ostrich さんの感想・評価
4.0
物語 : 5.0
作画 : 3.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
君にとってもいい話だ
原作既読。ていうか、原作は私の魂の一部と呼んで差し支えないマンガだ。
そういう原作ファンが鑑賞してどうだったのか、という視点で下記を読んでいただきたい。
結論からいえば、満足のできる出来栄えだった。
まず、シナリオが原作にかなり忠実、というか、ほぼ、そのままだ。まあ、原作を最後に読み返したのは数年前になるので、細部まではわからないが、私のような方は、本作を観れば原作を読み返すのとほぼ同じ体験ができるんじゃないだろうか。
変更が加えられていたのは、主に時代設定と主要登場人物のキャラデザインだ。とくに後者については、(序盤の)新一、里美、加奈には、かなりの変更が加えられている。はっきり言って、別人だ。
ただ、このデザイン変更は少なくとも私には悪く作用した。原作のデザインに特別な思い入れがあったわけではないのだが、私のあるトラウマに触れてしまい、リアルタイムでの視聴は見送ってしまった。
ご存知の方も多いと思うが、本作は「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督によって実写映画化されている。だが、それ以前には「スパイダーマン」のサム・ライミ製作、「呪怨」の清水崇監督によるハリウッド映画化が噂されていた。そして、私は後者をとても楽しみにしていたのだが、音沙汰がなく数年が過ぎた後、山崎貴監督での実写化が報じられることになった。
正直なところ、ひどくがっかりした。山崎監督ファンの方には申し訳ないのだが、私は彼の作品で感心したものは一本もないのだ……
よりによって山崎貴か、と……
私は、一応、現行の実写版を観ている。思ったより悪くはなかったが、取り立てて良くもなく、前編だけしか観ていない。もちろん、後編で巻き返した可能性もあるので、実写版全体を批評できる立場にはないが、思春期に原作と出会い、何度となく読み返している身としては、前編が可も不可もない作品であった時点で、「もう、いいや」となった。
このトラウマがあるので、本作における主要登場人物ののデザイン変更は視聴を見送るのに十分な理由になってしまった。
重ねて言うが、原作のデザインに思い入れがあったわけではない。ただ、映像化にがっかりしたくないかった。「寄生獣」というタイトルの別物を観たくなかったのだ。
そういう気分のところに、本作のデザイン変更である。
この変更はメインビジュアルに大きく作用し、本作オンエア前に露出したビジュアルからは別物感が漂っていた。結果、私は視聴を見送ることになったわけだが、私のようなオールドファンは少なくない気がする。
だが、実際に観てみれば、本作はちゃんと「寄生獣」になっていた。動く「寄生獣」になっていた。
本作を観終わった今、私はデザイン変更についても、デザインそのものの良し悪しとは別のところで、比較的好意的に受け取ることが出来る。
おそらくだが、原作未読の今のアニメファンに訴求しようとしたのだろう。私はそうは感じないが、原作の絵柄は古いらしいので。
時代設定の変更も、(先には記述しなかったが)キャラクター設定の若干の変更も同じ理由だと思った。
総じて言えば、20年前の原作を今に合わせて最小限のチューニングを施した、といったところだろうか。
もっとも、私自身はそんなチューニングはなくても楽しめたと思うが、それを言うのは、オールドファンの狭量というものだろう。実情は分からないが、もし、この狙いが当たり、本作によって、「寄生獣」に触れる機会を得る方が増えたのなら、私としてはとても嬉しい。
また、アニメ化されたことで原作を読んだ時点とはまた違った感慨もあった。特に好意的に感じたことを下記してみる。
■ミギー
本作のミギーはとても良かった。
特徴を捉えた作画と声優・平野綾の演技があいまって、なんだか、とても、可愛らしい。私は原作から、もう少し、硬質な印象を受けていたのだが、これも全然アリだ。
それどころか、可愛らしく感じた結果、終盤の展開が原作以上に切なく感じた。
実は私は原作を読んで泣いたことは一度もないのだが(そもそも、私にとって原作はそういう作品ではない)、本作では当該箇所を始め、何ヶ所か泣きどころがあった。
■田宮良子/田村玲子
先述のとおり、私は原作を何度も読み返しているのだが、田宮良子(田村玲子)の最期のシーンについては、未だによくわからないことがある。
{netabare} なぜ、彼女の死によって新一の「胸の穴」が塞がる(トラウマが解消される)のだろうか。{/netabare}
今回、本作を観て、このシーンの新一と田宮良子(田村玲子)の関係は、犯罪の被害者と加害者の関係に似てるな、と思った。
{netabare} ※田宮良子(田村玲子)が新一の母親を殺してはいないのだが、殺した側の存在ではあるし、新一はこの時点まで、寄生生物を「やつら」と読んで同一視、敵対視している。{/netabare}
実は犯罪被害者が加害者とコミュニケーションすることによって、ある種の救いを得ることがある。私は犯罪に巻き込まれた経験がないので想像に過ぎないが、たとえば、被害者が加害者を赦すことで、何か心の重荷がとれるのかもしれない。
このときの新一にもそれに似た心の作用があったのではないか、と思った。
このシーンについては、原作を読んだ当初から胸を打つものがあったのだが、その正体まではわからなかった。今回、本作を観たことで、わかったとは言わないまでも、ヒントはもらえた気がする。
ちなみに、このシーンも泣きどころのひとつだった。
エピソード全体が「親と子」という普遍的で身近なテーマだということもあるが、それは原作も同様だったはずだ。泣けた理由は前項と同様、アニメーションしていたことにあると思う。
■観ろよ、新一
本作は、原作に含まれていたにもかかわらず、オールドファンの私が気づかなかった、あるいは、感じ取れていなかったものを伝えてくれた。そのことには感謝しかない。
変更点が効果的だったのか、という疑問はいくらか残るが、原作とほぼ同じ展開で原作とは違った(好意的な)感慨を与えてくれたわけだから、原作付きアニメ作品としては成功していると断言出来る。
本作を多くの方に観ていただきたいが、私と同じ原作のオールドファンで未鑑賞の方には特にオススメしたいと思う。
以前の私同様、グダグダと観るのを躊躇っている輩には、私が右腕に入って、テレビの前に引きずっていきたい気分ですらある。
「いいか。観ろよ、新一。君にとってもいい話だ」と。