鰺鱒 さんの感想・評価
3.8
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
「わるいやつ」ってどんなのだっけ。もう思い出せないよ。
[2019/07/05 v1]
[2019/07/06 v2 語句・文章修正]
原作知らず。
全体としては良かった。
一本調子な異世界ファンタジーとは少し違うものを観たいなら、お勧めできます。
声の演技は良かったし、作画も一定以上の品質を維持し続けたと思う。
OPは個人的な好みからは外れるものの、作品の印象に合っていたと思う。
ED曲はとても良かった。特に前半(と、最終回)のED曲は、曲の入りが緊張から解放してくれるような気がした。
肝心の物語としては、ラフタリアは可愛い。他の「異世界もの」のように、始終 Easy Modeのままのっぺりと進むではなく、しっかりと起伏のある物語となっていた上にラフタリアが可愛い。6話~20話あたりの長期にわたる中だるみ感は否めないものの、その中でもラフタリア可愛い。慣れない書き方はするもんじゃないな。
この物語においてラフタリアは盾の勇者の救いであり、支えであり、その世界に盾の勇者が居続ける理由となる存在であった。その人物がとても魅力的に描かれたことは大変良かったと思う(少なくとも僕には)。フィーロ、メルティとハーレム構成員が編入されるが、盾の勇者とラフタリアの関係は別格であることが最終話で示された。この描かれ方は本当によかった。
盾という守備主体の武具を主人公の得物とした点は面白いと思う。いつの間にか最強攻撃兵装と化していたが、バックラーがもの凄いことになってるんだろきっとー、とトボけながら観ていた。この点はもう少し頑張って欲しかったかな、とは思う。勝手な言い分だが、勇者は本当に守るだけ、せいぜいサポートバフ程度に収めてもそれなりの展開ができたのではと思う。
最終話の「フィナーレの入り」は凄く良かった。ED曲のイントロとのかぶせ方もとても良かったと思う。しかし、フィナーレ全体としては不満が残る。余韻がなく、そのうえ僕にとってはとても後味の悪いフィナーレとなってしまった(理由後述)。
物語そのものは目新しいものでは決してないと思う。ファンタジーな存在と能力とがあって、なんやかんやで強い、もしくは強くなると言う点では、他の異世界転生ものと基本は同類だと思う。それでも最後まで楽しめたのは、冒頭に述べた「起伏」のおかげだと思う。
しょせん人間は絶対量ではなく相対量を意識する存在である。つまり、変化を感じ取ることしかできない。服を着てすぐに服の存在を意識しなくなるように、しばらくすると眼鏡の傷が気にならなくなるように、続いている幸せを忘れてしまうように。
最初から最後まで「俺Tueeeee」のままだと、その強さがどれほど高いレベルにあろうとも慣れて行ってしまう。その点、この作品は主人公の境遇、心情、周囲の上下動・起伏があり、それなりに「変化」を見せ続けてくれた。大事なのは、こういうコントラストなのだと思う。それ故、「ストレスフリー」な作品はよほどお話しがうまく練られていないとあっという間に飽きてしまう。
この「起伏」を作るためには何かしらの手段でもって主人公を「下げ」、その後に「上げる」ことになる。「上げ」要因は言うまでもなく、盾の勇者本人の成長・強化であり、周囲の反応であり、なによりラフタリアであった。それぞれ(それなりに)良く描かれていたと思う。
他方、「下げ」要因に関しては二つの不満を感じた。
一つは作者に対する不満であり、もう一つは視聴者としての自分に対する不満である。
作者に対する不満は、本作における「悪役の描き方」のヘタさである。これは先に述べたフィナーレに対する不満にもつながるが、端的には盾を除く三勇者とマイン(ビッチ)・王(クズ)の人物造形のひどさに対する不満となる。悪役・敵役は物語において必須であり、その存在を否定することはしない。が、魅力に欠ける悪役が物語を引っかき回す不快感が観ている側に与える影響を、作者はもう少し考えてみて欲しい。1クールものならまだしも、2クールつかってこれ、と言うのがいただけない。
槍の勇者を筆頭に、三勇者はただのアホウとして描かれ続けた。これでは敵役として役不足。というより、それらアホウと張り合うことで主人公の立ち位置までをも下げてしまっている(主人公も同格ということになる)。彼らが物語の上で機能したのは精々前半まで。悪役の立場から降り勇者として成長していく過程を描く、あるいは、「悪役」としてのより高い正当性を与えることもせず、当初のままの人物造形で作品を終えてしまった。これでは僕の大嫌いなのび太くんと同じ、成長・変化のない馬鹿そのものである。身勝手気ままで役に立たないということなら「波」の闘いに参加させたとしても早々に戦線離脱させるなど、せめて目立たなくするべきだったのではないか。フィナーレでの弓の勇者の言葉は、彼が不変である印象を僕に与えてしまった(他の二人は、何らかの変化が感じられたように思う)。
王族の二人の造形の甘さに対する不満は、ひいては女王の描き方における詰めの甘さに対する不満につながった。特にマインは、その行為の必然性や合理性が最終的に崩壊してしまった。にも関わらず、断頭台から生還して以降の行為・言動をあのように描いたのはいただけない。作者が「悪い人」を描写できない、というより、「イヤな人」しか知らないということなのではないかと勘ぐってしまう。マイン・クズともにフィナーレに登場し「以前と同様」であることを強烈に印象づけてしまった。
しかし、フィナーレにおける最大の不満、後味の悪さは女王が見せた表情に他ならない。自らの命を引き替えにしてまで守ろうとし、改心を願った(←実はこれが微妙なのだが)ものが、何も変わらずあり続ける姿を見て「やれやれしょうがないわね」という顔をできるものだろうか。もしや「さすがはマインの母親」ということなのだろうか。いかにも詰めが甘い(ま、実際あの場面でクズが何してたのかは分からないんだけどね)。
本作における、これら「胸糞」要員は実際に出来が悪いと思う。しかしその一方で、この程度で「胸糞悪い」ことになっている自分にも驚いてしまった。昔の映画やアニメなら「The 理不尽」然としたキャラクターがもっとたくさん居たではないか。多分 {netabare}。。。(いや、実は。。「救いのないダメな奴」を思い起こそうとしてみたのですが、これが出てこないんですよね。のび太・スネ夫・ジャイアンとドラえもん以外に。中学生になって以降、二十歳過ぎまであんまりテレビ観なかったのもあるんですけど・・・) {/netabare}。これが「自分に対する不満」。
どうやら僕は、イヤな奴・悪い奴が出てこない、平和でハッピーな起伏のない物語に飼い慣らされていたようだ。