「Angel Beats!-エンジェルビーツ!(TVアニメ動画)」

総合得点
90.1
感想・評価
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ランキング
65
ネタバレ

MLK さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

無題

学生時代見たときは全く良さが分からなかったが、先日見たら新たな発見があったので。「Air」「Clannad」から「まどマギ」「シュタゲ」「Charlotte」までの流れを考えて。

全く分からない人向けになぜこの5作がこのAB!評に出てきたかと言えば、英語タイトル三種は2000年代美少女ゲーム(原作)ブームの台風の目であり、本作を作ったkeyというゲーム会社の作品であるから、そして残り2作は2010年代以降に発表された美少女ゲームライターによる作品のうち最も売れた二作であり、key作品の影響が見受けられるからだ。

key作品の人物配置のパターンについて一言で言い表すならば、「傍観者」と「苦しむ者」だ。もっと言えば、「苦しむ者」は物語を紡ぐキャラクターであり、「傍観者」は物語を外側から眺めている我々の分身だ。

「Air」では視点がカラスに切り替わりまさにキャラクターを傍観するという演出や、「Clannad」でも超越空間が存在し、すべてのルートを攻略することでtrue endにたどり着けるシステムさえ奇跡の演出に組み込むという、明らかにプレイヤー視点を意識した演出が行われている。

哲学者の東浩紀によれば、これは作品がゲームであることと深い関係があり、プレイヤーとしての我々の立場を埋め込んだものである。



では、「Angel beats!」はどうか?

結論から言えば、やはり「傍観者」「苦しむ者」の人物配置は変わっていない。本作で言えば、前世に辛い記憶を持たない音無と奏が傍観者であり、ゆりをはじめその他すべての戦線メンバーが「苦しむ者」に当たる。(だからゲームでは全員の攻略ルートが存在する?)

しかし、本作での「傍観者」は超越的な力に頼らずとも「苦しむ者」に介入してハッピーエンドに導くことが可能であり、無力な存在とは言えなくなっている。プレイヤーは自らの意思と力で物語の結末を変えることができるようになったのだ。だからこそ、自分の手で世界を変えられると思ったプレイヤー・音無は最後にずっとこの世界にいたいと願ってしまうのだ。

「まどマギ」「シュタゲ」は明らかにこの流れを含んでいる。まどマギでは「苦しむ者」である魔法少女たちと「傍観者」まどかという人物配置がなされ、やはり「苦しむ者」の物語を変えるためになんと「傍観者」が神になって世界を変えてしまう。ここに「傍観者」の変質が見える。

従来であれば「傍観者」はほむらであった。彼女の持つタイムリープ能力は同じゲームを繰り返して違うルートを楽しむプレイスタイルそのものであり、繰り返しても結末を変えられない彼女は無力な「傍観者」の立場を強く反映したものであった。

しかしまどマギではその外側にもう一人まどかという「傍観者」を置いた。まどかは最外縁にいるために、ほむらさえも「苦しむ者」としてとらえ、自らが超越者になることによって物語をハッピーエンドへと導く。ここに、物語を外側から眺めシナリオをハッピーエンドへと導く「超越者」という人物が新たに加わった。

シュタインズ・ゲートでは、岡部一人の中に「傍観者」と「超越者」が設定されている。実質的にタイムリープ能力を持つ岡部は、「傍観者」の視点から、たった一人今の世界が最高のハッピーエンドでないことを知っているために苦しむが、最後は結局自分の力で未来を変えてしまう。

この三作に共通するのは、「苦しむ者」「傍観者」「超越者」の人物配置だ。私はこの三作に関してあまり評価が高くないが「超越者」を入れることによってエンタメ的により分かりやすくなったのは確かであり、人気が出たのは分からないでもない。(繰り返すが私は好きでない)




ではCharlotteは?というと、この作品でははっきりともう一歩前進し「苦しむ者」と「超越者」の組み合わせになっている。「傍観者」の象徴であったタイムリープ能力は主人公の兄が持っていたものであり主人公に受け継がれるが、継承された直後に使用できなくなり、主人公は「超越者」として戦う運命を背負うことになる。

この「傍観者」の否定は意図的なものだろう。少なくとも、虚淵玄はどんどんこの方向に進んでいるし、「君の名は」「シン・ゴジラ」いずれにも傍観者は存在しなかった。(「この世界の片隅に」は逆に傍観者を見事に描いていたが、むしろオタク文脈では「シン・ゴジラ」が最高とされた)だがしかし、人はほとんどの瞬間で無力ではないのだろうか?



と、大いなる脱線を経てAB!の総括をすれば、本作は「傍観者」から「超越者」への橋を架けてしまった作品だ。しかし、後の作品のように「超越者」としての快楽に身を委ねているわけではなく、「傍観者」としての目線も忘れていない。2018年に見て人生観が変わるほど感動できるかは分からないが、その時代の残滓は感じることができるはずだ。

投稿 : 2018/08/18
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サンキュー:

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