ガムンダ さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
アニメの媒体を活かしたのか、所詮アニメでしかないのか
概要
============= ここから ===============
軍人に拾われ野生児の様な機敏な動きで類稀な戦闘能力を発揮し、「武器」として生きる事を許された戦争孤児の少女が主人公。
作中では戦争は終わり、情操教育を受けないまま育った彼女は他人とコミュニケーションをとる事が出来ず生活に支障を来たします。
成り行きで手紙等の代書を手がける「自動手記人形サービス」の代書屋「ドール」を目指す事になり、元来の知能と戦場で鍛えた屈強(鈍感)な精神でメキメキと頭角を現します。
手紙の代書を通じて様々な人と出会い、やがて自分自身についての理解に至り苦悩します。
============= ここまで ===============
ラノベの始祖と言われる新井素子作品の様な切ないお話です。
主人公ヴァイオレットの成長を軸に、毎回様々な依頼主が様々な依頼をします。
私が好きなエピソードは5話(だったかな)皇女様のやつ。
それから劇作家のエピソードやアーカイブの話も良かったですね。
あとボロボロに落込んで泣き疲れてまた爺さんの配達を手伝う所、
どんなに落込んでも、大切な物を失っても生者は生きていかねばならない、
意味も分からないまま立ち上がって向かっていく、、
思春期に誰もが経験したあの感じが凄く良かったと思います。
幼少の頃から特定の分野で鍛え上げられた主人公が人と出会い成長していく(または悲劇的結末を迎える)、割と一分野として確立してる定型と言えます。
この様な物語を1920~40年代の様な時代設定の美しい街並みの中で展開していく、しっとりした良作でしたが・・・
急に様子がおかしくなったのは11話です。
まだ残党と戦闘状態にある戦場の兵士の依頼に応えるという展開。
そこから12話は完全な活劇アニメとなり、まるでテイストが変わります。
戦場に居る依頼者が戦闘中に偶然生き残り、偶然ドンピシャ見つけられて接触するというご都合極まりない展開へのツッコミはさて置いて
戦争の残霞が元兵士である主人公に暗い影を落とす と言う展開はアリと言うかシナリオ上不可欠と思いますが、こんなに直接的な事象を描く(戦闘に参加する)エピソードにする必要があったのか。
この物語はもっと内面にフォーカスすべきではなかったのか。
この辺、アニメと言うメディアを活かしたとも言えなくもないですが、引き換えに文学的な重厚さを一気に失わせてしまいました。
他にも煮詰め不足の所もチョイチョイあります。
そもそも少佐は主人公を愛していたのに、何故こんなになるまでコキ使ったのかと言う致命的な設定もあります。
それから重要な設定、腕を失うシーンのリアリティの無さも逆に怖いです。
試しに誰か腕を引きちぎってみてください。腕が引きちぎれる程の外力を受けた人間が立っていられる筈がありません。
痛いからではなくて物理的に吹っ飛びます。
以上初回レビュー2018.05.19
以下加筆 2018.06.03
<省略されてるのはソコじゃない>
「ヴァイオレットちゃんの成長過程が省略され過ぎている」
と言う感想を幾つか拝見します。
「ああ成る程」と思うと同時にそういう感想を持つ人はきっと幼少期から順調に成長した人なんだろうな、と想像します。
どちらかと言うと私自身もKY属性のいわゆるアスペルガー気質でして、人の喋ってる事の意味に悩むと言う経験を成長過程でしてきました。
だから3,4話辺りで成長のキッカケさえ見せて貰えれば成長過程は省略してもまったく問題なくすんなり入ってきます。
逆に長々つづくとクドい感じがします。
この部分はこれで良かったと私は思います。
これは観る人によってだいぶ受け取り方が違うんだなあと思いました。
さて、本題ですが私が観て釈然としないのが、加筆前にも少し書きました以下の点です。
即ち
少佐(ギルベルト)はヴァイオレットを愛していた
なのに軍人としての訓練をちゃっかり施しておきながら人としての教育を施さなかったのは何故か
この整合がこの物語を説得力あるものにするか否かの分れ目だと思うのですが。
少し考えて見ましょう
{netabare}
まず、原作に答えはあるかもしれませんが私は原作を読んでいません。
・ヴァイオレットは何時から「武器」なのか
作中でドールとして働いている時期が14歳と推定されています。
戦争は最近終わったようですが、この程度の文明に於ける正規戦には年単位の時間がかかるのと、ビジュアルからの判断で、少佐との出会いは仮に10~12歳頃としましょう。
さて、それ以前のヴァイオレットはどうしていたのか。
親が戦災で死亡したと考えても、10歳くらいまで親の愛情を受けて育てば作中の様な状態にはなり得ないと思います。
であれば親と別れたのはもっと以前となりますがそこから少佐と出会うまでどうしていたのか。
戦争中に野生児として生きていたのか。
手がかりとなるのが5話最後のシーンです。
大佐(ディートフリート)が「俺の仲間をたくさん殺した」と言っていますが、大佐も同胞の筈です。
ここで仮説を立てます。
おそらくヴァイオレットは敵によって既に幼少の頃から「武器」として使用されていた。
尚且つライデンシャフトリヒ軍とは違い、軍人として訓練するのではなく、猛獣遣いの様に使用していた。
と考えられないでしょうか。
それを大佐が奪い、移送中の叛乱で仲間を殺されたと。
ここまでは良いでしょう。
そこから先が問題です。
・少佐が施した訓練とは
野生児のまま少佐へ渡された事になりますが、別れのシーンでヴァイオレットはかなり感情を顕わにしています。
つまり感情を持たない訳ではなく巧くコントロールできていない。
敵(前述の仮定を是とすると元の飼い主)を殺傷する事には何らの抵抗も持っていない。
命令を理解し、命令を遵守する事の意義も理解している。
11話で空挺降下もしている事からその訓練もしたはずである。
この部分にかなり違和感ありませんか?
まず屈強な船乗りをプチ殺す程凶暴な野生児のヴァイオレットをどうやって懐柔したのか。
軍人としてのおそらくはソコソコの時間訓練する間、少佐は何故ヴァイオレットに人としての教育を施さなかったのか。
少佐はあくまで指揮官として預かっただけで、軍の所有物であるヴァイオレットに自由に接する事は出来なかったのかもしれませんが。
そこで問題なのは、少佐も「愛していた」なら何故、この様な人権蹂躙を看過し、武器として戦場を連れ回す事を止めなかったのか。
ここ重要ですよ。
作品のテーマであり、ヴァイオレットが探求し続けた「愛」が揺らいできますから。
ここから類推すると少佐はちょっと取るに足らないアンポンお坊ちゃまだけどヴァイオレットは飯をくれる人間を少佐しか知らないから懐いていた、と言うなんとも残念な結論に至りますが。
逃げとしては少佐自身にも戦争ジャンキーたる悲劇的な設定が必要です。 {/netabare}
続編、観たい様な観たくないような・・・