アニメ記「脱力視聴」 さんの感想・評価
3.3
物語 : 2.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
親しい者たちが互いに、自分の気持ちを伝えられない不器用さのためすれ違い、傷ついていく分かり合えない人たちのお話
感じたことを列挙しているだけですが・・
親しい者たちが互いに、自分の気持ちを伝えられない不器用さのためにすれ違い、傷ついていく
分かり合えない人たちのお話。
このアニメは人間の心というものをを伝えたかったのだと思う。
意思、想念、記憶というものがよく表現の主題として登場していたように思う。
主要登場人物は「自分の本心を偽っている」「対人関係上の思い込みを意思伝達で解消しようとせず行動する」
人ばかりなのが悲惨でそういう一方通行による悲劇が連続して起きていた。
あのとき正しく伝えようとしていたら、という登場人物の後悔の内心が視聴していて伝わってきた。
人間関係の枠、組み合わせを人数では1名から3名を1つとして用意し、群像劇を展開する形式。
一方通行の気持ちを向ける本人も相手も悲惨な目にあったりという描写が大半。
例えば
フルイチの鬱屈した思いはフルイチ自身を破滅させてしまった。
原因としてはフルイチがハルに自分の想いを伝えなかった(遅すぎた)からで自業自得だが
ハル自身の振る舞いも遠因であったな。
普通は、もしも思いを寄せる女性が別の男性への思い(それも自分の親友の)を隠さず
自分の前で表現し続け、自分へは親友として接する状況で、が続くとすれば確かに男の心理としてこれは辛いだろう、
ザムドになった後のフルイチは人の醜さが加減なく表出していて見ていて本当に痛々しい。
リュウゾウはわかりやすい例で、自身の心を一切フサに伝えない事でフサに不信を抱かせた。
これは全部リュウゾウが悪い。
ナキアミが正しく想いをクジレイカに伝えない事でクジレイカがあのように人格形成されてしまった。
伊舟の想い、雷魚の思いは双方通じ合っているように見えて確信を互いに持てていないために
確たる思いの部分で分かり合えておらず、悲劇につながった。
ミドリは自分が感じた事を誰にも相談していなかった。特に、姉に対しての誤解を解くために姉と話し合っていない。
生きるものの生きたいという意志をテーマに含めているとすれば
巻き込まれて命を落とす名もなき市民、兵士の命の扱いが軽い、ぞんざいではないかな。
ルイコンの本質(白髪の人全員)が人の命を大事にしていないようだなというのも感じた印象であるが。
それゆえかナズナもテロ行為を悔いてはいない。
特に、設楽はナズナのせいで酷い目にあってザムドに成り、結局殺されているわけで、
やったことは本当に酷い。(最終話でナズナは可愛げにしているが多くの人を破滅させている)
ナキアミも、彼女が正しく想いをクジレイカに伝えない事でクジレイカがあのように人格形成されてしまい
テシュカの長に成り、、結果として多くの人が死んでいる。
ハルとミドリも、ミドリの思い込みが姉を信じられない原因に成り、軍へ志願する遠因になっている
ハルとミドリのすれ違いはミドリがザムドに成る原因と成り、ザムド化後にミドリは軍人を多数殺害しているが
ミドリ本人にはその事実についての自覚がみられない。(ハルと共にさっさと尖端島へ帰っていってそれっきり)
サンノオバも、彼女の方針でヒルコが撒き散らされていたわけで、
アキユキや雷魚のザムド化もナズナのテロも全部この女が原因なのに。
知らないところで人を破滅させ、人生を滅茶苦茶にし、狂わせ、時に死なせてしまう原因になっている部分への
想いはどうなってるのか?
主要人物は一見して心の葛藤を描かれる存在で悲劇性を有するが、大禍の引き金で加害者でもある。
登場人物が、こうした作為的、、不作為を問わず結果的に他者を破滅させた行動について、
責任を取らず自覚せずじまいだったところに、視聴後に私の場合はすっきりしない想いが残った。
全体を見れば物語の流れは南北の戦争に多くの人が巻き込まれ、同時進行で宗教上の儀式の時期が
南北戦争と重なってしまいその総がかりの時期とルイコンの儀式が重なって大悲劇となって最後に
一定の終結を見るというもの。
各編ではその時間の流れの中で思い込んでいる事、悩み、疑念、恋慕、葛藤、心を伝えない
気持ちの一方通行の人を交えた群像劇。
主要人物があちこちへ旅していたらいつの間にかというような、上記の戦争と宗教の儀式のタイミングが
一致する時期になっただけでストーリーと呼べる大筋はあるようには思えない。
登場人物の現在の所在地がばらばらで、シーンが飛び飛びぶつ切りになりがちで物語としてはまとまりがなくなっていた。
皇帝の実際の登場はそれまでの物語との関連性が薄く唐突。
このヒルケン皇帝の登場は作中の問題の締めくくりに必要だったのだろうか?
また、それまでヒルケン皇帝とアキユキの間に一切関係性が描かれていなかったのに
最終話直前で多大な関係性が実はあったのだというような(アキユキの投影的なものとした相反の存在)
風にいわれても納得しがたい。
最後に巨大ボスを登場させてそれを倒せば終わり、というのは物語をひとまず
終わらせようとするためだけに現れたような味気ない締め方。
その存在に必然の意味を感じない登場の仕方の場合はそう思える。
心理面の描写はとてもよいが人物の行動原理が掴みづらい。
ハルについては心理が頻繁に変わるので何度か、1年くらい時間が飛んだのかなと思った事も。
軍人になる前、なった後の新人の時、アキユキと再会した話の次の9話。2たび再開後、フルイチの死後、
軍本部へ監禁後~ミドリについて知った後、脱出後北へ向かうとき、北へついて3たび再会、同行中、
洞窟で儀式の陰惨さを目撃して心が折れたとき、ミドリと再会した時、アキユキと別れて北を去っていくとき、
そして最終話。
本当にこのヒロインの心理がわからない。
思いはアキユキを好きだという点で通じているが行動に一貫性がないように見える。
音楽は主題歌とエンディングはあまりにアメリカ的過ぎて作風にあっていないと思う。