sekimayori さんの感想・評価
3.8
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
二つの夢と、四つの拳
最底辺の賭けボクサーが世界一を目指して這い上がる、拳闘下剋上記。
『あしたのジョー』連載開始50周年企画らしい。
その原案を、浅学ながら私は読んだことがありません。
ただ、今でも通用するシンプルな物語の訴求力と、そこに見いだされた夢は、垣間見せてもらえた気がする。
泥臭い人間模様をもっと長く見たかった、そう思わされた良作でした。
以下、たぶんあまりに主観的な感想。
私には、本作で描かれた夢は二つあるように見えました。
一つは、「偽物」「野良犬」が「本物」「頂点」を目指す、という非常にシンプルな下剋上の夢。
単純であるがゆえに、男の子(おっさんだけど)であれば血のたぎりを感じずにはいられません。
そしてもう一つの夢。
それは「正々堂々」の理念とでも呼べばいいのか。
強者も弱者も、同じリング、同じ条件で、己の拳のみを頼りに闘う。
機会の平等にも似た理想が貫かれていたようにも思うのです。
元来ボクシングとはそういうスポーツ。
しかし、この作品はそこにひねりを加えてきた。
作中のボクシング大会、メガロニアにおいて、選手は身体機能を補助する「ギア」を装着して闘います。
そしてそのギアの性能は、バックの資金力や技術開発力に依存する。
ここにおいて、ギアは選手の社会的地位の象徴と化します。
{netabare}
主人公・ジョーも周囲も、何も持たずして生まれ、もしくは何かを奪われ失って落ちてきた、社会の底辺でもがく者たち。
そんな野良犬たちの当然の帰結として、ジョーはメガロニアに、ギア無しで挑みます。
私は当初、ギア無しのジョーと、人機一体・大財閥の後ろ盾を背負ったユーリの因縁の行方は、「持たざる者」が「持てる者」に食らいつく物語になるのだと思っていました。
あえてリングにギアという格差を持ち込んだのは、弱者による下剋上を強調するため。
そう考えていたんです。
しかし、生身とギアの闘い、「持たざる者」と「持てる者」の闘いという主題は、白戸財閥当主の兄・ミキオ戦で消費されました。
そして迎えたユーリ戦。
我々が見たのは、ギアを外し生身となったユーリ。
己の二つ拳のみで殴り合う、二人の対等な男の姿でした。{/netabare}
これ、本当に強烈に「夢」だと感じたんですよ、僕は。
意地悪な見方をすれば、特権階級の人間が、野良犬と同じくする理想を実現するためだけに、積み上げてきたものを放棄して同じ戦場に下りてくるってこと。
社会的地位の固定化・再生産が叫ばれる昨今、個人的にもそれを意識させられることしばし。
そんな時代において、なんと美しいおとぎ話を紡ぐのか。
今、その夢の強度はどれほどのものなのか。
「本物」にとってスポーツの、ボクシングの神髄とはそういうものだ、と言われれば頷くしかない。
もっと言えば、制作側の意図なんてわからないし、単純に原案での力石の減量苦を翻案しただけなのかもしれない。
ただ、私の眼には、ボクシングのため他のすべてを顧みず闘う二人の姿は、あまりに美しく、かつ儚く映りました。
50年前、昭和40年代の読者は、『あしたのジョー』にどんな夢を見ていたのでしょうね。
さあ、個人的な妄想だけだとアレなので、最後に細部の話を。
まず声優陣がよかった、渋い声がたくさん聴けて満足。
ジョーの大胆不敵さ、不屈さは、細谷さんの熱演なしには描けなかったでしょう。
もう一つ、OP・EDや、mabanuaによる劇伴が素晴らしかった。
身一つで戦う野良犬たちの主題歌として、飾りのない言葉・音で紡ぐグルーヴがマッチしていたように思います。
逆に残念だったのは、①ピンチ→カウンター一発KOばかりな試合展開、②後半になるにつれ勢いが衰えた作画、③1クールゆえの食い足りなさ、でしょうか。
3点目は単純に、13話だけでも陰影を感じられるキャラクター群だったので、もっとみんな深掘りしてほしかったな、という願望です。
荒巻さんとユーリが好きなんですよね、あと退役軍人会の宮城さん。
スピンオフとか出ねーかな。
そんなことをつい願ってしまうくらい、楽しませて頂きましたとも。
73点