こまたち さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
やはりシャアが地球にこだわる理由がこじつけにしかならない
1988年に劇場公開されたU.Cガンダム
シャアとアムロの長きに渡る因縁の決着を描いた作品。物語はシャアが地球に隕石落とし作戦を遂行している場面から始まる。場面切り替えが多く、物語の展開も早いが、(丁寧な作りこみのおかげか)いつもの富野作品のような難解さは皆無。本作初登場のハサウェイとクェスのやり取りではニュータイプ論やシャアの行おうとしていることに対する一般論が述べられている。これは視聴者の(極めて)一般的な気持ちや意見を代弁するものでもあるので、物語の導入としては満点の評価をあげたい。余談ではあるが、おそらく富野監督が視聴者にここまで配慮したのは本作が最初で最後。
本作の最大の面白さは大層なごたくを並べていても結局のところは全てがララァに帰結するというところ。シャアが地球に残る人々に絶望したのは確かだろう。ただ拠り所となるのはやはりララァ。そしてそのララァを自分から奪ったアムロに矛先が向く。ギュネイが劇中で言ってたこともあながち間違いじゃないかもしれないですね。表では人類の未来や、地球人に対する絶望と制裁を語りながらも裏では子供っぽいプライドや理屈を掲げるシャア-。表でも裏でもたどり着く先はおそらく同じ。このなんとも表現しがたいシャアの信条・心理が私的にはおおいに楽しめたところです。そしてそれはアムロも同じ。余談だが本作を見てから0083という外伝作品のOP曲に『Men of Distiny』という楽曲があったのを思い出した。本作でもララァによって運命を狂わされた(運命にとらわれた)2人という意味ではピッタリの表題かもしれない。
さて私が本作を視聴してるときに、また視聴し終わったあとにも一番疑問に思ったセリフがある。そしておそらくはこのセリフに今までのシャアの全てが詰まっているであろうと確信した。本作においてはアムロの主義・主張はその理想主義的な甘い考えを容認できるか否かは別として、まずもって簡潔に理解できる。ただシャアに関してはかなり事情がこじれているのでそうはいかない。もちろんここではファーストやZで描かれたことも踏まえている。表面的には理解できるものの、彼の思想そのものが何に根差しているか、ザビ家の復讐が何ゆえより高尚な目的、つまりは人類全体のニュータイプへの革新を訴えることになったかを考えるとなかなかに奥が深い。ただ前段でも語った通り、ララァがその源であるとすればほぼ解決する。そしてその最大の根拠がシャアのこのセリフ『ララァは私の母親になりえた女性だった(一部引用)』。
ララァがお母さんに?へ?マザコンなの?と思わなくもなかったがなんせシャアのお家事情の細部が描かれていないのでそれは分からない。一般的に母親とは?と考えてみる。母親-。わが子を産み、愛し育て、行く末を見守るもの。ときにはわが子をしかり、ときには甘えさせてくれる存在。自分の全てを包み込んでくれる優しさ、温もり。こんなところだろうか?ここから類推するにシャアにおけるララァの存在とは”自分の進むべき道をさし示し、そこに導いてくれる存在。そして彼の見つけた明るい世界の源(光)であると同時に世界と人類の希望的な可能性”、そんなところであろう。劇中のセリフからもほぼこの路線で間違いないと確信している。ではなぜそれを人類全体に訴求したか?一般的な回答としては悲劇を繰り返さないためとか力あるものの責任としてとかが挙げられるか。それももちろんあっただろう。しかし私個人の考えとしては、おそらくシャアは”明るい世界”を取り戻したかったのではないかと考えている。”明るい世界”とはヘッセという文豪の小説『デミアン』から引用したワードだがその意味するところは家庭的な温もりや安心感、優しさ、または家庭そのもの。同書によればその外には”暗い世界”が広がってる。”暗い世界”とは本作においては戦争、政治の腐敗などを指す。つまりシャアはザビ家の父暗殺によってそれまであった自身とその周囲の”明るい世界”が崩壊し、復讐という”暗い世界”に精神を包まれ身を投じることになった。そしてララァとの出会い・交流がシャアに再び”明るい世界”の可能性を見せる。そのララァは自分を庇ってアムロに討たれるものの、彼らのニュータイプによる一種の共感のようなものに自身の進むべき未来を見る。つまりは”明るい世界”へと帰郷する望みが見えたわけだ。シャアはララァがアムロに見出したものを”優しさ”と表現していたが、そのよううに人類全体が優しさで包まれる世界こそシャアにとっての理想郷でありかつての故郷だったのかもしれない。そのような事情からエゥーゴ代表として演説をし”地球に住む人々が宇宙にあがるべきだ”と、一度は人の可能性を信じて訴えたのであろう。ここでの狙いはもちろん、人類皆がニュータイプに覚醒することによって優しさに包まれた”明るい世界”を実現すること。ただそれとは別に、もう一つ思惑があったように思われる。端的に言えば、これ以上人類に地球を汚染させないことだ。母なる星ともいわれるように、地球が全人類の根源であることは自明の理。数多の生命を生み、育んできた生きとし生けるもの全ての母親。”明るい世界”の源にして光、またはそのもの。これを享受してきた人類は地球に感謝し、受けっとったものを大切にしなければならない。そしていつかは恩返しをしなければいけないはずだ。だが実際はどうだったか。古代はともかく、文明が進んだ本作においては人間は地球をただ汚し、今ある”安寧(幸せで平穏な日常)”に必死にしがみつことするだけだ。そしてその安寧は堕落と腐敗を生み、やがて地球を喰らいつくす―。そんな人類に絶望し強硬策を講じるシャアの気持ちもよく分かる。
…と、ここまで考察を進めてはきたが、結局のところシャアの行動原理はマザーコンプレックスのそれ。母性を感じるものに包み込まれたかったのだろうなと。なんかそう思うと安っぽくみえるな…。まあでももとから少し子供っぽいところはあったし、描き方としては不自然さがなくて良いのかな。
以上。
今回は感想というよりは考察よりのレビューでした。