Progress さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
私はUFOに攫われる夢をよく見ますよ
キャッチコピーは「私の夢が、犯されている―/夢が犯されていく―」
このキャッチコピーにとらわれる必要はないのだけれど、
何かの枠に嵌って書いたほうが楽なので、
この文の中で考えてみます。
あらすじ、簡単な世界観の説明です。
作品世界では夢の中に入り込む新技術が開発されました。
それを利用して、パプリカ/千葉敦子は、「サイコセラピスト」として、
心療、つまり心の病気のような物を治す事を行っていました。
ですが、夢に入り込む装置「DCミニ」が研究所から盗まれ、
無関係な人達が夢により精神が壊れ、現実で事故が起きてしまいます。
パプリカ/千葉敦子はDCミニを盗んだ犯人を目的を探りつつ捜していくことになります。
(あらすじ終わり)
さて、キャッチコピーについて考えてみましょう。
まず夢が犯される、というのはどういう状況でしょうか?
これは、作品内でDCミニを利用して行われる、自分の夢への他者の干渉、盗み見、夢の改変などです。
では、作品内での「夢」とはどういう位置づけでしょうか?
まず「犯される」のは、睡眠中に起きる「夢」です。
夢の内容については、
刑事・粉川利美であれば「過去のトラウマ」「もう一人の自分」「学生時代の思い出」等の過去。
氷室啓であれば、そこに感情的な物が失われた、過去に氷室がみた風景、もしくは氷室の夢世界。
主人公であるパプリカ/千葉敦子は人の夢に入り人の心を元に戻したり、
事件の謎を追ったりしています。その為、他人の夢に入ったとしても
パプリカ/千葉敦子は、睡眠中の夢を犯されていません。
つまり、ここで言う「私」というのは、作品中で夢をおかされた不特定多数またはオッサン達なのです…
と、いうのはちょっと気色悪い。
不特定多数が夢を犯されています、これは問題ですね早く静めなければ…では、
主人公に話の軸がなくて、面白くない。
この作品を、千葉敦子と夢の関係から見たときに、夢の世界に入り彼女が何を感じたかを見たいですね。
では、「私」というのが、主人公、千葉敦子という前提で、コノキャッチコピーを考えてみましょう。
まず、千葉敦子とパプリカの関係について整理します。
現実世界で千葉敦子と呼ばれる女性研究員は、夢の中に入るとパプリカ、という女性に変身します。
変身と言っても、敦子の意識はなく、パプリカという、独自の意識が夢の中での行動を支配します。(途中から敦子とパプリカが会話しているようなシーンがあり、二重人格の人をみているような気分です)
現実世界での敦子は、酷く冷めたような、真面目な仕事人間のように描写されます。
一方でパプリカは、人を魅了するような悪戯っぽさや明るさを持っています。
対照的に見える二人ですが、敦子はパプリカを仕事の一環として割り切って接していますね。
敦子はパプリカの性格に嫉妬しているのかもしれないし、憧れているのかも
しれない。
もしかしたら氷室や小山内が時田に抱く嫉妬心のようなものを描き、それが敦子とパプリカの関係にも言えると暗に示しているということかも知れません。
では私(敦子)の「夢」とは。
「最近私の夢を見ていない…」という敦子のセリフがありましたが、
夢を見ていないというのは、どういう状態なのでしょうか?
そこで、この作品の各所にちりばめられている、登場人物の夢から、どのようなことがいえるでしょうか?
先ほど述べたオッサン達の夢の内容(もしくは島所長に植え付けられた夢で感じた感情)では、「過去」、「トラウマ」「心残り」「理想」「自由」「征服感」
敦子は最終的に夢を見ることになります。その時の要素が、
「過去」「心残り」「理想」といった様々な要素がつまったシーンでした。
時田に対する敦子の恋愛感情はシーン後半の小山内と敦子の会話シーンや敦子の時田に対する態度を見ていれば何となくわかる。
さて、その時に、敦子の夢が犯されている状態と考えたとき、どのような解釈がいいでしょうか?
粉川の最終的な夢の解決は、心残りの解決、トラウマからの脱却でした。パプリカや様々な人物が入り乱れ、粉川自身が変わって事による解決でした。
つまり、夢の中で再現する過去とその夢の続きに対して、他人の干渉により自己が変化し、解決することが「夢が犯されていく」と考えましょう。
他者の干渉により自己が変化するというのは、自分の性格やアイデンティティを他者に踏み込まれ、変化させねばならないので「犯されていく」という過激な表現でもあながち間違っていないでしょう。
とすると、「私(敦子)の夢が犯されている」状態とは。
時田がエレベーター挟まっているシーンの後に、敦子は時田の背中に体を預けた。
それは、他人の干渉を受けたことにより敦子自身が変化し、時田の背中をかりれる状態になりました。
(他者に心を許す、敦子がパプリカに指摘された上から目線の態度が直る)
今までの敦子なら、時田と一緒に転んでも体を預けれるような夢は見れなかったでしょう。
他人の干渉により、自分のパーソナルスペースやアイデンティティを犯され、変化することで、あの夢をみれた、という結末、と考えるならば、
「私の夢が犯されている」というキャッチコピーは中々ポジティブな意味になるかもしれませんね。
と、ここまで書いてきましたが、
このキャッチコピーを考えた人がどんな思いでこの文を書いたのか、わかりませんしね。
夢の中に他人が入るのが怖いと思ったからかもしれないし、
宣伝文句的な意味で、ある種嘘を入れたのかも知れないですしね。
さてまとめですが、
現代社会で働く女性を主人公とし、
そういった女性の中にある少女性、もしくは変身願望の結果がパプリカという存在で、
その願望が具現化して時田との結婚に至ったわけです。
ですがその道程は決して甘いものではなく、
自分を変えること、他者に自分のアイデンティティを犯されて、そして変化していくという、リアリティのある段階を踏ませた、
メッセージ性としては私好みの内容の作品でした。