雀犬 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
Yesterday Once More
2001年公開の「クレヨンしんちゃん」の劇場アニメ版。通常のTV放送は子供向けでありながら、本作は大人たちへの強いメッセージ性のあるかなり特異な作品として知られています。
Carpentersの不朽の名曲「Yesterday Once More」は、昔ラジオで聴いていたお気に入りの曲を今聞くと、当時の記憶が次々と蘇りたまらなく懐かしくて切ない気持ちになるという内容の歌です。本作では20世紀を黄金の時代と美化し、昭和的な物や匂いに囲まれた世界に人を閉じ込めて皆でノスタルジーに浸ろうと画策する、悪の秘密結社の名前としてイエスタデイ・ワンスモアが使われています。
20世紀博が開催されてから大人達は懐かしいものに夢中になり、ついには子供たちを置いて去ってしまいます。思い出はいつだって美しい。しかしなぜ大人たちは昭和的な世界にああも簡単に誘惑されてしまったのか、公開から20年近くたった今となっては補足が必要でしょうか。
戦後の日本はもう一度「坂の上の雲」を目指そうと、必死に坂道を登っていた時代で経済的な成長を誇りに思い、高揚感を感じていたとされます。そこから80年代に経済的な黄金時代を迎えるのですが、平成が始まってすぐバブルが崩壊し、日本は不況に苦しむことになります。以降は停滞が続き、本作が公開された2001年は「もはや高度経済の頃には戻れない」という諦めが大人たちの共通認識になっていた頃です。簡単に言うと日本は元気をなくしていたのです。
そんな時代の空気の中で過去は美化され、昭和の思い出に浸ろうよというイエスタデイ・ワンスモアの誘惑にオトナは負けてしまいます。労働や子育てといった大人の責務を放棄し、メンコやベーゴマなどの懐かしき遊びに耽るオトナたちの姿は哀愁や不快感が漂う。でも彼らの堕落した姿は当時の日本の大人たちを風刺しているのでしょう。いや今もそう変わりはしないのかもしれません。本作の問題提起は宙吊りにされたまま時は流れ、子供の頃クレヨンしんちゃんを読んでいた僕も、とうとうしんのすけに「ズルいぞ」と言われる齢になったのかと思うと複雑な気分になります。
90年代後半は少年犯罪が世間を騒がせて社会の歪みが問題になったけど、ゆとり政策の失敗に象徴されるように大人たちは結局有効な手立てを見つけられなかった。実のところ問題は子供ではなく大人にあったのもしれない。このアニメってさ、子供連れて家族サービスで仕方なく映画館に来た親に「お前らが元気ないから子供たちも元気ないんじゃ!」とモーレツな蹴りを入れる作品だよね(笑)
{netabare}
「最近走ってないな」というケンの言葉が人としての停滞を意味していたり、ひろしが自身の足の匂いで正気に返ったり、後半はしんちゃん一家が万博のタワーを登る場面で占められていて、特に最後のしんのすけが頂上を目指して全力で駆け上がるシーンが極めて印象的に描かれるなど、オトナ帝国は「歩くこと」や「足」が重要なファクターになっているんだよね。そこからメッセージを読み取るなら、子供は大人の後ろを歩く。大人が足を止めてしまえば子供の足も止まってしまう。だから例え今が下り坂であったとしても前を進まなきゃ駄目なんだってことだと思う。
{/netabare}
イエスタデイ・ワンスモアのケンが昭和を「栄光の時代」と美化とするのは良い面だけを強調して判断しているに過ぎない。例えば「24時間働けますか?」というかつての栄養ドリンクのキャッチコピーも、今なら「ブラック企業」「社畜」といったマイナスイメージで捉えられるでしょう。かつて目指した豊かな社会なんてものはすでに実現されている。「昔は良かった」が口癖の懐古主義者になるより、今の感覚や価値観を大事にするべきなんだよね。
僕は今回久しぶりに見て、ガキの頃あんなに笑ったしんちゃんの品のないギャグが笑えなくなったことに心の老化を感じてしまってちょっと寂しかったんですけど、本作のメッセージ性は今でも通じるものなので、平成の終わりに観返してみるのも一考かと。特に家族を持たれている方には刺さる一本じゃないかと思います。