ossan_2014 さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:途中で断念した
家畜の餌
*微修正
タイトルの文言を過剰に重視する視聴は正統的とは言えないかもしれないが、通販カタログ誌の写真に付ける商品説明のごときタイトル付けをした報いとして、製作者は甘受すべきだろう。
かつて、少年マンガの主人公が「ゲットする」ヒロインは、「トロフィー・ワイフ」ではないのかと批判されることが、しばしばあった。
相思相愛の恋愛関係というよりも、その作品世界で「一番」の主人公に与えられる賞品〈トロフィー〉としてのヒロイン。
数々の勝負やバトルに最終的に勝利した主人公が見せびらかす、戦利記念品〈トロフィー〉に過ぎないのではないか、と。
スポーツハンティングが「スポーツ」であるのは、鹿の「角」や猪の「牙」といった狩猟記念品〈トロフィー〉の大きさを競うというルールブックにのっとった「勝敗」が存在するからだ。
古典的な少年マンガ主人公が「ゲットする」ヒロインが、誰もが羨む「高スペック」な「学園のマドンナ」であったのは、「大きな角」に類比的な「勝利を証明する」トロフィーであるからなのだろう。
少年マンガの主流がバトルからラブコメに移行するにつれ、高スペック「トロフィー」を獲得するカギは、主人公の「個性」へと変化する。
少年集団内でのカースト闘争には役立たない、あからさまにマイナスの「個性」であっても、それが突出したものであれば(並外れたバカとか、救いがたい浮気性ですら)、ヒロインを引き付ける。
言い換えれば、「突出した個性」こそが、恋愛フィールドでの「勝利=ゲット」のキー要素となった。
しかし、いわゆる「草食化」が進行する中、傑出した「トロフィー」を得るために、「突出した」個性を要求されることは、草食系の読者には負担であったのだろうか。
いつしかヒロインを引き付けるカギは、必ずしも突出してはいない主人公の微細な「個性」へと後退し、ヒロインの条件は「高スペック」ではなく、なぜだか主人公の「個性」に選択的に引き付けられるという「属性」となる。
物語というよりも、単純に現実の恋愛事情をなぞっただけにも見えるが、フィクションとして「消費」する読者には、これでも敷居が高かったらしい。
男子の「個性」が女子からの「評価」にさらされるという過程が、よほど苦痛だったのだろうか。
まるで、自分が女子から見下ろされてアラ探しをされるように捉えているのかもしれない。
そうして、ここ最近になって見られるようになったのは、女子に何らかの「欠点」を付加する設定だ。
「ポンコツ」「残念」にはじまり、「処女」「ビッチ」「ギャル」「勉強ができない」などなど。
男子が、嘲笑的に、見下して安心できるように、各種の(男子が信じる)侮蔑的なマイナス属性がヒロインに付加される。
草食男子に安心を与えるようなこうした傾向は、男からみてもあまり愉快なものではないが、本作は、さらに一歩踏み出したように見える。
「可愛ければ」変態「でも」好きになって「くれます」か?
男子が侮蔑的な欠点を嘲笑する仮想の優越感を越え、女子が欠点を告白しながら交際を「懇願」する事態は、「草食」への甘やかしを決定的に超えている。
ここに至って男子は「個性」を問われることすらなく、薄笑いを浮かべて女子に承認を与えるだけでいい。
ラブコメの数々の変遷が草食動物に食べやすい食物を探す遍歴であったとすれば、本作の視聴者は、製作者にとって、給餌員が口当たりよく調理した餌でなければ口にできない「家畜」と想定されているようだ。
「草食系」と言えば、それでも野生動物がイメージされる。
世話を受けるだけの「家畜」は、あるいは野生よりも快適であるのかもしれない。
が、口を開けて自分好みに調理された餌を待つ「家畜」に、今後とも給餌員が餌を調合してくれる保証はない。
その時、「家畜」と家畜用の餌を創っていた給餌員はどこへ行くのだろうか。
草食動物の代表格と言えば、ウサギやシカが思い浮かぶ。
が、ウサギは、繁殖力の代名詞にもなっているように、ほとんど性行為のために生きているような動物だ。
シカもまた、繁殖期には、群れのメスを独占するハーレム王の座を目指して、命がけの闘争を繰り返す。
勝利したハーレム王は、寝食を忘れて種付けに励み、やせ衰えて冬を越せずに衰弱死することもまれではない。
こうしたことを思い浮かべると、「草食系」男子という呼称は何とも奥深いものを感じるのだが、いっけん「草食」視聴者が変化したような「家畜」もまた、給餌員を気取った製作者の思惑通りにおとなしく餌を食み続けるとは限らないかもしれない。
行く末は、どれほど「お客様アンケート」以外の言葉が語られるかで、占われるのだろう。