四文字屋 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
百鬼羅刹
タイトルの元は「悪鬼羅刹」より準用。
悪鬼羅刹とは、人を騙し、人を喰らう怖ろしい魔物。
悪鬼を百鬼に換えたのは、単に百鬼丸の名に掛けたこともあるが、
羅刹と呼ばるるべき悪鬼は、
妖怪や鬼神のみならず、
人の中にこそある、という作品のテーマに即してのこと。
ストーリーは応仁の乱のあと、
日本全土が小国乱立の様相を呈し、
戦国時代へと突入していく、民草にとって悲惨な受難の時代を描く。
多くの百姓は食うにも困窮し、領主からは年貢のみならず戦の苦役も課せられ、女子供は簡単にかどわかされ売り買いの道具とされる、そんな地獄のような時代だ。
この時代を、妖怪を滅することで肉体を獲得できる百鬼丸の戦いと、
それを見続ける孤児どろろの流浪の旅を通して描くので、
当然ながら、楽しい話ではない。
人の業の、醜さであったり崇高さであったり、
所詮は物の怪と変わらない畜生道も、
そんな時代を厭い、自らの所業を悔い浄罪の業を生きる者も、
時代の色を映して、まるで等価値の存在のように描かれる。
覇道を願った醍醐こそが鬼道に堕した者なのではないのか。
我が子を守ることを諦め菩薩に祈るだけの母に救われる価値があるのか。
実の兄を鬼神と断じて領地の安寧のために殺さんと欲する多宝丸は羅刹でないのか。
己の運命に抗い鬼神と戦い続ける異形の戦士は、領民の敵で、自我をやがて失う亡者と言われるべき存在なのか。
どろろは現実の陰惨を見続ける。
付き従った百鬼丸にさえ、時に反目し、妖怪をさえときに赦し、
父と母に託された、戦国の世を凌駕する力を潜ませ、生き抜く智恵として性別を偽り。
原作自体が未完に終わった作品であったし、
様々な脚色が行われたこと自体、決して否定的に捉える気持ちはない。
戦国乱世へと転がり落ちる時代の波に対して、
ちっぽけな人間ではなす術もなかっただろうことが容易に解るからこそ、
琵琶法師と寿海の超俗の意味も理解できる。
現代の放送コードでは、百鬼丸が身体のパーツを取り戻す際の
グロテスクで恐ろしげな描写が出来なかったことが残念なぐらいで、
雑兵に春を売り孤児たちと田んぼをやがて買おうとして世の無常に命を落とす少女や、子供たちごと寺を焼かれて死んでいった尼僧のエピソードなど、よく描かれていたと評価したい。
手塚流の限界はこの辺にあると思っているので、アニメスタッフは十分によくやったのだと思う。
本当の戦国乱世、この世の生き地獄が描かれるのは、
どろろより数年遅れて、ジョージ秋山の手になるアシュラでのこととなる。