「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語(アニメ映画)」

総合得点
86.8
感想・評価
1963
棚に入れた
9968
ランキング
185
★★★★★ 4.2 (1963)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
4.3
キャラ
4.2

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ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

まど☆マギ 深化の物語

TV版それと劇場版[前編]始まりの物語&[後編]永遠の物語を視聴済み。

むしろ手前の物語を未視聴なら本作に手を出してはなりませぬ。
せめて劇場版前編後編をおさえてからでどーぞ!

以下レビューは前作品視聴済みを前提とします。
まだの方はちょいちょいネタバレ要素が出てきますのでご注意を。新編のネタバレは隠します。


さてこの劇場版ですが、、、

 TV版の続編として期待を裏切らない傑作

でした。


TV版と同様に、“展開に衝撃を受ける”という作品の特性をしっかり踏襲してます。予想を裏切る展開!これこそ魔法少女まどか☆マギカです。
鑑賞後、何があったか「わけわからないよ」に陥った方は少なくないはずです。そうした場合、、、


 何回も観ましょう(笑)


あれほど完成度の高い12話を受けてどう続きの話を展開させていくのか?
そもそもTV版放映後に一般人のアニメファンではない層をも開拓し、数多くの二次創作が出回り、深夜アニメ初の劇場版というアニメファンの願望をも背負い、とただの期待作以上のものを担う羽目になった本作で、それに応えることができたか?これも答えは“YES”です。


理由①:予想を裏切ったということ。本編の展開を予想できた人はそうそういなかったでしょう。

理由②:次に劇場版ならではの既存客(ファン)へのサービスがあったということ。ファンの胸をアツくさせる描写いくつもありましたね。
{netabare}TV版ではとことん報われなかった彼女達がどこか幸せそうな表情を浮かべてたのが感慨深い。{/netabare}

理由③:それと見逃せないのが予定調和もしくは設定の踏襲。これもしっかりあったこと。前作を踏まえてないとファンは離れます。大枠ではファンサービスの範疇になるかもしれませんが、「ファンが見たいシーン」と「ファンが納得できるシーン」は違います。本編を最後まで観れば物語が前作から外れたものではないと納得するでしょう、と言いたいところですが。。。

この基本三点おさえているというのが、前述“YES”の理由です。
ただ三点目の予定調和の部分でのゆらぎはあって、前作を踏まえているか?そうではないのか?
{netabare}ほむらの結末に納得できるか?否か?にそれは現れます。{/netabare}
こんなはずじゃなかったのに、と思っても仕方ない部分がこれまた物語の核だったりするのがどうにもこうにも意地悪ですな。ここに解釈の余地を持たせたのもきっと製作者の意図です。



それでは開幕。
のっけから劇団犬カレー全開でこれがまどマギであることに安心感を覚えます。それから40分間は長めの導入部分になるかと思います。
なんというか私達が見たかったものがそこにありました。
一方それと並行して、「ん?これ続編だったよな」「いつまで回想シーンっぽいのが続くんだ?」みたいなどうにもきまりの悪い時間帯がしばらく続きます。

違和感を覚えつつも、なんとなくこのままでもいいんじゃないかと
{netabare}さやかがほむらに言ったようなことを{/netabare}
こっそり思いながら40分後、違和感に終止符が打たれます。

思えば、前作品でマミさんがアレしたのも開幕40分後くらいでした。

前作では初見では薄いと感じやすかった導入部分も本作の導入部分はだいぶ没入感が強めです。濃厚と言ってもよい。
以降は、魔法少女5人+αの立ち位置が把握できればすんなり後半に突入できると思います。
{netabare}
※魔女見習い暁美ほむらの結界のなかでの各々正しい記憶のあり方

■マミさんと杏子
もともとは魔女との戦いで死んだ人達、または魔女化しなかった人達。まどかが構築した魔女の存在しない世界では、もともと魔女なんていなかったんだから魔女に殺されたという事実がリセットされていて現実世界で存命。まどかも魔女も存在自体を知らない。
■さやかとなぎさ
もともとは現実世界では魔女化した人達。まどかの世界再構築の際、現在過去未来にわたって歴代魔法少女は魔女化する直前にまどかに導かれてこの世の生を終え、円環の理に導かれる。まどかの存在を知っててもおかしくない。魔女になった時の記憶の有無はよくわからないっす。劇中では魔女の存在を知っていましたね。
■ほむら
立ち位置としてはマミさんらと近い。この世でただ一人、まどかがアルティメットまどか化したことを知っている存在。というか世界の再編ビフォアアフターを唯一知っている存在。
■まどか
本編で普通に説明されてたので割愛。
{/netabare}

物語の概要はここまでで、後は現物を観てみましょう。


そんなこんなで結論はほむらでしょうね。
みなさま納得感得られましたでしょうか?
私は受け止めてます。

※以下考察になるかしら。抒情的なのでキモいと思います。
{netabare}
■悪魔ほむらに救いはあるのか?
どっちかに決めろだったら、ありません。でもほむららしい決断だよね、になるのかなと。
結果として、まどかの魔法少女達への祈り(円環の理というシステム)はそのまま維持されます。魔女が生まれない世界のことです。
そこで終わりにせずに、ほむらが悪魔にならなければさやかやなぎさが現実世界に戻ってくることはなかったでしょう。
また、まどかの祈りは、あくまで私を滅して公に殉じたことなのをほむらはまどかに直接確認してました。そのまどかの個人的なささやかな想いを掬い上げるためにほむらは神の摂理に挑戦せざるを得なかったのでしょう。こちらも結果として、まどか(の一部)を現実世界に戻すことに成功しました。
さやかもまどかもある意味救われた。そのためにほむらはまた犠牲を強いられたという見方があるかもしれません。
悪(欲)があることで現生利益が保たれているという見方もあるかもしれません。
“悪魔”というキーワードだと、欧米人が大好きな、神と悪魔、善と悪の二項対立がイメージされやすいためある意味ミスリードだと感じます。悪って言葉の通りなんか悪そうというイメージ。聖書では欲=悪の解釈もありますし、悪魔を欲望と変換してみるとわかりやすいかと思います。

もう哲学的宗教的な世界ですね。勝手に自分が言っといて頭が痛くなりそうです。
{/netabare}
{netabare}
■公と私(わたくし) アガペーとエロース
高校の倫理の授業で習ったギリシャ哲学のアレです。
アガペー(天上への愛)とエロース(俗人的な愛)ってやりませんでしたか?
ほむらはどこまでいっても“エロース”で、すがすがしいくらいまどかしか見ていません。“私”“エロース”は欲望みたいなもので対をなす“公”“アガペー”があることでバランスを保ってます。まどかのスタンスは“アガペー”に近いもんだと思います。
掘り下げるとたいへんなのでこのへんに留めて、“アガペー”だけでは救われないまどかのためにほむらは対極の存在となった、というのは観てれば感じ取れるんじゃないかと思います。
「悪魔」ってフレーズがショッキングなだけで中身を見れば、ってやつですね。
同じこと2回言いました。
{/netabare}


と好きなことをほざいてきましたが、解釈のしようは一様ではないでしょう。なんか言いたい、何度でも観て理解を深めたい、と思える人には特にたまらない作品になったと思います。

また、ごちゃごちゃ言わんでもただ「深いっ!」と思えれば充分過ぎるほどかもしれません。


もっとシンプルに言うとTV版に続き、暁美ほむらの愛に打ちのめされるという視聴体験でもありました。
ほむらだけではありません。
{netabare}さやかが絶望していない(涙){/netabare}
{netabare}杏子の隣にさやかがいる(涙){/netabare}
{netabare}マミさんに仲間がいる(涙){/netabare}
{netabare}あれ!?まどかは??{/netabare}
なんと尊いことなんでしょう。製作陣すべてに感謝!

長文ご容赦、読んでくれてありがとうございます。



視聴時期:2018年1月

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2018.08.13 初稿
2020.03.15 修正
2020.10.21 修正

投稿 : 2020/10/21
閲覧 : 859
サンキュー:

68

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