キャポックちゃん さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
奇跡のような傑作
【総合評価:☆☆☆☆☆】
2002年の初放送以来、DVDや動画配信で繰り返し鑑賞したが、何度目であっても、数分おきに涙ぐみ、時には、抑えきれずにポロポロと涙をこぼしながら見た。もし、無人島に島流しされるとき、アニメを1本持参して良いと言われたら、この作品か『青い花』を携えて行く(あ、でも、無人島でどうやって視よう)。
物語は、周囲を高い壁に囲まれた古風なグリの街を舞台に、一般の人間に混じって生きる灰羽たちの日常を描き出す。灰羽とは、人間の少年少女とほとんど変わらない外見で、ただ、天使のような光輪と羽を持つ存在。しかし、その羽は、天使の純白ではなく、灰色にくすんでいる。灰羽たちは、巨大な繭からさまざまな年齢の姿で誕生するものの、過去の記憶はない。人間社会で穏やかに暮らしながら、いつしかひっそりと消えていく。
『灰羽連盟』の素晴らしさは、シンボリズムとリアリズムの絶妙な調和にある。
グリの街には、灰羽たちを支援する組織・灰羽連盟があり、さまざまなルールが定められている。例えば、灰羽は新しい服を着ることが許されず、古着屋で入手しなければならない。金銭は使えず、買い物には、連盟が支給する灰羽手帳のページを破って証文とする。社会から守られながらも行動が制約される姿は、民俗学で謂う所の「まれびと」を連想させる。そうしたシンボリックな側面を持つ一方で、灰羽たちは、ケーキが好きでニンジン嫌いだったり、急に寒くなると風邪を引いたりと、実に人間的だ。
文学に馴染みのない視聴者は、象徴的な作品に接するときのスタンスがわかりにくいかもしれないが、この手の作品は、鑑賞する側が自由に解釈してかまわない。ミステリ的な作品ならば、作者が用意した“真相”がある。文学で言えば、エーコ『フーコーの振り子』やナボコフ『ロリータ』は、随所に伏線が張り巡らされており、読者がそれを読み解かないと、秘められた真実に驚愕できない。
これに対して、象徴的な作品には、真相や正解がない。カフカ『審判』のヨーゼフ・Kは罪を犯したのか、ホフマンスタール/シュトラウス『影のない女』で影がないことと子供が産めないことにどんな関係があるのか--あれこれ詮索しても、納得のいく答えは得られないだろう。『灰羽連盟』も同様である。
もっとも、真相や正解がないとしても、表現されたものの背後に「何かがあるのでは」と思いを巡らすことは、豊かな人生体験となる。ラッカがセーラー服に似たワンピースを選んだのはなぜか、壁の中の水路で流されるとどこに行き着くのか--自分がその場にいて登場人物と同じ体験をするところをイメージすると、さまざまな思いが沸く。そうした思いは、決して“正解”ではないだろうが、作品世界の拡がりを感じさせるとともに、作品の内側から実人生を観照する方途を示してくれる。
見る者に多くの思いを抱かせるのは、作品が持つリアリティの賜である。『灰羽連盟』では、衣食住の細部に至るまできちんと描写されるので、視聴者は、実体験と結びつけながら、自然と作品世界に没入できる。例えば、ラッカが初めて古着屋を訪れたとき。箱に詰められた古着の山をあさる灰羽たちの脇で、吊しの服を選ぶラッカの戸惑いが微笑ましい。あるいは、クウの部屋を掃除していたラッカが、ふと机の上を撫でると、指先に埃が付くシーン。その瞬間、非情な時間の流れが感じられ、胸が詰まる。
特に私が好きなのは、第7話に登場する豆のスープ。クウが働いていたカフェの店主が、テイクアウト用の竹の容器に注いでくれたもので、何とも美味しそう。このスープにリアリティが感じられるからこそ、続くシーンのどうしようもない悲しさが心を打つ。
『灰羽連盟』の作画は実に繊細で、同時に力強い。例えば、月明かりの下、ラッカがバルコニーで物思いに耽るシーン(第5話)。薄暗い背景に比べて、中央はくっきりと影を映すほどの月明かりが冴え、佇むラッカの姿を優しく浮き上がらせる。制作状況が逼迫して慌ただしく描いたのか、シリーズ後半では、時に人物の描線がゆがむこともあるが、「これを表現したい」というアニメーターの思いが画の隅々にまで溢れているので、気にならない(逆に、表面だけ派手に美しく描いても、何を表現したいのかわからない画は、下手だと思える)。
音楽も素晴らしい。深い象徴性を持つ場面には、押しつけがましくない、心をそっと撫でていくような音楽が付随する。灰羽が西の森に足を踏み入れるシーンが何回かあるが、5人の灰羽が遺跡を訪れる場面(第5話)では荘重な管弦楽が、ラッカが鳥に誘われるように迷い込む場面(第8話)では不安を感じさせる独奏ピアノ風の音楽が、いつまでも鳴り続ける。
優れた芸術作品は、個人作家が自分の内奥の最も深いところから生み出すという考え方があるが、偏見に過ぎない。多くのスタッフの共同作業であっても、全員が心を一つにして制作したときには、奇跡のような傑作が生まれることがある。『灰羽連盟』は、そうした作品である。これを見ることができる幸せを、噛みしめてほしい。