ドリア戦記 さんの感想・評価
2.8
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 2.0
状態:観終わった
小さな哲学者たち
原作は子供向けの動物学、児童書のベストセラーです。
お子さんをお持ちのご家庭だとねだられたことがあるかもしれません。
親子数世代に渡って動物を研究している今泉忠明氏の監修を元に
動物が進化の過程で身に着けた「ざんねんな」習性、機能を面白おかしく紹介した絵本です。
かいつまんで書くと
例えばコアラは競争相手のいない木の上で有毒のユーカリを主食とすることで
ニッチな分野で生存競争を勝ち抜くことに成功した。
だけど、体内解毒に時間と体力が奪われ、1日中木の上でグースカ寝ている「ざんねん」な子
というように子供が動物に興味を持つように書かれた絵本をNHK-Eテレがアニメ化したものです。
しかしアニメ化された内容はどちらかというと高校生以上の大人向け、
理不尽な世の中に生きるオトナの哀歌という色合いのお話もあり
どちらかというと同じくEテレで人気のある番組
人間界のアンダーグラウンド教えますの「ねほりんぱほりん」に近いです。
ちょっとこの脚色はどうかと思うのです。
【子供向け科学・生物番組の役割】
紙芝居風のあまり動かない絵でアニメとしては手抜き?かもしれないのですが
問題はそこではないと思うのです。
そもそも今泉さんはなぜこの本を子供のために書いたのでしょうか。
それは素朴な疑問「なぜ?」を子供の心に生じさす為だと思うのです。
なぜ動物は不要と思われる機能を持っているのか?
それなのになぜ今も生き残っているのか?
なぜ今もその「ダメな」習性を持ち続けているのか?
一見不合理に見える習性の中に激烈な生存競争を勝ち抜いた秘密があります。
また今泉さんの著作には常識とされる考えを疑おうとする知的な態度があります。
子供の心に「なぜ?」を生じさすのが科学や生物の子供向け番組の醍醐味であり役割でもあります。
知識の習得よりも疑問を持つことの大切さであり、自然科学において大事な
大きな大前提「常識」を疑おうとする態度を養う意味もあります。
大事にしてアニメ化すべきだったところはそこではないでしょうかね。
子供は時に「小さな哲学者」です。
「なぜ人は死ぬの?」「犬はなぜ人間より早く死んじゃうの?」「なぜりんごは赤いの?」
という素朴かつ高度な問いを投げかけてくる時もあり
不肖の親として戦々恐々としていた時期があります。
こんな質問を子供に分かるように伝えるのは大人に対するよりも難しい。
ちゃんと答えられたか自信はありませんが
子供の素朴な疑問は大人になって何かを学ぶ姿勢を養います。
このアニメに求められていたのは子供の素朴な「なぜ?」を大事にする姿勢だったと思うので
物足りなさと方向性に知見の不足を感じます。
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ここからは「疑問を持つということ」についての余談です。
本題と関連があまりないのでタグで畳みます。
{netabare}
【リベラルアーツ教育について】
戦後の高度経済成長を支え続けた年功序列制の崩壊やそれに伴う雇用の流動化。
私の世代、もしくは私より下の世代は今大きな変化に見舞われています。
退職金、年金を満額もらって逃げ切れる世代には興味のない問題でしょうが
私と同じもしくは私より下の世代にとっては一番大きな問題です。
人口の多い第二次ベビーブーム世代を直撃した就職氷河期も相俟って
この世代とこの世代を将来に渡って年金や社会保障で支えなければならなくなった
少ない人口の世代は自分の生活でいっぱいいっぱいと言えます。
顔色を変えて対立を煽り、「資本主義ガー」と教養主義と裏腹の憎しみを込めて口汚く罵る
「逃げ切り確定」の上の世代や既存の対立煽り手法に乗っかっている大手メディアに
嫌悪を感じるのはこれが原因と言え、若者から支持を失っている要因かもしれません。
またこの手の狂信者の「悪のレッテルを張り付けて正義の攻撃をする」という手口が
傍から見ていてイタくて気持ち悪いというのもあります。
まあ、こういう妖怪は基本長生きするのでなかなかお空からお迎えはやってこないでしょうが
多分重要なのは対立を煽ることよりまずは
出来るだけバイアスを取り除いた事実の観察だと思うので。若干醒めていますが。
そういう意味では映画『スポットライト世紀のスクープ』のような
時間と金と知識と根気が必要なデータと事実を地道に収集した詳細な調査報道が
素人メディアとの差別化として今求められるのですが
基礎体力の落ちた既存メディアは苦戦しているようです。
まあ、下手をすれば既存メディアは滅びゆく巨大な恐竜の運命なのでしょう。
バブル以前の世代の声が社内でまだまた大きいですから
時代の変化に対応できるのはまだ先になるでしょうから。
話を雇用に戻すと最近では会社の平均寿命が50年程度から
半分の20年程度まで短くなっているという調査データもあり、
生涯で複数の分野に渡って仕事をすることになる人もこれから多くなるでしょう。
そんな状況を受けて今私の周りでは、
会社員にも関わらず哲学や文学、歴史、科学、法律などをあらためて学ぶ人が増えています。
いわゆるリベラルアーツ(大学での一般教養教育)への注目です。
哲学科出身の大手コンサルタントの方が評論を書いた本がベストセラーになるなど
面白いトレンドがあります。
もちろん仕事ではなく小難しい教養という「場外乱闘」で地道な仕事をしている同僚にマウントを取る
という不純な動機を持つ人間もなかにはいるでしょうが、
私の周りではたいていは仕事に行き詰って悩んで手に取るパターンが目立ちます。
昭和から平成に掛けて、知識の専門化と高度化が進み
企業での即戦力を求めて大学では専門教育が重視されるようになりました。
戦前のいわゆる旧帝大では、エリート教育としてリベラルアーツが重視されていたのですが
その伝統は消えつつあります。
まあ私の出身校は当時の奇特な学長のおかげでラテン語やギリシャ語が一般教養科目にあり
うっかり物見遊山気分で選択するとえらい目にあった記憶があるのですが。
その代わり専門教育がおざなりで景気の影響もあって就職率は良くはありませんでした。
【情報の抽象化の重要性】
しかしこのリベラルアーツ教育は複数の分野を横断して新しい知見を得る
モノを考える枠組みを提供してくれる役割を果たします。
一分野を深く掘ることは大事なのですが
今は深掘りプラス何かの新しい知見を加え、
創造性を発揮することが求められています。
例えば自動車の分野にITが融合され、小売りが金融に進出し、異業種の融合は進んでいます。
時代の流れは早く、移り変わりも激しく、学校で学んだ専門知識はすぐに陳腐化します。
そうした時代において重要なのは知識(データの総量)ではなく
物事の本質部分を洞察する情報の抽象化の能力と
異分野にまたがる情報の連鎖反応と応用です。
このアニメで最初に言及した常識を疑う、物事の大前提を疑うという考え方も
物事の本質を洞察することや
領域横断的な考え方で別の角度からモノを見ることで養われます。
教えられた知識を忠実に暗唱することよりも「なぜ?」を大事にし
疑問を持ち物事を根本から考え、
知識の抽象化や領域横断を図ることが重要な時代の子供に向けたアニメの方が
今の時代に合っているのではと思うのです。
ハーバードやイェールは最近ではリベラルアーツ重視に傾いているという指摘もあり
求められる教育も変わるでしょう。
もちろん厚生労働省が実施している「学び直し」の為の公的補助
専門的な教育実践訓練給付金などを利用して2つの専門分野を深堀りするのも
時代の変化や雇用の流動性に対応する1つの方法ですが、
あまりに早い時代の変化を考えると
思考法自体を鍛えるリベラルアーツの復権も意外に悪くはないと思うのです。
{/netabare}