MLK さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:----
無題
*いつも以上に独断と偏見で書いています
分かりやすく結論から書くと、私はある程度の出来の良さを認めつつも本作が嫌いだ。
「良い」と「好き」は根本的に違う。感想の前に、これだけははっきりさせておく。
私がまどマギを読み解くにあたって大いに参考にしたのが、魂の三分説という考え方だ。
人間の魂を三要素に分ける考え方であり、どれを重視するかによりそれぞれ、主知主義、主意主義、主情主義に分類できる。(後でひっくり返すが、ひとまずこう分類しておく)
その観点から言えば、本作のキャラクター配置は実に分かりやすい。
知性的で感情のないインキュベーターが主知主義、最後に神となることを決意するまどかが主意主義、まどかを助けるためにループを繰り返すほむらが主情主義に分類できる。
覚えにくければ、
インキュベーター…知性
まどか…意思
ほむら…感情
がそれぞれの行動のトリガーだと思って欲しい。
その観点で言えば、知性を暴走させるインキュベーターに心を利用された魔法少女たちのために、一人の少女が人間をやめる決意をする
という実に上手くオチのついた話だ。だからこそ爆発的なヒットを記録し、非オタク層まで取り込む話題作となったのだろう。
しかし、主意主義の作品が好きな私は本作が全く好きではない。
それは、本作が全く主意主義の話になっていないからだ。
何を言っているか分からないかもしれないが、つまりはこういうことだ。
本作のクライマックスの場面、まどかは因果をため込んで手が付けられないほど強くなったワルプルギスの夜を止め、世界の理をひっくり返すために自ら選んで神となる。
一見すると、世界のために少女が自らを差し出す場面なのだが、ここで忘れてはならないのが、そもそも他にまともな解決方法が見つからないということだ。
知性で判断しても、魔法少女になるかもう一度ほむらが望みの薄いループをするぐらいしか選択肢が無いし、感情で判断しても、魔法少女になって助けるか一緒に死ぬぐらいしか選択肢が無い。どう判断しても、まどかが魔法少女になるのが最適解だ。
自分を犠牲にして魔法少女を助けるのが感動的だと言われても、行き着く先は神だ。まどかはもはや心を持たない。システムである。システムのどこに意思があるだろうか。この時点で、主知主義vs主意主義(知性vs決意)の構造は完全に崩れ去り、新しいシステム=知性へと吸収された。
でなければ、この時代の日本でウケるわけはないが。
とにかく、私はこれがたまらなく嫌いだ。
10年代の傾向を見ると、それまであったファンタジーやヒーロー物の二次創作のような無双系やなろう系が発展する一方で、王道のファンタジーやヒーロー物はほとんど流行していない。
既存のジャンルの読み替えや脱構築は10年代の流行であり、まどマギはその代表例といえるだろうが、その中で目立ったのが知性(実力)をもてはやす風潮と意思の軽視だ。
意思はぎりぎりドラマを成り立たせるための副産物に過ぎず、お楽しみはキャラの強さそのものへと回収された。
しかし、あとには何も残らなかった。ここ数年で行われたのは壮大な二次創作展示会であり、キーワードによって何重にも記号化された作品たちは、もはや何を言っているのか分からないところにまで落ちていった。
まどマギが悪いわけでもなければ、作品的に低質なわけでもない。
ただ、やはり何かが抜け落ちている。