退会済のユーザー さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
理不尽な生命エネルギーが生み出す物語
昔,手塚の『火の鳥』の原作を読んでいてどうしても理解できなかったのは,火の鳥による“罰”システムの理不尽さだった。盗賊団の頭として多くの人を殺しておきながら,数百年を生きる運命を与えられた『鳳凰編』の我王に対し,鳥人間を大量虐殺したからといって,未来永劫孤独に成人⇔子どもを生き続けることを強いられた『宇宙編』の牧村。こりゃ理不尽にもほどがある依怙贔屓じゃないか,と(少し前にネットでも火の鳥の気まぐれさ話題になったような記憶がある)。
しかし今考えると,実はその理不尽さこそが火の鳥の本質なのではないか。
どうやら火の鳥は生命エネルギーの塊のような存在である。生命は合理性に基づく活動などしない。いくら個々人が己の“理性”を主張したところで,大局で見れば理不尽な振る舞いをするのが生命,とりわけ人間なのだ(そもそも『火の鳥』シリーズで描かれる人間の歴史がそういうものである)。青年期に大戦を経験し,戦時中から戦後の理不尽な価値観の変化を体験した手塚には,不合理こそが生命の本質として見えていたといっても過言ではないだろう。
神や超自然的存在が合理的な理(logos)によって罰を与えるというのは,おそらく近代化の過程で生まれた幻想である。仮にも人が神の子ならば,こうまで不合理な人の親が合理的なはずがない。この子にして,この親あり。生命を体現する,いや,生命そのものである火の鳥は,理不尽であるからこそ理に適っている。僕らは時として,そんな火の鳥の思惑をまったく予測できない。しかしだからこそ,物語に躍動感と変化が生まれる。牧村を愛した女性が多肉植物にされるという,驚くべき結末に出会うことができる。理不尽なエネルギーこそが,多彩な物語を生み出す原動力なのだ。