずっとレッドゾーン、それでも最後は風呂敷をたたみきる。作品のグランドデザインが見事すぎる。「アホっぽい」絵面と「厨二っぽい」設定に、観る方の気構えはほとんどノーガードに下がる。それが巧みすぎる戦略。こちらの穿った眼差しを無力化したうえで、こっそりと忍ばされる練りに練った構成と伏線。セル画ちっくでフラットな画面だからといって、けっして作品は幼稚そのものではない。戦略としての「稚拙」、外連味あふれる「屈託」、結果として、子供じみているのに極めてオトナな仕上がりに。
{netabare}『キルラキル』と比べると、こちらのほうが完成度は高いと思う。『キルラキル』の「屈託」は完全に「ネタ味」へと昇華されていて、たたむべき風呂敷もそこかしこに孔が空いている状態。その孔こそが「粋」なのだというひらき直りのダンディズムはもちろんよく分かるけれど、その半歩手前で踏みとどまり、風呂敷に空いた穴もいちおう取り繕うだけのポーズは見せる「屈託」と「ネタ味」の閾で七転八倒するのがこの作品。つまり、モダニスティックに完成度が高いのは『グレンラガン』。ポストモダン的なのが『キルラキル』。 {/netabare}
{netabare}『ダリフラ』と比べると、これはもう歴然。いまとなってみれば、『ダリフラ』が『エヴァ』と『ラガン』のパロディであったことがよく分かるのだけれど、パロディとしてもっとも外してはいけない要点である完成度が、致命的に低かったのが『ダリフラ』。ストーリィや世界観が先行作品に近くても、似ていても、重なっていても、それ自体はまったく瑕疵にならない。オリジナリティ信仰は燃えないゴミだ。・・・でも、パロディにはパロディの良し悪しがある。おなじ風呂敷を使うにしても、リスペクトを払いつつ結び目のカタチを変えて仕上げることはマスト。それが畳めなかったとなると、もはや(以下略 {/netabare}
出崎統への愛が随所で反復される。それが「ネタ」っぽく見えないところがすごすぎる。今石さんのなかで出崎様式が血肉化されているからこそ、モノクロ線画も三回パンもまったく浮かない。それは言葉を換えると、アナクロニックで古色蒼然とした絵作りということになるのだけれど、今石さんの場合はむしろそれはポジティブな評価に結びつけられている。バトルシーンの超絶作画も、結果として、すんなり物語に馴染んでいる。作画のみが突出しているわけでもなく、作画ヲタとしては作画アニメとして持ち上げにくい、そういう幸せなアニメになっていると思う。
衝撃:★★★★
独創:★★★☆
洗練:★★
機微:★★★★
余韻:★★