雀犬 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
パノプティコンの囚人
【概要】
ノイタミナ枠で放送されたSFクライム・サスペンス。2クール22話。人間の心理状態や性格的傾向を計測し、数値化するシビュラシステムが絶対的な法とされる近未来の日本が舞台。本広克行×虚淵玄×天野明×Production I.Gの豪華タッグによって制作された。犯罪係数を指標として治安維持を担う公安刑事たちはシステムによる監視の目を掻い潜り、凶悪事件の裏で暗躍し続ける謎の男を追いながら、人々を実効支配するシビュラシステムの闇へと迫っていく。安全神話を揺るがす猟奇殺人にテロ犯罪。スリリングな展開で引き付けつつ、「本当の正義とは何か」「本当の幸せとは何か」など視聴者に問いかける奥深い作品になっている。
【所感】
{netabare}
『PSYCHO-PASS』が描くのは人の精神までもがシステムで数値化される超監視社会だ。個人の能力を最大限に活かし安定した生活を送るという大義のもと、2112年の日本の人々は職業適性から友人・配偶者などの人間関係、日々の食事に至るまで、あらゆる行動をシステムの測定値(通称サイコパス)を頼りにして生きている。このような監視社会の根幹にある思想は功利主義であり、ジェルミー・ベンサムの提唱した「最大多数の最大幸福」が実現された世界だといえる。
功利主義は政治的・倫理的な正義の基準を快楽・幸福に対する貢献、苦痛の軽減によって判断するという考え方で、この考え方を個人のみならず社会全体に対して適用する。したがって、例え少数の人間が犠牲になったとしても多数者の利益になるのであればその行為は肯定される。シュビラシステムによって低いサイコパス値を突き付けられ、価値の低い人間と判断された人間が不利益を被ったとしても、大多数の人間の幸福のために甘受せよということだ。
功利主義は利害の対立による争いや差別を生むため、問題視されることが多い。しかし功利主義は理念を直観的に理解しやすいという大きな利点があり、現実では功利主義的な考え方で正当化されている社会通念や制度も多い。例えば、沖縄に米軍基地を置くは日本全体の国防を考えれば仕方ない、といった主張も功利主義に当てはまるだろう。
功利主義の始祖、ベンサムのアイデアに「貧民管理」の改善プランがある。これは貧しい者のために、自己資金で運営される救貧院を設けようとするものだった。路上の乞食を減らすことを目的とするその計画は、功利主義者の理論を鮮明に映し出している。ベンサムはまっとうに社会で働く者からすると不快な乞食を街から排除し、救貧院に閉じ込めることを提案した。
つまりホームレスはみな施設送りにしてそこで働かせようという提案だ。これは乞食にとって不当な施策に見えるが、乞食の中にも施しを乞うよりが救貧院で働く幸せだと方が言う者もいる。現代の日本にも刑務所に戻るために軽犯罪をわざわざ犯す者がいるくらいだから、19世紀のイギリスにもいるだろう。幸せで羽振りの良い乞食などごく少数であり、悲惨な境遇にある乞食の数は遥かに多いと予測し、ベンサムは「一般の人々が甘受する苦痛や不快の総和は、救貧院に収容される乞食が感じるすべての不幸よりも大きい」と結論付ける。
『PSYCHO-PASS』の治安維持の考え方はベンサムの救貧院プランと酷似している。犯罪係数が100以上の人間は潜在犯と認識され、保護施設に送られ更生プログラムを受けることになる。潜在犯を隔離することで健常者は安心安全な生活を送れ、他者から色相な濁るような悪影響を受ける可能性も減る。精神が清らかでない者は大多数の幸せのため、排除の対象とする。
本作は新自由主義経済の歪みによる貧富の差の拡大から、世界的な倫理道徳感の崩壊を招き、紛争や犯罪で世界各国が崩壊した後、日本はシビュラシステムによって地球上唯一の法治国家(第17話)として再建を果たした、という設定である。よって治安維持の優先度は過剰なまでに高められている。そのような前提があり犯罪者予備軍の排除という極端なリスクヘッジが正当化されているわけだ。
しかし実際には狡噛が「更生施設から正常な状態で社会復帰する人間はほとんどまれだ。ほとんどいないと言っていい。(第12話)」と語るように更生システムは破綻しており、刑事の視点から物語は描かれるため殺人やテロを視聴者はずっと目にするのだから、安心安全な社会が実現されているという感覚は全く持てないだろう。むしろ自由の剥奪という大きな問題を抱えているように見受けられる。
さてベンサムは功利主義に基づく福祉の実現としてもう一つ、刑務所の改革案も提案している。かの有名な「パノプティコン」である。パノプティコンは看守が中央の監視塔からすべての収容者を監視することができる円形の刑務所で、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えないように設計されている。ベンサムはそのような環境で囚人たちが労働に励み、自立した生活を送ることを想定した。当時のイギリスの刑務所は暴力が蔓延る劣悪な環境だったらしく、実は人道に配慮して考案されたものなのだが、ベンサムが生きている間にパノプティコンが建設されることはなかった。
パノプティコンが有名になったのは彼の死後、20世紀にフランスの思想家フーコーが著書「監獄の誕生」で監視社会の比喩としてベンサムのパノプティコンを紹介したことによる。囚人たちは「見られている・監視されている」という意識を植えつけられることで、規則に従うという「規範」が内面に生じてくる。フーコー曰く、この調教の仕組みこそが権力の本質であるという。犯罪者の自力更生に尽力し、教育・改造して社会的に復帰させていく啓蒙的で功利的なシステムとして考案されたパノプティコンであったが、フーコー以降は管理社会の象徴として頻繁に持ち出されるようになったのだった。
シュビラシステムの支配も本質的にはパノプティコンと同じである。『PSYCHO-PASS』の世界ではドローンやカメラがあらゆるところに配備され、サマティックスキャンによるサイコパス測定が知らず知らずのうちに実行されている。人々から監視の実態は見えない。だが自分たちは監視されており、問題行動を起こし犯罪係数が上がれば拘束されることは把握している。規律を乱す者は最悪、ドミネーターによる殺処分が待っている。都市のシンボルとしてそびえ立つ厚生省ノナタワーは、まさに監視塔を現前させたかのような建築物だ。自分たちは見られているという意識付けが社会規範に従順な人間を生み出し、シビュラという権力を盤石なものにしている。そんな管理社会に反旗を翻す男が槙島聖護だ。
「あいつは――― マックスウェーバーを持ち出された継の瞬間には、フーコーやジェルミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう。」「システムというよりは巨大な監獄では?パノプティコン、一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする」(第19話)
槙島は「意思に基づいた行動のみが価値を持つ」という信念を持ち、シュビラシステムに憎悪の感情を抱いている。彼はサイマティックスキャンを妨害するヘルメットを製造・配布して一般人による犯罪を誘発させたが、槙島のテロはシステムに飼いならされ防犯意識や自衛能力が低下した人間の脆さを浮き彫りにした。自己決定をしなくなった人間が堕落していくことは想像に難くない。
本サイトの感想を眺めると、槙島には同情してしまうという感想も散見される。確かに支配と権力を否定し、非人間的な支配システムに抵抗する槙島の姿勢には一定の理解はできる。だがしかし、狡噛が看破したように槙島の心に巣喰うのは正義感ではなく根深い疎外感と被害者意識である。現実のテロリスト達の動機と変わりはしない。透明な存在である自分がテロ行為によって世界に認知されたいという歪んだ欲望は『残響のテロル』のナインと通底している。槙島がしばしば引用する哲学者や文豪の言葉は、自分自身を正当化する手段に過ぎない。よって僕は槙島を完全に否定したい。
さて一方、シュビラシステムによる監視社会には批判的な意見が並んでいる。本作が管理社会の闇を引き受ける刑事たちの物語であり、格差による社会の歪み・システムの脆弱性・人間の劣化など欠点ばかりを見せられるのだから嫌悪感を持って当然だろう。シュビラシステムの正体が禍々しいバイオコンピュータだったという衝撃も大きい。しかし私たちが生きる現実世界は、着々と監視社会へ向かっているのである。
理由は2つ挙げられる。2001年の同時多発テロはアメリカ国民に衝撃を与え、安全と平和の希求から世界中の通信データを傍受する監視システムが構築されたという。つまりテロ対策が監視社会を正当化する口実となってしまったのである。そしてもうひとつがテクノロジーの進化。ネットを通じて個人情報のやり取りが常に行われ、ビッグデータやAIの運用に人間の大量の行動データが利用されているのは周知の通りである。
テクノロジーによる監視が最も進んでいるのは社会信用システムを国家政策として推進している中国だろう。アリババの芝麻信用(セサミクレジット。名前の由来はアラビアンナイトの呪文「開けゴマ!」らしい)やテンセントのテンセント・クレジットが有名で、既に社会インフラとして機能している。個人の行動を監視・採点し、数値化。信用スコアの高さ・低さによって恩恵・不利益を受けることになる、PSYCHO-PASSとほとんど変わらない世界が構築されつつあることに驚かされる。もしベンサムが生きていて今の中国を見たら、理想の国家だと評するのだろうか。
民主主義の国とて全く例外ではない。例えばインターネットの広告は、いつのまにやら最近関心のあるものに自然と置き換わるようになった。動画サイトや買い物サイトを利用すると、ご親切にも次に見るべきムービー、買うべき商品を教えてくれる。これは考えてみれば不気味だし、知らず知らずのうちに私たちは選択の自由を奪われていることにお気付きだろうか。
別の例を出そう。2018年度のNHKスペシャルで取り上げられていたのだが、アメリカで最も犯罪率の高い都市シカゴでは犯罪に関わる可能性のある人物をAIによって炙り出すシステムを警察が導入している。このシステムの問題は加害者になるのか被害者になるのか分からない状態で関連度が数値化されることである。スコアによる風評被害は当然起きている。知人が事件に巻き込まれるだけでスコアは上がってしまうという。こんなシュビラの犯罪係数と比較しても遥かに不完全なシステムが実運用されているのだ。
現実の監視は『PSYCHO-PASS』よりも巧妙で、監視されていると自覚することすらなく秘密裏に行われている。まるで囚人たちが自分たちは監獄にいることすら知らずに生活しているように。私たちは自由を守れるだろうのか。それとも快適さや安全と引き換えに自由を差し出すことが正義になってしまうのか。本作は2012年のアニメだが、今見ると監視社会への警告がより痛切に感じられるだろう。
{/netabare}