fuushin さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
荒唐無稽とは言い切れない、大切にしたいテーマ性を持った作品です。
TV放送版の視聴後に観ました。
本作は、完結編であることが前提にあるので、TV版を先に視聴なさっておくといいと思います。
テーマ性もシンプルにまとめられてハッキリとしているので、分かりやすくて、そして深く楽しめるかなって思います。
他のレビュアーさんの指摘があるように、細かいところでは説明不足、表現不足の感は否めません。
でも、もともと、現代の日本の状況や情勢とは違う設定なので、そこばかりに目を向けると本作のもっている魅力を見失うことになると思います。
本作は、戦前に実際にあった「検閲」という仕組みとその運用を疑似的に再演させることで生じる「権力側にとって都合の良い陰湿で暴力的な支配性」と、「文化の担い手を自負する図書館側の自由と解放を求める暴力的な抵抗運動」の対立を鮮明に描きだしています。
また、図書の持つ価値を、それを生み出す作家や、それを供給する書店と販売員にフォーカスして、それぞれの主体性を浮き彫りにしています。
くわえて、メディア良化法の拡大解釈による運用で弊害をこうむることになるTV局や、需要する側の一般市民のそれぞれの主体性も明確に描きだしています。
そういった背景のもとで、まず一つには、TV版での恋バナがまとまりをみせたということですね。これはTV版で十分に展開されていますから、本作もちゃんと楽しめるお話です。
もう一つは、ベテラン作家が自らの作家性の価値に向き合うプロセスが描かれているということですね。
この作家が、決して傲慢で自己中心主義な人物だとまでは言い切れないのです。
というのも、実は、職業上、また職能上、自らが関わっている文学世界の動向への関心の低さだとか、文化を擁護する権利意識の不勉強さだとか、自分自身のもつ作家性・生産性の尊さへの弱すぎる捉え方だったり、作品を支持する消費者への愛情を持っていないように見えることだったり、ないない尽くしのダメダメぶりが鼻について仕方がないのですが、そんなもろもろへの新しい気づきもまた彼自身の中に少しづつながら芽生えだしてくる姿に、「いつでも遅いことなんて一つもない、できることから一つずつ始めていく。」という尊さを感じるからです。
最終的には、{netabare} 彼は国を捨ててまでも自分の生み出す作品に自らの責任を負うことを決意するわけですから、それは大したものです。
彼は、読者が喜んでくれる作品を書くことにおいて、それが一番自分らしくあることに気づき、ようやく望ましいアイデンティティ(自己同一性)を手にすることができたようですね。きわめて個人的にも見える彼の気づきと喜びは、個人的人権の尊重の発露であり、その価値は、国の最高裁の判断よりも、重かった{/netabare}ということでしょう。
そして、詰まるところ、{netabare}単に、図書という媒体に留まらず、あらゆるメディア、あらゆる媒体、あらゆる言葉(語句や文言)にいたるまで、法というルールでコントロールすることの意味、コントロールされることへの意味を、視聴者に考える機会を作るということ{/netabare}がテーマのようですね。
わが国には、日本ペンクラブ(『国際ペンクラブの日本センター、P(Poet:詩人、Playwright:劇作家)、E(Essayist:随筆家、Editor:編集者)、N(Novelist:小説家)のいずれかに該当する文筆業従事者によって組織され、言論の自由、表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進を目的とするNGO。』をはじめ、多くの文学団体、著作権団体、映像業界団体、表現規制問題に関する団体が存在しています。
団体それぞれがその専門性において、多様な立場性をお持ちになるなかで、憲法第21条の精神を、具体的には、「表現の自由や検閲など」について、どのように捉え、どう行動されるのか。
憲法に明文化されている「権利として表現の自由、検閲を受けない」ことを享受するがわの消費者・受益者としても注視していきたいですね。
本作は、ソフトとハードを織り交ぜた意欲的で良質な作品だと思います。
是非、一度、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
レビューを最後までお読みいただきありがとうございます。
この作品が、みなに愛されますように。