Progress さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
ホームビデオ【ネタバレ大量】
なんの情報もなしに映画館に突撃!
上映時間が始まると、延々と続く新作作品のCM攻撃にうんざりしましたが、
内容のほうはしっかり見てきました。
ネタバレが多量に含みますので見てない方には読むことをオススメしません。
{netabare}
作品のテーマがなにかというところは最初のOPムービーのところで「家族かな?」と感じられるあたり中々わかりやすい。(子供が見てわかるかは知りません)
中庭が未来や過去の家族に出会う場所、もしくは繋がる場所である、そういう設定について、
なぜこの場所は別の時間に繋がってしまうのか?という現実的な疑問、リアリスト的な疑問を途中は追い続けていましたが、そうじゃないことに気付きます。
なぜ、繋がるか、は主題ではないのです。
繋がって、クンちゃんがどうなるか、変化もしくは成長したクンちゃんを見て、親がどう動くか。
そこにリアリティの追求、想像の中のリアリティが存在します。
ここで共感できればそこにはリアリティが存在した、という事です。
「子供っていつのまにか成長しているんだね」
父親の言葉ですね、中庭の時間は「いつのまに」であり、
親は子供の成長しか知らない、なのでそこでリアリティが成立しえる仕組みだと思います。
さて、それでも中庭、という不思議な空間には興味が尽きません。
中庭が一体どんな人とクンちゃんを引き合わせているでしょうか?
・イヌッコロの擬人化
・ミライ(妹)ちゃん
・母親の幼少時
・曽祖父
・未来のクンちゃん
イヌが入っているので、血縁者ともまた違うし、
曽祖父は一緒に暮らしていないので、明確には家族とは言いがたいかも知れませんが、
それでも、大きな枠で考えれば家族でしょう。
中庭では、言葉が伝わらない人との理解をし合うように引き合わせているのだと感じました。
犬は人語を解さないし、ミライちゃんは赤ちゃんで言葉がまだわからない。
母親は、これは少し難しいですが、母親とのコミュニケーションの失敗、そこから、言葉が伝わらない、もしくは気持ちが伝わらないから、同じ歳ごろ時代の母親を見せて、母親への理解を深めさせた、そういう仕組みでしょう。
考えれば考えるほど、都合のよい「中庭」ですが、前述したとおり、中庭の存在を疑うような見方は間違っており、中庭のあとどう登場人物が変化したかをみるのが重要です。
中庭で出合った母親については、先ほど少し述べましたが、
クンちゃんが寝ていながら涙の粒があった母親に対して、よしよしと、頭をなでたのが、
母親に対する理解の現われでしょうね。
曽祖父との出会いから、初めて挑戦しようとすることへの取り組み方の変化がありましたが、
曽祖父をカッコイイと思うことから、やはりあのくじけない心が出来たのではないでしょうか。
私はこの曽祖父パートが一番気に入っているのですが、クンちゃんと、
もう出会えない、そんな人がクンちゃんを変化させる。
時代や時間の経過によって希薄になった繋がり、忘れかけられていたモノが
現代のクンちゃん、若い人間に大事なものを伝える、そこに喜びを感じてしまうんですよね。
さて、終盤はクンちゃんとはなにか、ミライにとって自分とは何か、幼稚園生に問いかけることかよっ!?
という結構クンちゃんにとって重いことを問いかけます。
つまり、東京地下駅で忘れ物センターで「忘れ物はあなた自身ですか?」と聞かれたのは、
クンちゃんがクンちゃんの中の心とコミュニケーションを取れていないことを示していたのだと思います。
黒い新幹線に乗ろうとするのは未来のミライではなく、今のミライでした。
つまり、今ここで問われているのはミライに対する態度、
自分をどう振舞うかという自分に対しての選択です。
ここで、「ミライちゃんは貴方にとってなんですか?」という問いに
「ミライちゃんはボクの妹」ではなく、「ボクはミライちゃんのお兄ちゃんだ」と言っていることからも、
ここでクンちゃん自身が何であるかを主題においていたのは明確です。
純粋で無垢、他人に対しての理解というものがまるでなく、
出来ないこと、わからないことに対して嫌だったらいやと理解を拒んでしまうクンちゃんでしたが、
それを一つ一つ拒むことがなくなっていく、他者との断絶が消えていく。
そういった経験から、努力のない理解の断絶に対するメッセージが込められているかもしれません。
私も子供が泣く声は大の苦手ですが(気分が落ち込むので)、それを受け入れた先を見ないと、この作品の伝えたかったことは届かなくなってしまっているかもしれませんね。
{/netabare}
おまけ【タイムトラベル・パスポート】
{netabare}
この作品で安直だなーと感じたのはミライちゃんのあざです。
ミライちゃんのあざが、何か中庭の影響なのかとか、直したいとか、
そういうストーリーにからめて来るのかと思ったらそうではない。
単純に、クンちゃんに未来のミライちゃんを認識させるためだけのキーアイテムとして、
出してしまっているなと。
さて、このような、時間旅行先で、知り合いに旅行者を本人だと証明させる、
肉体的、もしくは知識的証拠、いわばタイムトラベル・パスポートは過去の作品だとどのようなものがあるでしょうか?
上手く表現している作品を探したいと思います。
・「涼宮ハルヒの憂鬱」における朝比奈みくるの、キョンしか知らない首筋のほくろの位置
・「シュタインズゲート」における、岡部倫太郎は、顔パス(跳躍した時間が短いため有効)
等々・・・この例としては、肉体的成長によってより顔から認識できない場合に、
本人の詳細な情報が生きてくるのでしょうね。
また、君の名はでは、時間旅行先ではありませんが、瀧と三葉は、事件収束後に顔でお互いを認識していますね。
(三葉が東京に会いに行き、瀧君に顔で認識されなかったのは、そもそも瀧君が三葉の顔をしらないため)
ドラえもんが未来から来たという証拠として、未来ののび太くんの末路を見せていますね。
これはドラえもんは元々のびた君の知り合いではなく、未来から来たという「証明」のために使用された、
タイムトラベルのパスポートのもう一つの形ですね。
ジョンタイターが未来から来て未来の情報を言うのと同じように、ですね。
このパスポートを上手く活用している作品もあるだけに、この作品は少し安直な気がしました。
{/netabare}
おまけ2【ホームビデオ】
{netabare}
この作品のテーマは「家族」だと思いますが、明らかに変化を迫られているのはクンちゃんのみであり家族の中のクンちゃんを描いているため、「家族」というテーマから離れがちだと感じました。
途中ホームビデオのように成長を見せられていると感じましたが、まさに、
ビデオの主人公はクンちゃんでした。
そのため、テーマの「家族」とどう繋がりがあったか、再考する必要があります。
穿った見方をすれば、くんちゃんばかりが変化を求められてて理不尽と感じるかもしれませんが、
クンちゃんという子供が要求する駄々が理不尽すぎて、それは隠れているように感じます。
クンちゃんは新しい家族の形に収まるように変化を迫られ、適応していきますが、
それは、妹を大事にすることで「家族を大事にする」という、社会常識を学ぶために必要なステップとも取れます。
「ものに対する取り組み方」「家族との接し方」そういうものを学んでいるのです。
駄々をこねながらも家族から学び成長していく、くんちゃんでしたが、
学んだことや、くんちゃんの駄々をこねながら学んでいくスタイルを自分と重ねて、
自分は今、学ぶこと・興味を持つことに対して、臆病になっていないか、
そう戒めることが出来ると思います。
つまり家族とは社会であり、社会に対して自分がどう接しているか、
そういうテーマの提示なんじゃないかと思います。
{/netabare}