「魔法少女特殊戦あすか(TVアニメ動画)」

総合得点
68.3
感想・評価
229
棚に入れた
934
ランキング
2157
★★★★☆ 3.3 (229)
物語
3.2
作画
3.1
声優
3.4
音楽
3.4
キャラ
3.4

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ossan_2014 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

妄想の二乗

怪物との戦闘が終結してお役御免になった魔法少女が、不正規戦の戦闘員として再就職する。

またもや「汚い」殺し合いを強制される「魔法少女」ものだが、「魔法」は「汚い戦争」に参入する動機づけのギミックでしかないようで、人間同士の国際関係であるテロや紛争を、異生物と戦う「魔法戦」と同一視させる思考停止の道具として導入されている。

うまく嵌まれば架空「世界」を強固に構築する効果的なギミックだが、いかんせん描写される「世界」の薄さが裏切っているようだ。

超法規的な「拷問」や、おそらく議会での審問やしかるべき報告義務を免除されていると思しき「特殊部隊」の不正規市街戦は、作中の「テロリスト」の存在によって正当化されている。
が、どこかの自称国際政治学者が主張していた、彼女の脳内にしか存在しないスリーパーセルとやらをそのまま映像化したような「テロリスト」の造形は、とても「世界」の構造を支えて背負って立つだけの強度があるようには見えない。

兵器を備蓄したアジトに集結して活動する、およそ現代のテロやゲリラ活動の教本には見られない「テロリスト」のテロは、ニュルンベルク裁判でゲーリングが主張したような、国民を好戦気分へ誘導する「敵」としての役割を割り当てられているハリボテのようにも見えてしまう。

対「テロ」への好戦気分とは、「日常」を守る不正規戦の「軍隊」への無条件の権限委譲として、「無辜」の市民の間に醸成される。

「無辜」の市民の「日常」は絶対に守らなければならない、という「言い訳」が、警察/軍隊による「拷問」の黙認や「審問」の回避を条件にした市民生活への「支配」の強化と、一方的に「守ってもらう」立場に固定される「無辜の市民」による支配の自主的な「承認」を生み出す。

「軍隊」と「市民」の、「支配」を軸とした抑圧の相互強化の構造を根本で支えるものが、本作では「テロ」だ。
テロという「敵」がある限り、ゲーリングの言う通り、軍隊はどこまでも戦闘のフリーハンドを獲得するし、「無辜」でありたい市民の欲望が、それを承認し続けることになる。

そうした難問を支える「テロ」が、自称学者の妄想的なスリーパーセルを模しているに過ぎない脆弱さは、しかし、エンターテインメントの舞台として致命的というわけではない。
別に政治論文ではないのだから、エンタメの設定が非現実であったところで欠点になるはずもない。

どうにもついて行きかねる「薄さ」は、この「エンタメ」性の方にある。



聞くところによると、銃マニアの中学二年生は、「テロリスト(強盗、暴漢、etc)に占拠された学校(教室、体育館、etc)を、銃を手にしたボクが解放する」という妄想をするのが定番であるらしい。

子供らしい英雄願望とは違うのは、この妄想を釣り支えている支点が、銃の取り扱いや戦闘射撃に関する知識であることだ。

「一般人」が知らない危険で強力な「銃」というものに関する知識を持っているボクだから、無知な「みんな」を救う=承認される=支配的に上に立つことができる。
要するに、「みんな」の上に立ちたいマウント願望のために、自分だけが持っている(と思い込んでいる)銃の知識が役立つ設定を妄想しているという事なのだろう。

本作の「薄っぺらい」印象は、こうした「妄想」の類型性が透けて見える「芸の無さ」に起因している。

特別な「力」を駆使して無力な「みんな」を護る物語は、多かれ少なかれ、この妄想の類型ではある。
が、自覚的な作品では、こうした承認欲求を隠蔽したり一般化して展開する、何らかの仕掛けや「芸」が発揮されているものだ。

銃マニア中二的な支配欲を実現する舞台として、そのまま軍隊依存の「世界」を引き寄せる芸の無さ。
しかも、「一般人」は知らない(ボクだけが知っている)銃の知識に重ねるものが、バカな「一般人」は知らないスリーパーセルの危険な「実態」、といったネットde真実の「妄想」を模していることが、マウント欲求全開の安っぽさを発散する。
製作者がこの「妄想」を信じているとか言いたいわけではない。「もっともらしさ」を構築する代わりに、安易に「妄想」を模写して済ませる姿勢が「安い」のだ。

「無辜」の市民を護る戦いに見せようとしながら、実はそれは見せかけで、護るという体裁で支配力を担保するために市民を「無辜」=無力に留めておく戦いなのだと、中二妄想が露骨に透けて見えてしまうのは、この「芸の無い」安さのせいだ。

「魔法少女」という設定も、宿命的に「戦い」に参加「しなければならない」という「言い訳」を用意することで、戦闘の動機が妄想の充足であることを隠蔽する装置に過ぎない。

作品の成立動機が承認欲求である隠蔽装置として「魔法少女」を使えば、説得的な「世界」や動機づけの構築をキャンセルできる、という思い違いが、この薄い「安さ」を生み出してしまっているようだ。

いくらなんでも、この「特殊戦」を見て魔法少女が市民を護る自己犠牲だと思い込むほど、視聴者は「安く」は無いと思えるのだが。

投稿 : 2019/01/26
閲覧 : 300
サンキュー:

6

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