fuushin さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
量子にはじまるふたりの恋の物語。
TVシリーズ同様に、楽しめた作品でした。
最終シーンで、咲太くんと翔子ちゃんが、お互いの名前を呼びあう姿に、ぐっとくるものがありました。
そして、言霊の響きには、量子もつれを誘発させるパワーがあり、あたたかな記憶さえもよみがえさせるのだと、いたく感じました。
本作の特徴として、初対面でお互いに名乗り合うシーンが幾度も描かれていますが、おそらく、量子もつれのファーストステップを表わしているのかもしれませんね。
実は、私にとって一番苦手な教科が "物理" でした。
今でも相も変わらず、答案用紙の点数が夢に出てきます。
そのたび、苦い記憶がありやかに思い出されて、思春期症候群を発症するような気になります。(ホントだよ)
そんな私が、本作を視聴するために依拠していた文章があります。
「粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ、このような特殊な存在を、 普通の物質と区別するため、「量子」(quantum) と呼びます。
その「量子」を研究するのが「量子力学」です。 "電子は「量子」の代表格" です。」(量子力学入門より)
丁寧にも、以下のような解説が記されていました。
波は、物質ではなくて「状態」です。
海水という「物質」の、ある「状態」が波です。
"原子より大きい世界" では、このように「物質」と「状態」をはっきりと区別できます。
しかし、"原子より小さい世界" では、そんな区分ができません。
電子は「物質」ではなくて「状態」です。
ただし、海の「波」の場合の「海水」にあたる "物質がありません"。
( " " はfuushin )
この解説の通りに受け止めれば、量子力学の世界では、咲太くんや翔子ちゃんの肉体は、物質としては "ない" という解釈ができるということになるのでしょう。
でも、状態なら "ある" ということにもなります。
シュレディンガーの猫の体を構成する量子は、観測されて初めて、その実存が確定する。
咲太くんと翔子ちゃんが、"生きよう" と思うなら、彼らを構成する量子もまた、"生き抜く希望を共有するプロセス" が必要なのでしょう。
そして、確定するまでには、一方通行ではなくて、長く、強く、諦めずに、見つめあい、手を取り合うように過ごしてきた濃密な、そして相手の幸せを切望し、祈念するという、利他愛の想いの積み重ね(=状態) が絶対条件なのでしょうね。
量子のような私を、実存する私として見つけてほしい。
生きていきたい私を、生き続ける私として確定させてほしい。
あなたが私に紡ぎ結んでくれた、優しさとあたたかさの絆を、もっと強く、もう一度、切り結んでほしい。
その想いもまた、量子としてなら、双方向に混じり合うのでしょうか。
量子は、記憶に姿を変えて、胸の奥の奥に秘められているのでしょうか。
もしそうなら、終幕の翔子ちゃんの笑顔は、咲太くんへの "初恋" のリフレイン。
咲太くんには、鮮やかに思い描ける祥子さんへの "憧れ" のリバイバル。
あのシーンで、二人が観測しあった瞬間に、懐かしい記憶がリプレイされたと言えるのかもしれません。
かつて、優しさを共有し合った二人です。
その証として、量子が共鳴し、記憶を呼び起こしたのかもしれませんね。
「人は、優しくなるために生まれてきたのだと思いますよ。」
"優しさに包まれたなら" ってユーミンの曲がありますが、私はこの曲を聴くたびに、なぜか涙ぐんでしまうんです。
本作を視聴しながら、同じような思いに包まれて、ハンカチが手放せませんでした。
それも、量子もつれだったのかな。
レビューを最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆さまに愛されますように。