ossan_2014 さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:----
つなぐ言葉
30年前に書かれたベストセラー小説の再アニメ化。
原作小説を忠実になぞるアニメ化は、ストーリーや物語られるものの質はすでに保障されているようなものだ。
あとは、ビジュアル化によってキャラクターイメージが膨らむか損なわれるかの、視聴者それぞれの好みによって感想が決まるのだろう。
民主主義の警句とも見える、数々の「名言」で知られる本作の原作小説だが、2018年の現在に再び語られるのは、どこか暗示的な気もする。
その「名言」の中でも、イゼルローン攻略の直前で語られるセリフが、歴史家志望であるヤンの資質を表していて味わい深い。
「前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代がのちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう」
視聴者の中心であろう若い世代にとっては、政治家や企業経営者などのオヤジやジジイが、古い「前世代」として捉えられているだろう。
ヤンであれば、それらオヤジどもの「前に」、連綿と続く政治や経済の連鎖を、一つの流れとして歴史的に眺めるに違いない。
が、現代の視聴者に、そうした歴史感覚はあるのだろうか。
ひょっとして、終戦直後の政治家や、高度成長期の企業家や社会運動家などなどまで、すべて「昭和」=「昔」=「旧い」=「時代遅れ」=「自分と無関係」として、今の「オヤジ」と同カテゴリーの同じ「過去の遺物」として、ひと塊のもののように了解してしまってはいないだろうか。
現代の政府閣僚は、世襲制ともいえる2世、3世の政治家ばかりだ。
彼らは、これから「次世代に手渡す」平和を一から創ろうと奮闘している「世代」ではない。
先人が敗戦後に構築した「平和と繁栄」を、「すでに手渡された」世代なのだ。
平和が手渡されたユリアンの世代をヤンは夢想したが、現実世界で相当するのが彼らだったといえる。
はたして現実世界のユリアンたちは「手渡された」平和を維持する責任を果たし、次の世代へ手渡す責任を果たそうとしているのか。
それらを監視し、責任を追及することは、さらに「次」を引き受ける次世代の、あるいは避けられない義務であるのかもしれない。
ヤンの語った、歴史感覚に裏付けられた希望が、現実ではどのように生きられたか。
原作小説から30年あまり=一世代を過ぎての再アニメ化にあたり、本筋とは関係がないが、このような感想を抱いたことを記しておきたいと思った。