tag さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
三人のヒロインの物語
この作品に語るべきことは多い。だが、今回は三人のヒロインについて語ろう。「3人?二人の間違いじゃないの?」と思う人は多いだろう。実際、おなじ「ゆうこ」という名前ながら「イサコ」「ヤサコ」と読み替えられ、その名前そのままの解りやすい性格の対比、そして、終盤で明かされる二人の因縁。こうなればこれは「二人のゆうこの物語であってそれ以上でもそれ以下でもない」と思いがちだ。だが、実は3人目のヒロイン、フミエの存在はとてつもなく大きい。
終盤、ほぼすべての主要登場人物が「関係者」であることが明かされていく。物語の発端はイサコとヤサコの確執=三角関係にあることがわかり、イサコと同じことをメガバアの弟子たるオバちゃんが4年前に引き起こしていたことがわかる。イサコとハラケンは最初っから事件の当事者だった。そして、ヤサコの祖父こそがすべての鍵を握っていた。あげくには電脳犬の伝助までが、事件の当事者=イサコ治療システムの一部だったことが明かされる。にも拘わらず、フミエだけは事件とは全く無関係であり続ける。
終盤、フミエの影が薄くなったのは当然だ。なぜなら、フミエは、メガネを取り上げられた後、自分の意志でメガネを手に取ろうとしなかったからだ。それは、フミエにとっては、電脳世界は大事なものではなかったからだろう。フミエにとっては友達のヤサコは大切でも、電脳世界はどうでもよかったのだ。
フミエは、イサコでさえ一目置くだけの電脳能力をほぼ自力で獲得できるだけの才能があった。イサコやヤサコ以上に電脳世界にのめり込んでもおかしくなかった。終盤、合併した小学校で、フミエが元第一小の男子にやられるシーンは示唆的だ。「メガネがなけりゃなにもできないくせに!」そう、チビでやせっぽちのフミエは電脳世界でこそ最強だった。その世界にフミエはなんの未練もみせないのだ。
ヤサコはイサコを現実世界に連れ戻そうと必死になる。演出がうまい(「NO DATA]と表記される抜け殻の黒い影はいかにもヤバそうで有無を言わさず「これはまずい」と思わせる)から気づかないが、なぜ、ヤサコはイサコを現実に連れ戻そうとしたのか?考えてもみよう。ヤサコは、自分が電脳世界にいると知りながらそこで出会った「やさしいお兄さん」と初恋に落ちれるほど、電脳犬の伝助を溺愛できるほど、の筋金入りのオタクなのだ。あちらの世界に行きっぱなしの状態をなぜ、ヤサコはそこまで忌避できるのか?京子がヌルに連れ去られたときも必死に連れ戻そうとする。ヤサコこそ「行きっぱなし」に最も違和感のない第一人物ではないのか?
それを教えたのはやっぱりフミエなのだ。メガネに興味のない母親や同級生のアイコではなく、自分以上に電脳に精通したフミエが惜しげもなくメガネを捨て「大事なのは現実」と言い放ったから、ヤサコは現実の大切さを認識できた。もし、フミエがいなかったらヤサコも京子もイサコとともに電脳世界に行ってしまい、伝助となかよくいつまでもそこで暮らしました、という「ハッピーエンド」もあっただろう。実際、京子もイサコも、ヤサコの必死の呼びかけがなければそのまま電脳世界にいたはずなのだ。同じく電脳世界にどっぷりつかりながら、なぜ、ヤサコだけが「現実」に固執できたのか。それはやはり、フミエ、という現実しか信じない親友がいたからだろう。だから、この話は見た目はどうあれ、イサコとヤサコとそしてフミエの3人のヒロインの物語なのだ。三人三様の電脳世界への対し方の対比の物語なのである。、