norimeru さんの感想・評価
4.5
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
怪作度、ファビュラスマックス↑ くるくる輪れ!!◎ ピングドラム! ◎
レビュー前に一言。
「ノルニル」と「少年よ我に帰れ 」、名曲と思います。
加えてトリプルHのカバー曲。
是非、フルバージョンでお聞きください。
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さて、よく考えてもわからないこの作品。
比喩、暗喩に満ちあふれ、しかも伏線だらけ。
自分なりに解釈してみるのだけれど、それでも消化しきれません。
きっと、ちゃんともう1周すればもっと見えて来るものもあるのだろうけれど・・・。
ちょいと、いつもと違うレビューになってしまいました。
そもそも、愛ってなんでしょう。
愛にもいろいろあるはず。
異性への愛、子供への愛、自然への愛・・・・・。
愛には対価が必要?。
否、対価がなくても捧げるのが愛。
愛には評価が必要?
否、評価も欲しないのが愛。
ガラス片のように消え去った冠葉、燃え尽きてしまった晶馬。
ザネリを助けるために川へ入って出てこなかったカムパネルラ。
愛は、わが身を投げ出してまで、人のために何かをすること?
もともと冠葉は、真砂子とマリオの兄弟。
檻の中、冠葉が晶馬にリンゴは与えたことで、冠葉の心は晶馬へ。
そのリンゴは、晶馬からこどもブロイラーで消されかけていた陽毬へ。
リンゴを共有し、晶馬(+冠葉)の愛が陽毬へ。
「愛」による結びつきが生まれた3人。
結局、陽毬は冠葉にリンゴ(赤い球状のもの)を返します。
「私が彼(昌馬)から奪ったものをお返しします」と言って。
冠葉→昌馬→陽毬→冠葉へとつながる「愛」の輪。
「リンゴを渡す」ことで象徴されているのは、愛の行為。
ゆりを救うために全身を焼かれた桃果。
その桃果から生じたペンギン帽。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。ピングドラムを手に入れるのだ」。
誰にも愛を捧げられないお前たち、愛のために何か行動を起こすのだ、と。
トラックにしがみつき、また、工事現場のゴンドラで手を傷めた冠葉。
マリオのためふぐを食べつくす真砂子。
「愛のために行動し、愛の輪廻を完成させる」、それこそがピングドラム?。
「愛」の対語はなんでしょう、国語の問題なら「憎」。
でも、感覚的には、マザー・テレサの言うように「無関心」。
私たちが住むこの世界、隣に座る人の名前を知らなくても生きていける。
前後を歩く人の顔が、どんな顔でもかまわない。
そう、自分の知らない人はピクトグラムで十分。
この作品のピクトグラムは、無関心の象徴。
冠葉や昌馬の、陽毬や苹果への愛は深いもの。
でも、彼らだって他人に同じ愛を注げるかと言えばそうじゃない。
他人だって別の人に深い無償の愛を持っているはず。
たくさんのピングドラムが歯車のように絡まり合って、この世界が成り立っている。
深い愛を持たない(持てない)人だっている。
人とのつながりを持たない、持てない、もしくは期せずしてつながりを断たれたり。
「こどもブロイラー」にいるのは、追い詰められた子供たち。
心を閉ざしてしまうことは、消滅する(=透明な存在になる)こと。
とあるコミュニティー、お互いの中でまとまっていればそれはとても幸せ。
でも、社会の歯車の中で、組み合わせがうまくいかなければ大変。
はじかれるのをよしとしなければ、社会にひずみができてしまう。
愛のための行動は自由だけど、それが誰かを不幸にすることがあるかもしれない。
なぜ、オ○ム?。
彼らのしたことは、絶対に許されないし、認められない。
でもきっと、初めからそれをするために集まったわけではないはず。
どこで歯車が狂ったんでしょう?、運命が変わったんでしょう?。
「運命の果実を一緒に食べよう」
どこかで誰かがこの呪文を唱えるべきだった。
運命の乗り換えが起こったあと、みんなが幸せなのかはわからないけれど。
禍福はあざなえる縄のごとし。
運命は表裏一体。
歯車は同じ向きばかりに回るわけではないのです。
冠葉も昌馬もいなくなった世界。
陽毬と苹果が同じ台所に立つ世界。
あの人形にはさまった、一片の紙切れ。
大スキだよ!!
お兄ちゃんより
これだけで、十分な結末です。