プランタン さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
考えろ、と彼女は云う
『忘念のザムド』は多くの人に見てほしい。
本編は大きく分けて、ヒルコを宿した少年・アキユキの空の旅路を描く前半と、ナキアミとアキユキの、そして彼女らと縁の深い人々の過去を清算する後半に別れる。
前半はナキアミと出会い、ザンバニ号の船員とを通してアキユキが成長する物語だ。姿の消えたアキユキを地上で探す友人と両親の物語でもある。
それは、中佐らの思惑によって阻まれながらも邂逅を果たすが、軍の妨害に会い散り散りになる。フルイチは死に、ナキアミは独り旅に出、アキユキは名を忘れて囚われの身となる。
後半はナキアミが託された使命を果たすために、長いまわり道を歩む。ザムドとなった少年・ヤンゴとの二人旅だ。そこにアキユキの名を思い出す物語が交互に展開し、大人たちの贖いの物語を織り交ぜながら、多くの、立場あるものの苦悩と決意が描かれる。
ナキアミはサンノオバと再開し、己の使命と向き合う。アキユキはヒルコの意思とようやく一つになり、「亡念のザムド」として戦いに赴く。そして、ナキアミは千年の眠りに就き、アキユキは「敵」に名を与え石になる。最終話の後半は、それから九度目の春を迎えた話が語られる。ナズナやヤンゴの成長と、ハルの変化と、アキユキの帰還。
戦争はようやく終わった。尖端島を巻き込んだ大きな厄災によって生じた人々の傷は、時間をかけてようやく癒えた。風化しないために、ハルは歴史として子どもたちに教えていくだろう。
以下は個人的に気に入っている場面など。
●十二話でイシューが別れを切り出すナキアミに言う。「『迷惑かけてごめんなさい』って言ったよね? あんたのこと迷惑だなんて思ったこと一度もないよ」と。ナキアミはイシューに大好きだと伝える。イシューとナキアミは母と子のようであった。このイシューの姿があったからこそ、ヤンゴとの別れで「できることならお前を産みたかった」の言葉に繋がる。血の繋がりはなくとも、イシューとヤンゴの二人の情にナキアミは満たされただろう。
●十七話の「子羊とオボロ月」のなかで、おばあさんがにこやかに「そろそろ、二人の名前、教えてもらってもいいかしら?」と問うシーン。名を持たぬもの、名を忘れたものに対して、である。影童子が明らかな反応を示しているのが面白い。
●作中では茨木のり子氏の詩「敵について」が三度朗読される。十二話「暗闇で咲く花」でイシューが聴いている北の国営放送で流れる。十七話では、影童子に、アキユキは「ひょっとして、お前が喋っているのか?」と訊く。三度目は「ナキアミとサンノオバ」で。
十七話で、朗読を背景に、アキユキが郵便を渡した相手が泣きながら戸を閉めるシーンが印象に残る。あれは訃報なのだ。戦争は続いている。見えないところで。銃声は聞こえずとも、殺戮はどこかにある。
●「名」について。十九話「偶発 ロマンス開花」では、影童子がアキユキに名前を思い出せと急き立てる。アキユキは、所縁ある者の名は思い出せても、どうしても独力では思い出せない。影童子は「なら死んでしまえ」と追い詰める。ここに、ヒルケン皇帝の名への執着心、憧れと名を持たぬ自身への劣等感が窺える。アキユキに放った言葉は、自分に跳ね返るものだったから。
ハルに呼ばれ名を思い出したアキユキを遠目に、「アキユキ、覚えたぞ。やっと見つけた。早く私を殺しにこい」と「敵」と見なす。そして、サンノオバが彼を取り上げた時からこの物語は始まり、アキユキが名を授けることで終わる。
命名という、当たり前のものがなされなかった不幸。それがこの物語の端緒なのかもしれない。
十九話で凍次郎の母・須磨子が別れ際にいう「おかしいわね。お別れの挨拶が自己紹介だなんて」とは、こうして考えると実に感慨深い。
「答えのない問いが真実。それでも人間は己に言い続けなければならない。『考えろ』と」
この言葉を胸に、今作を語るのはこれくらいにしておくことにする。