退会済のユーザー さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ふたりということにまつわる衝撃的な傑作。
今までで観た映画のなかで一番か二番か、くらい凄かったです。
少なくとも五本の指には入ります。凄まじかったです。
ほんとうに、見終えてからどんどんもどかしさが膨らんでいくというか、
映画の意味が分かっていくというか、本当に切ないんですよ。
あまり劇場には見に行かないのですが、
山田監督の「たまこラブストーリー」が良かったことと、
本編ユーフォニアムが良かったことから、見に行くことにしました。
予想していたとおりですが、ユーフォニアム感はまったくなかったです。
精神的な意味での甘酸っぱい「青春もの」を求めている方にはぜひお勧めしたいものでした。
というよりも、ほろ苦い、のほうが近かったかな。
ジブリで喩えるならば、
同監督の「映画けいおん」や「たまこラブストーリー」を、宮崎駿っぽい作品だと喩えるならば、
本作は高畑勲っぽい作品だなと思いました。
人間の心の機微やずれなどのテーマを丁寧に描いている作品で、
エンターテインメント映画の性質は弱いと感じました。
以下猛烈にネタバレですので本編をご覧になった方だけ。
{netabare}
劇場を出てから電車の中で、なんて悲しい終わり方だ、って思いました。
希美にとって、みぞれは謎だったんですね、何を考えているのか分からない。
劇中で、希美はふっとみぞれに距離を置いてしまうのに、
自分が距離を置かれているという感じ方になってしまう。
相手のことが分からないとき、自分のこともわからなくなってしまう、
そういう混乱みたいなものがすごく生々しかったです。
みぞれにとって希美は唯一無二の親友だったわけです。
でも、希美からしてみればそこまで思われる根拠がない。
なんとなく気になって、吹奏楽部に誘ってみて、友だちになった。
するとみるみる上手くなって、置き去りにされちゃった、という感じ。
分からない存在ではあっても、大親友という感情ではないんですよね。
後輩に仲良いですよね、って聞かれたときも、
「たぶん、そうだと思う」としかいえない。
このときも自分がみぞれのことをちゃんと友達として思っているかさえも、
曖昧になってしまっている、謎へ向かう時の混乱を感じます。
関係的にはふたりとも相手のことがわからないんです。
みぞれからしてみれば、なんで希美ほどの人が自分と仲良くなってくれるのかわからない。
希美からしてみれば、なんでみぞれは自分のことをそんなに大切に思っているのか、
それでいて、どうしてあまり感情を出してくれないのか、謎になってしまっている。
みぞれからしてみれば、向こう側から来てくれた希美に、自分を出すのはすごく怖いんですよ。
それでも希美はみぞれの謎のなかに、嫉妬が絡まってすごくややこしい感情を抱いている。
嫌いなところなんてないのに、でもなんとなく遠ざけたい気持ちになる、
それが「みぞれは私のことを遠ざけてるんじゃないか」っていう違和感になる。
ほんとうは、自分が遠ざけてるんですけどね。その理由がわからないから相手が遠ざけてるから、っていう理由に逸れてしまう。
それでも、関係のなかでの自分の立ち位置はちゃんと分かってるんです。
みぞれは「私は希美にとって友達のうちの一人でしかない」
希美は「私はみぞれが思っているような人間じゃない」
それは的確なんですね。それぞれ相手に別の意味で過剰な感情をいだきすぎている。
それが結局ずれたまま終わるということが、すごく切ないな、と思ったんです。
でも映画を観てから一晩寝て、やっぱりこの映画はハッピーエンドなんじゃないか、って思い直したんですよ。
結局この二人はまだ関係の途上にすぎなくて、作中ではけして平行線を辿っていたわけじゃなくて、
ずれたままとはいえやっぱり距離は縮まっている。
希美はみぞれに「大好き」っていう明らかな感情をぶつけてもらった。
みぞれは希美に自分の感情を曲がりなりにも受け入れてもらえたわけです。
どうして二人があんなにずれてしまっていたのか、自分に精一杯だったんですよね。
ふたりとも進路提出表を白紙のままで出していましたが、
関係に詰まっているのより先に、人生に行き詰まっているような状況の中にいた。
優子や夏紀はそういう点で根本的に安定感があるんですよ。
だから関係も「ずれ」の中でも、割合すんなり過ごしていくことが出来て、
優子は人の感情にすごく敏感で、ちゃんと気にかけることができるし、
夏紀なんか適当なこといって希美を慰めてみたり、
そういう二人のようにはすんなりいけない素質が、関係以前に希美とみぞれにはあって、
それがずれていることをひどく残酷なものにしていたような。
その意味合いで、アニメ版ではなんで優子が部長?って思っていたんですが、
映画版ではもう完全に部長の器でしたね。
自分に精一杯だと、関係の中での問題も、全部自分の問題になってしまう。
希美はみぞれが何を考えているのか、ってことを考える余裕がなくて、
みぞれは希美が何を考えているのか、って考える余裕がない。
それでもみぞれは新山先生との「リズと青い鳥」についての対話の中で、
逆の立場だったらどう思うって聞かれてふっと視線が変わるわけです。
物語と現実の関係もずれていて、そのまま適用できるようなものではない。
どちらもリズでも青い鳥でもなくて、ただ相手のことを見る余裕の違いがあると思うんです。
リズはずっと自己完結ですよね。相手のことを見る余裕はない。
相手のことを思ってはいるけど、でも自分で勝手に決めて勝手にさよならしちゃう。
青い鳥にはすごく余裕があるんです。別れるのは嫌なのに、リズがそう決めたなら、って
ちゃんと受け入れて飛び立って行くんですね。
みぞれはリズの立場だったら絶対離さないぞってところで演奏に身を入れられなかったけれど、
青い鳥の立場から、希美が言うんだったら別れだって肯定できるよ、っていうすごい大きな愛を羽ばたかせてあのオーボエの演奏を披露するわけです。
それでも希美の立場からはいままでは手を抜いたんだ、っていうだけのことになる。
それでガツンとやられてひとりはぐれてしまうわけです。もう希美とは無理だというような追い詰められかたをする。
物語の構図を使うならば希美は別れを告げられたのに受け入れられなかった青い鳥なんですよ。
みぞれは自分こそ青い鳥だという自覚で吹いていたけれど、
希美の立場からみれば別れを突きつけられてしまったんです。
そこで何も解けないまま理科室へはぐれてしまう。
理科室で再会しても希美からしてみれば、みぞれから試練を突きつけられているだけなんですよ。
わたしは本気を出せばこれだけ吹けるんだよ、と。そこでついて行けないことの罪悪感と恨みとが心の中を巡るわけです。
それでもみぞれからしてみればあれは「愛の告白」なんですよね。そこが決定的にずれている。
ずれているけれど、希美が自分で精一杯だってことを受け入れるだけの余裕がみぞれには生まれていたんです。
大好きのハグ、なんて希美からすれば唐突で、すごくびっくりしていましたよね。
あれはいままで受動的だったみぞれが希美に対して始めて能動的になるシーンであるとも言えます。
希美はみぞれが積極的になったことの中にあのオーボエソロの凄まじさも含めて考えることができて、少しみぞれのことが分かったはずだと思うんです。
それでも根本的には愛の告白は唐突に感じられたでしょうね。
今まで自分をどう思っているのか分からなかったみぞれから、感情を明らかにしてもらって、それは紛れもなく嬉しかったと思います。
それでも希美の頭の中にはやっぱり「みぞれのオーボエ」が残り続けていた。
「みぞれのオーボエが好き」って漏らしたのは、作中では「希美のフルートが好き」って言ってもらうための呼び水として漏らしたわけですが、
どちらにしろあのシーンでの希美の返答はそれしか考えられない。みぞれのオーボエの演奏が凄いという事実を受け入れることだけが、希美にとっては愛の告白でありえたんですから。
その意味でみぞれは希美の愛の告白に応えなかったわけですよね。そこで散々ずれていたお互いの関係が一致したところで決まった、つまり両方があのシーンで「失恋した」ってことだと思うんです。
ラストシーンではみぞれが「ハッピーアイスクリーム」なんて言って、今まででは考えられなかった積極性を見せるわけですよね。
それでも希美は「アイスクリーム食べたいの?」なんて誤解をしている。
普通「ハッピーアイスクリーム」なんて言われたら「え?なにそれ?」ってなりますよね。
まだ理科室での唐突な告白も希美にとって謎の中にあるし、希美にとってみぞれは未だ「不思議」な存在のままなんです。
それでもみぞれは笑ってみせる。はじめて観たときは、その笑いが二人の誤解を象徴しているものだとおもって残酷だとおもったんですが、
それはみぞれが希美の誤解を受け入れている、分かっていることの笑いだと思うようになりました。
それならやっぱり二人はこれから仲良くなれるんじゃないかという希望の描写だと思うんですよね。
というのが大まかなこのストーリーの自分の解釈で、大まかには捉えられてるつもりです。
それでもインタビューで述べられているような「互いに素」であるような決定的なずれというよりも、
自分に必死であることが生んだずれで、もしそういう必死さがなくなったところであれば、
ふたりはもう少し一致できるような気がします。
リズと青い鳥のことを希美は結末はハッピーエンドだと思うと言って、
そのことをみぞれはすごく気にするんですが、
希美は子供の頃読んだ童話のひとつとして、そこまで切実に考えていないんですよね。
他にもたとえば希美は「一緒に音大行こう」なんて言ってないのに、
優子に「音大行こうって言っといて辞めるって何!?」と責められる。
そして希美もそれを否定しない、そういう過去が曖昧なものになっていく感じとか、
そういうずれの描き方が、格段にすごいと思いました。
上にも書きましたが、自分で相手を避けておいて、
相手が自分を避けてるんじゃないかって思う感覚とか、
人のせいにするってわけじゃないけど、自分の感情も曖昧になってくるんですよね。
そういうことの描き方の濃度が異常なほど高いと思いました。
さりげない描写でかつ印象深いシーンが多いのがアニメシリーズもそうでしたが、特徴だと思います。
フルートが照り返す光に気がついて笑ったりするシーン、
ああいうシーン描かれるとそれがあまりにさりげなすぎて泣けますよ。
あのシーンだけでももう大傑作ですよ。
あらすじじゃもはや語れないんですよね。細部が充ちているという感じがすごいです。
もうひとつだけ、黄前久美子ちゃんと高坂麗奈ちゃん、ほとんど出てこなかったですが、
二人でセッションしているあのシーンはほんとやばかったですね。最高だったです。
ほんとうにあの二人はかわいい。自分たちの世界を作り上げている。
普通に考えて先輩がうまくいかないパートを堂々と部室の裏で吹くなんてあてつけ、
あまりに性格悪いですよ。
みぞれと希美もやっぱりちょっとむっとしてますし。
でも許されるようなところがある。
あの二人はつんけんしているところもあるけど、基本的に人間が好きなんですよ。
その愛情が感じられるからこそ、多少きついことを言っても受け入れられる、
つまり周囲から信頼されている、その感じがたまらなく可愛いし、羨ましいですよ。
キャラクターとして最高です。ほんと。
終わります。
{/netabare}