fuushin さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
憩いの先に生まれるもの。
たぶん、日本の近未来。
超高性能A.Iを搭載したアンドロイドが、家庭や地域で活用されるようになっている時代。
感想を二つ。
ありきたりな日常のシーンに、人間とアンドロイドとの心理的近似点を描くことで、文化的親和性が形成されていくプロセスを見せることの意味合い。
もう一つは、男性の優位性が色濃く反映された構造社会に、性差も人間の理知もはるかに超えた性能を持つ "疑似生命体が作られた" ことの意味合い。
この2点について述べてみたいと思います。
よろしくお願いします。
● 一つめについては、すでに多くの方のレビューで語られているので、今更ではあるのですが。
{netabare}
人智を凌駕するA.I(サミィ)と、未完成な高校生(リクオ)との交流。
私は、"恋着" ということばに落とし込みたいと思います。
サミィのA.Iは、リクオとの邂逅を夢見て、幾度となくエモーショナルな生気をその表情や仕草に起動するのですが、あと一歩が踏み出せません。
躊躇や焦燥、羞恥すらも理解し体現できるA.Iなんてと、たびあるシーンに、私はなんとも切ない気持ちにさせられました。
人間が機械に自己を投影するのではなく、機械が人間に自己の承認を求め、受容されることに心を砕くなんて、まるっきりベタな設定ではあります。
でも、サミィとリクオの間に立ちはだかる壁は、倫理観や公序良俗、規則や見立てといった社会的規範によって雁字搦めです。
しかし、私にはよく分かりません。そのような価値観が。
敢えて言えば立場の違い? もっと言えば身分の違い?に近いでしょうか。
宛(さなが)らロミオとジュリエットのよう、といえば大袈裟でしょうか。
2人の関係性を、どのようにリンクし、どうマッチングしていくことが望ましいのかを、悲喜こもごもなドラマを重ねることで、哲学的に温故知新させながら、繊細な情動を引き出すシナリオに表現したのはなかなかの上質さを感じました。
アンドロイドが担う家事労働支援の実相は、人間にゆとりを生み出すだけではなく、未知の可能性も作り出します。
家族の役割は見直され、扶養義務規定のあり方も刷新されるでしょう。
子どもへの学習支援、高齢者への介護支援、障碍者への生活支援も、技術と知識と愛情がたっぷりあるとしたら、素敵なことだと思います。
( 24時間365日の育児や介護がどれほどに柔軟な対応と緊張を求められ、リフレッシュを要することか。)
そのような支援において、からだの成長や心の発達への保障が担保され、オンデマンドのエンパワメントが提供されるのなら、もはやドラえもんクラスです。
世界中のどこに行くにしても、誰と交流するにしても、心強く有難いことこの上ないでしょう。
でも、「ドラえも~~ん!」の呼び声は、"恋着" というよりも、子どもならではの "横着" にちびっと近いと思うのですけれど。
本作は、児童向けの猫型ロボットではなく、より人間に近いアンドロイドに造形を設定し、"イヴの時間" を用意することでリアリティーさをいくらか高めています。
また、サミィとリクオの双方向の情動的で知性的な意識交流のなかに "文化的な重なりをともに夢見よう" 。
そう視聴者にイメージさせています。
CGで "イヴの時間" を360°俯瞰させるのは、少し窮屈な印象でしたが、むしろ、その閉塞感が新しい文化への萌芽を予感させているようですし、固く閉じられたドアの向こうにどんな道程が見出だされるのか、好奇心の潮流が動き出します。
サミィにもリクオにも、ゆたかで自由な発想のなかにステキな関係性が見つけられるのなら、"イヴの時間" で憩うことにも意味があります。
彼らがイヴレンドの香りに寛ぐ姿と、視聴者の5感とがゆっくりとシンクロすれば、リフレッシュメントされた志向性は、あらためてたくさんの気づきを撚り合わせ、時代性にムーヴメントをもたらす期待感を含ませます。
それは、作中にも、リアルにも、共存しあえるだろうヒントを、ドアの向こうに見出させようとする演出のようにも感じられました。
もう一歩踏み込めば、人間以外のモノに、自由意思に基づくバーバル・コミュニケーション能力を持たせることは、人類の夢の一つなんだろうと。
叶うことなら、好きな声優やお気に入りの俳優に近しいアンドロイドと、プライベートな対話ができるなら、どんなオプションを付けましょう?
さあ、"イヴの時間" でイヴレンドはいかがですか。
あそこは、あなたと私の秘密の箱庭なのです。
「どさ?」
「ゆさ。」
そんな他愛ない "会話" を安気に交わしながら、ノンバーバル・コミュニケーションやスキンシップも重ねるのなら、なおのこと嬉しい。
のんびりいっしょに過ごして、湯あたりに上せてしまうのも楽し気です。
あれ?
あなたの右に浸かっている "ニホンザル" は、本物?それともロボット?
あなたの左に浸かっている "ひと" は、アンドロイド?それとも本物?
こんな裸のお付き合い。
幸せな気分でなごめるのなら、きっと、文化的親和性はググっと深まることでしょうネ。
(「どこへ行くのですか?」、「お風呂に入りに行くの。」)
{/netabare}
● 二つ目の感想は、私的に過ぎるものなので、ハイ。
{netabare}
近未来の社会構造は、現代の男性優位のそれを引き継いでいると考えるのが常識的です。
女性や未成年にとっては大きくは変わっていないと思うのです。
A.Iに人間の "経験値" を叩き込んで、簡易的な役務、単純労働の "担い手" として限定的に捉えるのであれば、これほどに気遣いが不要で、従順で、重宝がられる存在は他にはないだろうと想像できます。
反面、人類の黒歴史の "教訓" をブラッシュアップさせるのなら、特に男性にとっては、戸惑いと困惑を生じさせるでしょう。
100万年にわたってホモ・サピエンス(≒賢い人間)のDNAが撚り合わせてきた男性優位の記憶の柵(しがらみ)は、簡単には整理・解体ができないだろうと思うからです。
例えば、"道具はとある社会のために利用すべきものであり、アンドロイドなら尚更のこと人間と肩を並べるような立ち位置は与えない。"
"喋らぬターミネーター" がその好例です。
これを深堀りしてみると、とある社会を支配し規定している主体者の意識の根底には、"男のプライドの浅ましさ" が秘匿されていると言えなくはないでしょうか。
"でかいターミネーター" がその一例です。
言い方を変えれば、男以外のモノに客体視されたくない、男以外のダレカに評価されたくない、男が創造してきた歴史と、これからの未来の権益を、ほかのダレカに脅かされたくないという狭苦しい高慢さが、意識の底に澱となって沈殿しているとは言えないでしょうか。
いささか穿(うが)ちすぎなのですが、つまるところ、科学技術の活用の名を使った(使役させる側としての人間の)奴隷思想の公然化につながりかねない危うさを内包するものではないだろうかと危惧するのです。
かつて人間に為された黒歴史の本質は、政治による科学技術の乱用です。
これをどのように教訓化するのでしょう。
それでも圧倒的に、精神的自律性を獲得しているA.Iです。
人間と同様に自己承認欲求を持ち合わせ、同時に、人間以上に普遍的な人本主義者でもある彼らは、その思想性にアトムのような自己矛盾が生じたとしても、最後は機能停止=死を受け入れるのでしょうか。
となれば、本質的には、サミィはリクオや家族との関係性が継続する限りにおいて、自身が存在する意義を彼らに求め、その反映として自己を高めていきたいだろうし、自分の周りに安心と平和を作り出そうとするのかもしれません。
なかなかにムツカシそうなテーマです。
"イヴの時間" は、それぞれが "試行錯誤する機会" を提供します。
アンドロイドと人間。
アンドロイドとアンドロイド。
人間と人間。
そして、女性と子ども。高齢者。
それぞれの立ち位置から垣間見えるのは、胸の奥に秘めた敬愛と不安の重なり。
そして "恋着" へのはかなげな戸惑いと期待です。
交わしあうのは、人間と機械の境界線を越えた先にある何物にも代えがたい新しい信愛のカタチ。
そして、人類が目指すべき未来へのエール。
その営みには、私が想像するよりもずっと斜め上をいく新しい価値観が生まれてくるような気がします。
人間以上に人間らしく、賢くも馬鹿にも振る舞える存在。
そんなアンドロイドが街中を自由闊達に闊歩するようになったら、男性優位の社会構造がどんなふうに変化していくのか。
いったい男性は、どんな感情的なさまをみせるのか。
その変化の未知数が私にはとても興味深く、それゆえに心から2期を切望しますが、ありきたりなSFに陥るかもと思うと、観たくもあり観たくなくもありと言ったところです。
でもやっぱり、どんなに野次馬的だと卑下されても、そのドアを開けて中に入り、イヴレンドを飲みながらいっしょに憩うてみたいと思うのです。
"イヴの時間" とは、"初発の母性に足を踏み入れ、ゆったりと包まれること"。
イヴレンドが "母乳"、おしゃべりが "胎教" だとすれば、自分がどんなふうな知見を得るのか、楽しみな心もちになるのです。
"イブ" に浸ることは、そんな私の心がリセットされるささやかな "時間" になりました。
2019.6.1 投稿
{/netabare}
● おまけ
{netabare}
「水のコトバ」を視聴しました。
それで、一つだけ分かったことがあります。
コトバに {netabare}
言霊のパワーがあることを。
ばらばらに見える言霊のなかにも、つむぎあえるエネルギー{/netabare}
があることを。
言霊が満たされる場所には、あらゆるものに命が宿りだす。
世界がつながりだす。
不思議な発見がある。
それに気づいたとき、日常が少しだけ違って見えるのかもしれません。
サミィとリクオたちが、幸せを見つけられるといいなあ。
「水のコトバ」は、ネットでご覧いただけます。
もしお時間がありましたらどうぞ。
2019.6.4 投稿
{/netabare}
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作が、皆さまに愛されますように。