キャポックちゃん さんの感想・評価
3.7
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
アイドルとゾンビの幸福な化学反応
タイトルから色物と思って気楽に見始めたが、意外にも、制作者のたぎる思いにあふれた熱血アニメの快作。ギャグ満載のアイドルものでありながら、少女たちの頑張りにグイグイ引き込まれ、最後には、感動大作を見た後のような爽やかな思いに胸が満たされる。
本アニメの特長は、アイドルやゾンビをフィーチャーするアニメの弱点が、両者を組み合わせることでうまく相殺されたばかりか、逆に化学反応を起こして興奮を呼び起こすこと。2つの方向から見てみよう。
(1) アイドルがゾンビである:
私は、アイドルアニメが嫌いである。これまで1ダース以上の作品を見始めたものの、ほとんどが数話見た段階で興味を失ってしまった。アイドルが、本人の才能や努力よりも、プロデューサーの企画力に左右される“商品”であることは、芸能界の実情を客観的に見れば明らか。この問題に目を背けて、まるで人気アイドルになることが究極の夢で、ライブに客が一人も来ないのが試練であるかのように描くアニメは、見ていて鼻白む(営業で客が一人も獲得できないなんて、大人社会では日常茶飯事)。これまで私が完走できた唯一のアイドルアニメ『Wake Up, Girls!』では、遣り手プロデューサーの冷酷な姿が的確に描出されていた。
これに対して、『ソンビランドサガ』は、「ゾンビになってしまった」という人間存在の根幹に関わる試練が、7人の少女に突きつけられる。アイドルユニットのプロデューサー・巽幸太郎による無茶振りは完全にギャグ扱いで、芸能人として人気が獲得できるかどうかは二の次。重要なのは、いかにして人間らしさを取り戻すかである。ライブの成功は、あくまでそのためのステップでしかない。第7話や第12話のライブシーンが素晴らしいのは、単にショーがうまくいったからではなく、そこに人間としての成長が描かれているから。
(2) ゾンビがアイドルである:
ゾンビを登場させたアニメは無数にあり、戦闘美少女がゾンビだとか、主人公がゾンビ萌えだとか、さまざまな変化球も制作されたが、「ゾンビになる」ことと真剣に向き合った作品は、ほとんどない(『スペース☆ダンディ』第4話くらいか)。ゾンビの本質を語るには死の描写が避けられないため、子供が主たる視聴者であるアニメで取り上げるのが憚られるせいだろう。
ところが、『ソンビランドサガ』は、「ゾンビがアイドルになる」という無茶な設定を押し通すことで、ギャグで粉飾しながら死を描くことができた。登場人物の多くは、かなり悲惨な死に方をしているのだが、それをアイドルとしてのキャラ設定に使っており、あまり話を重くせずに、人の生き死にに視聴者の目を向けさせる。
個々のエピソードは、きちんと読み解けばかなり奥深い。第2話で脱走した愛と純子が遭遇する事件は、「ただの人間であること」がそれだけでいかに大きな意味を持つかを示し、ゾンビの持つ哀しさを浮かび上がらせる。アイドル活動に乗り気になれない二人に対して、巽が口にすることば--
「あいつらはゾンビィだが、生きようとしている。
お前らは、いつまで腐ったままでいるつもりだ」(第3話)
は、(ちょっと笑える)名台詞だ。
主題歌「徒花ネクロマンシー」は、躍動感あふれる名曲。オープニングアニメの巽よろしく、ついつい曲に合わせてピョンピョン飛び跳ねてしまった(「年甲斐もなく」なんて言わないで!)。