tao_hiro さんの感想・評価
3.2
物語 : 3.5
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
共生社会へ
<以下の文章には、社会的少数者についての言及がありますが、それらの方を傷つける意図はありません。しかし、ご不快に思われる場合は、ここにお詫び申し上げておきます。>
過日、世界保健機構(WHO)の担当官が来日した際、「たばこを吸う場所で食事をするなどありえない」と発言しました。
この発言に反発した喫煙者であるところの私は、「この”ありえない”という感覚が、差別や偏見の元凶であり、”満員電車に車いすで乗りこむなどありえない”と言っているに等しい」と、さるSNSに投稿しました。
その反響は凄いものでした。賛否両論頂いたのですが、私の思いは強くなりました。
「自分には理解できないもの・自分とは異なるもの」に対して「ありえない」という”独善”が、「あいつら変だ・おかしい」という”偏見”を呼び、「あいつら劣っている」という”差別”を生むと私は考えます。
だとすると、社会的少数者を「自分に理解できるもの・自分と同じもの」と考えることができる人が増えれば、差別は減らすことが出来ることになります。
ではどうすれば「自分に理解できるもの・自分と同じもの」と考えることが出来るでしょうか?
答えは「興味を持つこと・調べること・交流すること」だと思います。
さて、この作品は、社会的少数者を亜人に置き換えて、上記の実践方法を教えてくれます。
差別や偏見をなくすために「社会的少数者を理解しましょう!」という掛け声は昔からあるはずですが、社会から差別や偏見は一向になくなりません。この作品は、社会的少数者との共生を阻むモノ、それは「倫理」や「デリカシー」だと言うのです。
つまり、「こんなこと聞いていいのだろうか?」「こんなこと言っていいのだろうか?」「こんな想像していいのだろうか?」などといった思いやりの精神が共生を阻んでいると指摘します。
そして、社会的少数者と共生するために、「倫理がなんだ!当事者がOKならば、それでいいだろ!」という心構えを示します。「他人の眼は気にするな!」と言い換えても良いかもしれません。
これには大変な勇気が必要だと思います。差別や偏見のない世界は訪れないのかもしれません。
しかし私は、裕福な世界よりも、差別や偏見のない世界の方が幸せだと信じています。無理せず、やれる範囲で、努力したいと思います。