ツークツワンク さんの感想・評価
4.8
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
大人とは?正義とは?超人とは?
コンクリート・レボルティオの後編。
一期よりもキャラクターの掛け合いがコメディ調になっており、13話から緊張を緩め、最終話に向かって徐々に締めていく。
15~20話にかけて昭和史を追う短編的な物語になっているが、中弛みを感じさせないくらい濃い脚本。
短編とはいえコンクリートレボルティオという枠組を超えて一つの作品としてしっかりまとまっている。
そんな中、倒すべき存在に対して迷走気味な爾朗をおいおいと眺めていたら、ジャガーにぶん殴られるシーンを入れるなど観ている側の気持ちを代弁させるのは流石。
23話からクライマックスに入り、マスターウルティマがラスボスかと思いきや、あっさり殺害される。
分かりやすい悪は存在せず、悪の親玉を倒しただけでは世界の流れを変えることの出来ない無常さ。
ウルティマ→笑美→爾朗→里見。悪の親玉と呼ばれる対象がコロコロ変わるのは面白い。
何が正義で悪なのか分からない戦争状態。それでも超人には倒すべき宿敵が存在する、敵がいるから超人は存在できる。
人間核兵器の爾朗が言うから重みがある台詞なのだろう。
しかし、土着神や妖精のような旧支配者を絶滅させて、人間超人による新世界を創るというウルティマの正義に対して、里見の正義はなんとなく超人のいる世界が気持ち悪いという大義名分として弱いところは残念だった。
エネルギー革命を起こして人類を発展させる。能力の無い人類を危機から救うなどの思想はあまり感じられず、超人を全て消し去る単なる悪に過ぎない。
尺の都合なのだろうが、正義と正義で対決して欲しかった部分はある。
ただ、里見の大人になれというメッセージは非常に痛快だった。
爾朗の子供染みた正義、幻想の否定。
昭和史や怪獣、特撮、アニメによって出来た玩具箱のような世界観を夢中になって考察している大人にも突き刺さる。
幻想を観続けても現実には何の影響も与えない。果たしてそうだろうか?
それでも幻想を観続ける人がいる限り、作り続ける人がいるという生粋のオタクでもある大人達からのメッセージ。
映画や歌は確かに人々を動かしていた。
概念になった爾朗だが、超人を求める声がある限りそこに存在し続ける。
超人ブームに宇宙戦争エンド。現代でも超人を求める子供は存在する。