fuushin さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
未完成なまま、芽吹いてくる兆しを待ちわびる、魂のありかを探す物語。
初めに、「新約聖書。ヨハネによる福音書」(冒頭部分・口語訳)をご紹介しましょう。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった・・・。」
*私は、「言」を「ことば」と呼んでいます。
*命(いのち)は、意(い)、納(の)、血(ち、または智)。
つまり、ことばとは、自分の血の中に納めてある意志を表に表現する、という意味と働きがあるということですね。
さらに言えば、自分のDNAには、母と父から得た遺伝子、つまりご先祖様から脈々と引き継がれてきた集合知が記録されていて、いわば知恵のもとみたいなものなので、それを修練によって表現する能力を高めることができれば、ことばの使い方によっては自分を救い、他者を活かすことにつながるという意味を暗示しています。
一方で、やみが、光を打ち負かすときがあります。それは、命が穢された時であり、言葉によって人の心(こころ・しん、転じて、神性)が汚された時です。
成瀬順の光は、闇によって閉ざされてしまいました。
{netabare}
「闇」とは、「門」を閉じて「音」が入らない状態です。
「音」の意味は、
歌(音楽・音曲など)であり、
声(本音・弱音など)であり、
話(音に聞くなど)であり、
便り(音沙汰・音信など)であり、
言葉(一音節など)でもあります。
たくさんありますね。
また、音の語源は、
「言(げん)」から派生する言葉です。
「言」は「立と日」に分解されます。
「立」は「取っ手のある刃物の象形」を表わします。
「日」は「口の中に点が入っている」ことを示します。
(語源由来辞典より引用)
「立」は「辛」が元の字体です。
『辛は、入れ墨に用いる”針”』のことです。
『その”針”を「口」という器にそえて神に誓約を行ない、もし誓(ちかい)が真実でなく信じられないものの場合は、神罰を受けるという。』
そういう意味が「言」にあります。
*口は「サイ」と読むそうです。
(一般社団法人 日本音響学会より引用)
「言」という文字には、神様に誓いを立てること、嘘をついたら神様からバツが下る・・・なかなか深い意味があるんですね。たった一つの漢字にも、古代中国の文化を作ってきた人たちの智慧が脈々と伝えられてきているのですね。
「言」はゲン、「元・源・現」の響きに置き換えることができます。
これは、日本文化特有の「言霊(ことたま)」の文化ですね。
落語や、Jポップの歌詞、詩文や短歌などで、「同音異字」として使用される表現方法の一つですね。
「言」の「口」にあたる文字は「日=ひ」。太陽のことですね。あまねく世界を照らし恵みを与える神なるはたらきです。
「ひ=火」でもあり、あたたかくて、明るくて、軽くなって天上に昇る働き、生産する働きです。
「ひ=霊」でもあり、ムスヒ(産霊)でもあります。これも生産を表わしています。人と人のムスビ(結び)にも繋がります。
「日」は「か」とも読みます。(ふつか、みっか、よっかなど)
「日・か」は、同音異字の「可・か」に置き換えることができます。
「可」は「よいもの、美的なもの、理想的なもの、素敵なもの」という意味があります。
このように、「言」の一部である「日」には「目には見えないものだけど、あたたくて、生み出す力の根源であって、素敵なもの」の意味を内々に含んでいます。
さて、「言」は、言葉によるコミュニケーションが、人間関係の信頼の担保する約束事、大元であり、初発であり、源泉であるということを表わしていましたね。
加えて、約束事とは、人のこころの寄る辺であり、目には見えない心的な働きですね。いうなれば目には見えない霊的な世界、微かで玄妙なる世界の上に立っているのが約束事ということですね。
また、信頼が担保されること(嘘をつかないことや、誤解が生じないように言葉を尽くして分かってもらうようにすること)で、安心と安寧が作られ、良い関係性が作られるということ、穏やかな生活が成り立っていくということですね。
ですから、「言・ことば」とは、大事にして、大切にして、両の手で優しく包んで扱う必要があるのですね。もしそうしなければ、人間関係がたやすく壊れてしまうのですね。
「光が闇に包まれる」ということは、人の心中の「音を失い、声を失い、暗やみにおとされ、他者を信じられなくなり、自分自身の未来でさえも見通せないでいる」ということ。
それは「八方塞がり」で「首が回らない」状態でもあるということなのでしょうね。
成瀬順の心は、長いあいだ、深い闇のなかで漂っていたのですね。
{/netabare}
心が叫びたがっている・・・。それは光を求めている状態。
言こそ、言葉であり、対話であり、コミュニケーションであるということ。
命こそ、ことばを活かす源であり、それは知恵なんだということ。
光こそ、ムスビであり、つながりであり、はたらきであるということ。
それを、しみじみと感じ取れる作品でした。
この作品のように、こころが叫ぶようなすてきな感動を、大事にしたいなと感じました。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
この作品が、みなに愛されますように。