退会済のユーザー さんの感想・評価
3.4
物語 : 3.0
作画 : 5.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
勿体ないと言いたいところだけど何処をどうすれば良かったのかも分からない
まず初めに断っておかなければならないのは、私がこのアニメを見たのは「ウテナ」繋がりである。諸所でスタドラとウテナは似ているという情報を得て、それならばウテナファンとしても見ておこう、という心持になったわけだ。結果としてはウテナとは似て非なるものであったわけだけれど。
まずは良い点を少々。
・とにかく作画が凄い!全二十五話を出し惜しみなしに超絶作画で乗り切った。これはただただ脱帽するのみである。
・最終話のノリ。とにかくライブ感重視の結末は考えるよりも前に感情を揺さぶった。
続いて個人的に良くないなと思った点を少々、というより沢山。
・キャラクター描写の不足
これは結構致命的だと思うのだけれど出てくるキャラクターの人物像が非常に薄いと思う。その代表格は主人公であるタクト。熱血漢なのは何となく分かるが、微妙に何をやりたいかが分からない。最終回でヒロインが「タクト君ならそうするよね」って言うシーンがあるが、あ、はい、そうですか、って感じで視聴者はそこまで納得できない。それでいて出来なくもないのがこのアニメの妙と言えば妙。単純に魅力に欠けていると思うんです。タクト君はそりゃあ主人公らしく沢山の女の子にモテモテなわけだけれど、そのモテ要素がビジュアル以外であまり説得力を持っていない。せめてスポーツも万能!みたいなありきたりの描写でも持ってくれば良いのだが、それもない。「顔が良ければモテるんだよ」という意見もあるだろうしそれは私も十分に理解できるのだが、ことアニメの場合はあまりビジュアルで差がつかない。ましてやこのアニメは全体的に女性受けするビジュアルの男性が多く、特別タクトだけが人気の出るのには違和感がある。ここがアニメの難しさだろうが、演者やキャラデザだけではそのキャラクターのアイデンティティを出すことは出来ないのだ。タクトだけでなく、ヒロインのワコも、親友のスガタも人物描写が薄い。そしてこの三人の奇妙な友情もあまり真に迫ってこない。それがクライマックスのカタルシスを強く薄めてしまっている。斯様な問題点が出てきた理由は十分に分かっている。話数に対してキャラクターが多すぎるのだ。一体綺羅星十字団だけでどれだけのキャラクターを出したというのか、そしてその中でどれだけのキャラクターを描き切れたのか、人妻女子高生だけじゃないか?これはもう脚本どうこうの問題ではなく、設定段階での問題である。もっとも、それを何とかするのが脚本家なのかもしれないけれど…。
・閉ざされた世界としての舞台設定の説得力の欠如
舞台は島。島と言えば閉鎖的な感があるのが常である。しかしこの作品の島はめちゃくちゃ明るい。陰の部分がない。綺羅星十字団ですら何か明るい。巫女を縛り付ける鳥籠であるはずの島がこうも明るくて良いのか?そのために島から出る出ないの話にこれと言った深刻さが帯びていないのだ。もっとも、これはもしかしたら製作陣が意図的にやっているのかもしれない。私があまりにもウテナ脳に侵されているのだろうか。
・現実とメタファーのバランスの欠如
例えば少女革命ウテナにおける決闘広場。ウテナという作品は全体がメタファーで埋め尽くされていると言っても過言ではない作品だが、それは戦いの舞台である決闘広場でも同様、それ自体が夢を見させるまやかし、まさしく「舞台装置」でしかないというメタファー(皮肉とも言える)であった。一方、スタドラは日常パートは勿論、戦いの場であるゼロ時間も、間違いなく「現実」なのである。そこに何かしらの比喩はない。これならこれでいい。そういうアニメとして見れるから。しかし、スタドラは無駄にメタファー演出を挿入しがちである。特にヘッドのいる空間はそれが顕著だ。サカナちゃんの話はまさしく寓話だろうし、終盤にある演劇部の舞台も同様(これはもう明らかにウテナの影絵少女の劇団と同じ…)。更にはヘッドが老けないという現象。これには第一フェーズの能力と言うまさかの説明がついた。と、所々にこうしたメタイ演出が出てくるのだが、それがかえってマイナスに働いている気がするのだ。結局この作品は「リアル」であるのか「架空」であるのか、その境界線が曖昧になりすぎている嫌いがある。大体にしてこういう演出をすると製作陣も明らかにウテナを意識していることが否応にも分かる(特にヘッドの老けない描写)。私のようなウテナ狂いには向こうからウテナと比較してくださいと言っているような気がしてしまうのだ。
・結果的に何を描きたいのか分からない
そう、兎に角演出、脚本、登場人物の描写がちぐはぐな感じがして結局何をしたかったのか分からなかった。友情なのか恋愛なのかそれらすべてを含んだ青春なのか…肝心なのはどれか一つを取ったところで描き切れたとは言えないことである。
・性の描き方が下手
これは榎戸洋司という偉大な脚本家に対して失礼かもしれないけれど、この作品においては彼の得意とするところであるはずの性の描き方が完成されていないのである。ウテナで見せたあの若者特有の性への関心と嫌悪、その気持ち悪さは身の毛がよだちながらも深く心に突き刺さる真に迫ったものであった。フリクリなんかを見ても分かるように榎戸氏の持ち味は矢張りその気持ち悪さ、と言っても気持ち悪いけれど分かってしまう気持ち悪さ、その作品を描く上では決して避けられぬものとしての気持ち悪さであった。残念ながら、スタドラはそうではない。ただ気持ち悪いだけである。ワコの二股エンドも、その友人の恋愛話も、ガラスごしのキスも、鬱屈としたもののない、明るい性の気持ち悪さ。そう、明るい気持ち悪さなのである。本来相矛盾するはずのものが存在してしまっているのであり、それ自体が嫌な違和感、すなわち別の減少としての気持ち悪さを生み、二つの気持ち悪さが現出してしまっている。まあ、これに関しては好みと言われればそうなのだが、やはり物語の演出上必要とは思われない気持ち悪さは受け入れがたいものである。
・脚本家の人選ミス
と、上記で脚本を批判したが、そもそも榎戸洋司という脚本家を夕方帯で使ったのが誤りだったのではないか。もっとも、時間帯が決まったのは脚本を数本書いてからのようであるが、それが結果としてうまくかみ合わなかったようだ。もし深夜帯であれば榎戸氏ももっと伸び伸びと得意の性を描けたかもしれない。それとは別として、矢張りこの作品はどちらかというともっとアツさ全振り、ライブ感全振りみたような脚本家に任せた方が良かったような気がするのだ。つまりは中島かずきのような。そうすればタクトも比類なき熱血漢としてもっと魅力を出せたであろうし、戦闘シーンの盛り上がりもこの上ないものになったであろう、と思うのは私だけであろうか?(もっとも中島氏が仮面ライダーフォーゼやキルラキルのようなアツい学園ものを描くのはスタドラの後であるというのは、何だか少し因縁めいていて面白い)
非常に長々とレビューを書いて来た。私史上最長でもある。好きなアニメの良い点を褒めちぎるよりも、そうでもないアニメの良くない点を挙げる方が筆が乗るというのは何とも自分自身の卑屈さをこの上もなく表しているようで少々自分自身にうんざりしないでもないが、兎も角もスタドラを見て書かずにはいられなくなったのだから仕方がない。
スタドラを見ていて思ったのだが、矢張り「少女革命ウテナ」という作品は特別だと思う。ああした傑作はそうそう生まれるものではない。榎戸洋司氏、五十嵐卓也氏だけでなく、おそらくは幾原邦彦氏もそれは重々承知してるだろうし、だからこそウテナを越えてみせようとしているに違いない。そうした中でこのスタドラという作品はウテナとは違う方向で傑作を作らんとしながらもやはりウテナの呪縛に囚われそれが各所で現れてしまっているような気がしたのだ。
さてさて、来春には遂に幾原邦彦氏の新作「さらざんまい」が始まるわけだが、果たして氏は如何なる物語を見せてくれるのだろうか?
ここまで長々と書いて来た私の拙文を読んでいただいた方々、まことに感謝します。
PS.そのうちウテナとそのフォロワー作品ではなく、フォロワー作品同士で比較をしてみたいと思っている。「STAR DRIVER」と「少女歌劇レヴュースタァライト」の比較みたいに。果たして何か見えてくるであろうか?