ossan_2014 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
GINZAの休日
ギンザの街での、王女のひと夏の恋と冒険。
ヒロインのビジュアルが、どこかヘップバーンを思わせる気がするのは、考えすぎだろうか。
東京あたりでは喫茶店が激減しているが、かろうじて神保町と銀座界隈ではオジサンの憩いの場は生き残っていてうれしい。
特に銀座では、ブランドの旗艦店の並ぶ表通りとは裏腹に、裏通りでは地元感が濃厚で、本作の「ギンザ」では、その地元感が良く表現されている。
たまに行く喫茶店では、休日の早い時間に訪れると、歌舞伎でも観に行くらしい晴れ着のご婦人とご近所のお年寄りが混在していて独特の雰囲気があるが、そこに紛れ込んだオジサンも、作中のゴルゴさん(なんという名前なのだろう?)と同じように怪しく見えているのかもしれない。
家族的で地元感あふれる多田珈琲店は、アニメ的ファンタジーというよりも、遥かに現実寄りだ。
ただ、銀座の高校という設定にしては、主人公を始めとした男子生徒たちが制服を着崩しているのが少しばかりイナカ臭い。
オープニング映像でもランドマークとしてスカイツリーが描かれているが、銀座であれば東京タワーにして欲しかったところだ。
恋をしない、という挑戦的なタイトルと裏腹に、作中では少女マンガ的な恋愛が同時多発的に並列で描写されている。
そうした恋愛模様の中で、主人公とヒロインの関係が、恋に発展していくのかという揺れ動きが、丁寧に描かれてゆく。
恋は、「する/しない」とあらかじめ決めて行うものではなく、いつの間にか「落ちている」ものだろう。
主人公とヒロインが、それぞれに自分の気持ちに気づく描写は、いつの間にか恋に「落ちていた」のだとしめす丁寧で巧妙なものだ。
{netabare}しかし、クライマックスを「告白」に求める少女マンガの様式が、いつの間にか「落ちていた」恋を、「する/しない」の意志的な決断へと無理やりに引き戻す。
「告白」は、すなわち、これから恋を「する」という宣言であるのだから、「落ちていた」二人には本来は無用と思える。
が、少女マンガにおいて告白が必要であるのは、相手に対する「宣言」ではなく、恋をすることに対して相手の「承認=了承」を求める儀式であるからなのだろう。
そのことが、主人公が自分の思いを打ち明けるクライマックスでの、異様な描写を生み出す基となる。
「告白」に当たって、返事をもらう前にまず告白すること自体を「謝罪」する主人公は、「告白」が相手にとっての「迷惑」であると捉えていることを示している。
相手に「承認」を求める「告白」は、もちろん受け入れられるとは限らない。
断られることもあるだろうし、逆に嫌われることもあるだろう。
相手にも事情はあるし、ましてや本作のヒロインが置かれた状況であればなおさらだ。
だが、相手に好意を持っていると伝えること自体を、「ごめん」と謝罪しなければならない必要はあるのだろうか。
好意が迷惑であれば相手が謝絶するだけのことで、好意を持ったこと自体を罪悪であるかのように謝罪するのは異様に見える。
が、異様とみるのはオジサン(あるいはオバサンも)だけであって、若者はそうでもないのかもしれない。
最近の小説か何かで、やはり「ごめん」という謝罪から入る「告白」のシーンを読んだような覚えがある。
この、「自分の好意」は相手にとって「迷惑」だという感覚は、まさに自分が好きでない相手から好意を寄せられたら「迷惑」であると感じるだろうという確信を、相手に投影したものなのだろう。
いや、「迷惑」なのは「好意」ではない。
相手に「承認」を求める告白。
自分が「承認」を求められる=決断を強制されるとしたら「迷惑」に感じるだろうという、他者から負担を強制されることへの不快。
「自分の」快/不快を最優先に構成された自意識が、相手もまた「迷惑」に感じるだろうという「配慮」を生み出し、好意を持っていることを「謝罪」しなければならない「告白」の描写を生む。
結局のところ、「配慮」が意味しているのは、自分の最優先の関心が自身の快/不快であることを、決して知ることのできない相手の内心へ「投影」しているだけのことに過ぎない。
別に本作の主人公とヒロインが、姑息な快/不快の自意識に振り回される人格造形がされていると思っているわけではない。
現代的な恋愛の観察が、こうした描写に反映されている、ということだろう。
好意を受け入れてもらえるだろうかという不安は、オジサンであってもよくわかる。
が、それ以前に、好意を持つこと自体を謝罪して受け入れてもらわねばならないと感じているとしたならば、現代の恋愛はなんと困難なことか。
本作にもアイドルマニアの男子が登場するが、こうしてみると、自身の恋愛を二の次にしてアイドルに入れあげる人の気持ちも、少しわかる気がする。
アイドルが好意に応えてくれることは永遠に無いにしても、少なくとも、アイドルであれば「好きになってくれてありがとう」と言ってくれることだけは100パーセント確実であるだろうから。
背景のディテールや心理描写が優れているためか、つい感じなくてもいい感想まで喚起されてしまったようだ。
「恋をしない」というタイトル付けは、案外に奥が深いかもしれない。{/netabare}