Howell さんの感想・評価
3.3
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 2.5
音楽 : 3.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
円谷テイスト(序盤の感想と視聴後の感想と考察)
特撮版未視聴
作画は誰が観ても良いと思えるレベル。
声優に関してはヒロインが個人的に下手に聞こえる。
それ以外はタイトルに尽きる。
音楽もブラス系を用いたBGMを使ってるし
物語を陳腐だと思う人もいるだろうけど昔の特撮の深い物語を除けば王道でシンプルな構成は円谷らしい。
ただただ円谷テイストが受けるかどうかが観る基準かな。
問題があるとすれば時間帯。放送枠のあれこれはあると思うけど配信を除いて深夜に放送するならストーリーは大人向けにしても良かったのでは?とは思う。
注意:これから書くのは感想及び想像なのであしからず…m(__)m
{netabare}
≪視聴後の感想≫
何となくで流してみたら酷評するところだった。((+_+))
この作品でポイントとなるのが
・アカネの現実世界
・アカネの想像の世界(コンピュータ・ワールド?)
・アンチ
・想像の世界の特異点(裕太)と内海と六花
・想像の世界の外のキャラ(ハイパーワールドから来た?)
序盤は何となくで戦ってきたので裕太達がアカネを救いたいと思った7話辺りから考える。
現実世界(3次元)を拒否したアカネが作った精神世界(2次元)に自身の欲求(ハイパーワールド的にはダメな事)を満たす為に住み着いたアレクシス(敵)を捕まえるためにやってきたハイパーエージェント達(味方)とアカネを救いたい裕太達が戦う物語。
<敵と味方・赤い目と青い目>
敵はアカネの負の感情で味方はアカネの正の感情。
この物語の主要キャラの目を見ると敵側が赤色で味方側が青色となっている。そこでカギとなるのがアンチと六花。
アンチは物語を通して怪獣からヒーロー(グリッドナイト)になる。目で言えば左目が赤で右目が青(丁度裕太達がアカネを救いたいと思ったあたり(7話)でアレクシスに目をやられて最終話まで隠してるのでその間に変化した)
アカネは青ベースに赤が入っている(目の内側が赤で外側が青?)
この二人から思うのは
アンチ=アカネの(精神的な)扉(12話にて)を開くかどうかの過程の象徴
六花=「後で考察⇒」
<最後の実写(3次元)シーン>
アカネと思われる子が目を覚ます(2次元から3次元へアカネが精神的な意味で現実世界へ戻る)。
このシーンには2つのポイントがある。1つは六花がアカネに渡したパスケースがある(パスケース自体は7話辺りで出ている。色は想像ではピンクで現実では青。ちなみにイヤホンも違う。想像ではアカネが白,六花が青,現実が黄色)こと。もう一つは目を覚ました子が黒髪ロングだった事。
ここから分かるのは想像の世界のアカネが現実世界のアカネの理想の存在で六花が現実のアカネであると言う事。(わかりにくい( ´艸`))
ちなみに六花の部屋と現実世界のアカネの部屋を比較するとアイロンや姿見鏡にヘッドホン・消臭スプレーなどが一致する(かぶってもおかしくないものばかりだけど…)
<アカネにとって3人は何だったのか?>
裕太が恋人・内海が仲のいい友達・六花が親友として作ったと考えてる考察があったけど「友達も親友も上手く関係が作れていないのに恋人なんて考えるか?」と思ったので個人的には
裕太が"「自分」を肯定する存在"で
内海が現実で望んだ人間関係(友達)で
六花は"本来の自分"(アカネが想像の世界を作る前)
それぞれをこのように考えた理由は
裕太:「<裕太が特異点であった理由>」で考察
内海:
微妙というか絶妙な存在。まさに親友ではない"友達"と言う存在。
10話において裕太と六花はアカネの為に動いているけど内海は違った。内海は裕太と六花と言う友達を思って誘いを断った。 ここにアカネの友達に対する感覚のミスがある。もしアカネが裕太や六花と本当に友達になれていたら(夢の中だけど)内海も友達になっただろう。まさに「違う出逢い方」をしていれば友達になれた。 そういった意味では内海の行動も結果としてアカネの為なのかもしれない。
12話でアカネに言いたいことがあるのに「やっぱ"あそこ"には入れないや」と言っていて、この"あそこ"と言うのはアカネと六花の中と言う事だが言い換えれば六花はアカネ自身であるので「"個人の心の中(もしくは親友の関係)には"入れないや」と言う意味合いなのかなと思った。つまり友達の距離感が表現されているように思えた。
六花:
六花が"現実の自分(想像の世界にこもってる今のアカネ)"なら問川などの友達を思う六花の性格でいると言う事になるのでこのような世界を作る必要がない。
加えて「後で考察⇒」がここに来る。六花の目は殆どが青色だが下部の一部が赤い。六花の目の赤い部分が想像の世界を作り出した現実のアカネの心なのかなと思う。
作られがすべて理想なら六花が理想の親友だと思ったけど12話にて
六花「私はアカネと一緒にいたい。どうかこの願いがずっと叶いませんように。」
言い換えると「私は理想の自分と一緒にいたい。…」と言う事になるので本人と言う事になる。
<裕太が特異点であった理由>
最終話で裕太が六花の事が好きだと確定する。ここに何故裕太が特異点だったのかの理由がある。それはアカネが周りのみんなが自分に好意を寄せるように作った世界の中で唯一他の人を好きになった事。
では何故、裕太は六花を好きになってしまったのか。それは現実のアカネ自身が望んだ(肯定してくれる)存在だから。つまり想像の世界においては理想によって作ったアカネ自身ではなく本来の自分にあたる六花となる。
加えて裕太が"「自分」を肯定する存在"である理由
7話でアカネに自分は仲間かと聞かれた際に口を紡いでいるのに作中を通してアカネを救おうとしている。
10話で「私より大切な事」と言うアカネに対して裕太は「アカネにとって大事な事」と言っている。
このことから"自分(現実のアカネ)"="本来の自分"もしくは"本当に望んでいるプラスの自分"を肯定している存在なのかなと思った。
こういった所も特異点である理由なのかもしれない。
若干分かりにくいので簡潔に言うとこの肯定対象は今の負のアカネではなく自らの弱さを認めて前に進む最終話のアカネに対するもの。
{/netabare}
<最後に>
何も考えないで見たら最終話で色々やってご都合主義で終わるように見えるところだった。結局はアカネの心の中の動きなのであれくらいアカネが情緒不安定なのも展開が精神的なものに依存するのも納得できるかな。
声優の評価は低くしてるけどボラーの役作りをした悠木碧さんは本当に凄いと思う。つか年々上手くなっていく…w( ゚Д゚)
この考察のどれくらいが製作された方の考えにマッチしているか分からないけどこれだけ考えられる良い作品であることは間違いない。
次また見直す機会があれば"アカネの精神世界"であることと"作られの存在"を意識して観ようかなと思う。
滅茶苦茶どうでもいいけど内海を考えるたびに内海桂子師匠が浮かぶw
書きすぎた…汗
見てくれた人もしいたら あざまーす。(^_-)-☆