「図書館戦争(TVアニメ動画)」

総合得点
82.0
感想・評価
1983
棚に入れた
11570
ランキング
383
★★★★☆ 3.7 (1983)
物語
3.8
作画
3.7
声優
3.7
音楽
3.5
キャラ
3.7

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

アニメを含む文化の普遍的価値の貴重さが、しっかり伝わってくる良作ですね。

かなり、とんがった設定になっていますね。
いったいどういう時代背景なの?ってところから入るわけなんですが・・。

本作は、恋愛とか、お仕事での人間的成長とか、親子の相剋する関係とか、対立する組織とのドンパチな戦闘(!)とかの多様な要素が絡んで描かれています。

戦闘シーンについて。
{netabare}

私は戦闘描写については、過度のリアリティの追及は不要だと思っています。

図書館の歴史的存在価値、市民的文化的意義を鑑みれば、それは平和と知性と理性の象徴であるわけですから、本作の「図書館の存在を守る」という趣旨に準(なぞら)えば、あえて頭や手足が吹き飛んだり、血肉が飛び散るような戦闘シーンは、必要悪のシーンとして「象徴的に表現されていればそれで済むもの」だと思っています。
いきすぎた流血シーンは、本作の意図する表現にはそぐわないし、いたずらに不快感を強調するだけです。

また、キャラ語りをすれば、本作は、笠原郁(かさはら いく)と堂上篤(どうじょう あつし)との”ひょんな出会い”から始まる恋のストーリーでもあります。しかも、とびっきりの初恋です。
本作が「戦争」とうたってあるのは、一つには「図書館側と良化委員会の対決のありよう」を指していますが、もう一つには「笠原と堂上の恋のバトル」のありようを意味しているとも感じます。

であるなれば、この作品の魅力の一つでもある「恋バナ」を視聴者に届けるには、この微笑ましい二人の頭を吹き飛ばすわけにはいかないでしょう。
望ましい恋の進展の予感を視聴者に十二分に感じてもらうには、行き過ぎた過度な演出や作画は禁物です。「恋バナ」をベースに置いてこそ、この物語を楽しんでいくには一番スムーズに入り込めるんじゃないかなって思います。

恋バナがベースになるのは、次の時系列があるからです。

初版は、メディアワークスのハードカバー版です。(2006年2月~)

漫画の連載は、少女向けの「月間 LaLa」です。(2007年9月~)、作画は弓きいろ氏です。

コミックスは、少女向けの花とゆめ版「全15巻」(2008年4月~)

アニメ化は、LaLa掲載の6か月後(2008年4月~)

ですから、どちらかというと、視聴対象は少女、成人女子がメインになります。あえて成年男子向けに過激にする必然性は・・・まぁ、ありませんね。
{/netabare}

設定の特徴について。
{netabare}

本作の1988年は、表現の自由への認識が大きく変わるターニングポイント。
メディア良化法っていう法律を登場させているんですね。
この法律の第3条に「検閲」行為が認められているようです。

いうなれば、憲法21条の解釈に、国が関与したということですね。
もっと言えば、国権の発動たる国会、つまり国会議員の過半数が「賛成した」ということなんでしょうね。

日本国憲法、第21条
①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
と明文化されています。

21条の第2項にある「検閲」。
これは現代においても『検閲の意義が定義されていないため、制限される「検閲」の主体について争いがある。』というのが実態です。

定義されていないということは、立場が違えば、解釈も運用も変わるっていうことですね。
「あばたもえくぼ」ってくらいなら微笑ましいですが、「検閲」となったらちょっとステージが違ってきますね。

法を執行する側からいえば、「適切に規制する」ってことだし。
これが図書館側からは「適切とは言えない規制」ってことだし。

この差がある以上、本作の「恋愛ストーリー」を紡ぎあう笠原・堂上の人物を理解するためには、この憲法21条、図書館法を理解しておくことは、彼らの立ち位置や使命感、行動の根拠を深めるうえで欠かせない要素になってきますね。
笠原と堂上を観るとき、どの要素に視点を置くか、あるいは関心を持っているかで、楽しみ方や捉え方も違ってくると思います。

シンプルに言えば「図書・本を守りたい。」これに尽きるでしょう。
繰り返しますが、単なる知的財産、私有財産を守るというレベルのお話なのではなくて、思想信条の自由、表現の自由という憲法の根幹にかかわる案件についての立場性を示しているのですね。

これが、ほかのアニメとは全く違う、他に類を見ないシナリオ設定なのですね。
{/netabare}

図書館というのは、人類の英知・価値の集積地です。
{netabare}
これは、法律で規定されています。
図書館法(としょかんほう、昭和25年4月30日法律第118号)です。

目的は、「社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国民の教育と文化の発展に寄与することである。」となっています。

その特色は、「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体が設置する公共図書館と、日本赤十字社又は一般社団法人(公益社団法人を含む)、若しくは一般財団法人(公益財団法人を含む)が設置する私立図書館のみを扱う。(第2条第1項)」となっています。(興味のある方は、ぜひウィキペディアをご参照ください。)

図書は、それを読む人に思索を促し考察を求めます。
作者の思念するアイディアは、仏教の教えにも説かれている「三千世界」に感応するわけですから、およそ人類の感知できる対象物であれば、どんなふうにも図書にすることができるわけです。
ファンタジーもの然り、SFもの然り、ラブコメもの然り、先端科学もの然り、オカルトもの然り・・・。

図書館にあるものは、書籍はもちろんですが、文字に頼らないなら「絵本」「画集や写真集」「CDやDVDなどの音響・映像媒体」なども同じような働きを持っていますね。知性に訴えかけて、思索と考察を促すし、感性でいえば、高貴で馥郁(ふくいく)として感動と感激を与えてくれますね。

これらは、地球の記憶そのものであり、そこに住まいする生物の進化の到達とも言えます。

混沌する今、進化の到達の先端に屹立して、幸福未来を手にするためのさらなる進化が求められています。
46億年にもわたる歴史の実相を学びながら、今日の世界文化のもろもろの課題・問題の姿を明らかにしつつ、さらなる人類普遍の幸福価値を学び続け、問い続ける行為が大切になるでしょう。
このことは、私たち人類が獲得すべき「共生世界を創出していくための必須プロセス」のように思えます。

人類が文字を媒体にした文化を獲得してから、たかだか1万年ほどです。

顧みれば、世界中で多くの戦争があり、数え切れないほどの名もなき人々が巻き込まれ、授かった命をみすみす落としてきた歴史があります。
そうした様々な失敗を繰り返しながらも、少しずつでも前進していくためにはどうしたらよいのか。
そういうことも、こうしたアニメ作品から伝わっていくといいなって思います。

そのヒントとして、一つの考え方を示したのが本作であったろうと思います。
{/netabare}

笠原と堂上は、恋する者同士であること以上に、図書館員の使命の体現者として、また、人類の文化の守護者として、多くを語り、行動する強い印象を与えてくれました。

現行法以前、”大日本帝国憲法”や”内務省の検閲”の歴史を学ぶほどに、お世話になっている図書館や、本屋さんや、作家さんを見る目が少し変わったように感じています。それは意外な発見でした。



以下は、本作のレビューではなく、私の雑感です。無理にお読みいただく必要はありません。

{netabare}
本作の「検閲」とは直接関係はありませんが、国(公権力)が国民の知性や教育に対してどういうことができるのかということを実例をあげて説明してみましょう。

「ゆとり教育」。ご存知の方もお見えだと思います。

教育の世界には「学習指導要領」というものがあって、学校教育はこれに基づいて運営されています。
ちょっと前のお話になりますが、この要領が改定されて、小中学校は2002年度、高等学校は2003年度から「ゆとり教育」というものが施行されました。

「ゆとり教育」の枠組みと内容は、具体的には、次の5点です。

①学習内容を3割削減(小中学校)。削減された分は高校に移行。
②授業時数を削減。
③完全学校週5日制の実施。
④「総合的な学習の時間」の新設。
⑤「絶対評価」の導入。
です。

対象となる世代の方は、
2002年度から2007年度までに小学校1年生~中学3年生までの方。
2008年度に小学校1年生~高校3年生までの方。
2009年度~2011年度に高校1年生、2年生、3年生だった方。
2012年度に高校2年生、3年生だった方。
2013年度に高校3年生だった方。

この期間に入る方は、①~⑤の学習の影響を受けていらっしゃいます。

再び、要領が変更になり、2009年度以降は、「移行期」に入ります。
この期間に入る方は、「脱ゆとり教育」の対象となって、「2002年以前の学習内容の水準に”徐々に”戻っていく」のです。

対象となる方は、
2009年度は、小学1年生~中学3年までの方。
2010年度は、小学1年生~中学3年までの方。
2011年度は、中学1年生、2年生、3年生の方。
2012年度は、高校1年生の方。
2013年度は、高校2年生の方。
2014年度は。高校3年生の方。

以下の方は、すでに2002年度以前の水準に戻っています。
2011年度に、小学1年生~6年生までの方。
2012年度に、小学1年生~中学3年生までの方。
2013年度に、小学1年生~高校1年生までの方。
2014年度に、小学1年生~高校2年生までの方。
2015年度以降は、小学1年生~高校3年生までの方。

この期間(2002年~2014年。)に入る方は、学習の水準が、その前後の方と比較すると「違う」のですね。
その「違い」の内容や印象は、各都道府県、各市町村の教育委員会などの判断で、若干の違いとなって表れていると思われます。
例えば、円周率を「3.14」と学んだか「3」で学んだかといったことですね。

さて、ながながと資料をお示ししました。きっと目がシパシパしたでしょうね。

この資料のポイントは、「3.14」だったかどうかではなく、「国の政策によって、知識の量、質、水準は変えることができる。」ということですね。

教育は国家づくりの土台と言われますが、制度・政策によって土台そのものに手を加えられることになれば、当然のように、いえ、知らないうちに「ゆとり教育世代」と「そうではない世代」がいっちょうあがりってな感じで出来上がってしまっていた。そういう事実を、すでにもう経験していたわけです。

私は、この事実について是非を問いません。
が、ポイントは「国は、人を作れる権力をもっている」ということです。

言い換えれば、教育の内容をかえることによって、「かくあるべしという望ましい人物像を作りたいと考える立場の人たちによって、そうなるように子どもたちを教化・育成できる」と言うことですね。

戦前の教育は、まさにそうでした。
その反省に立ち、社会教育法ができ、図書館法ができています。
そのおおもとが、憲法21条なのですね。
終わります。
{/netabare}

長文をお読みいただきありがとうございます。
この作品がみなに愛されますように。

投稿 : 2018/04/03
閲覧 : 354
サンキュー:

20

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