fuushin さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
対価代償を求めえぬ、見守りに徹する愛のかたち
公式ホームページより、岡田氏の初めての監督作品ということで関心を持ちましたので鑑賞してきました。
『ここさけ』は観ておりましたので、そこで見られた登場人物の感性や行動意識が、今作ではどのように表現されているのか楽しみでした。
ここからネタバレになるかもしれません。
{netabare}
●紡がれる物語。
{netabare}
舞台は、ファンタジー感がいっぱい詰まった美しい異世界です。
スクリーンから垣間見えるシーンは、微部・細部に至るまでしっかりと構築・表現されています。
感情的にも安心して導入部から自然に入り込める感じです。
主人公の住んでいる世界は、神秘的というより、どちらかというと、情緒感の溢れる女性的なたおやかさに包まれるような感じです。
とっても穏やかで、緩やかで、それでいて安心の気にゆたかに包まれているような世界です。
時間を長く過ごす種族の世界というのは、存外こういうものなのだろうと納得できるような流れがありやかに描かれています。
台詞は少なめで、ちょっと小声なので、それゆえに一言一言を聞き洩らさないように傾聴しました。それも説明臭いようなシーンはなかったです。
とてもナチュラルで、いよいよ物語に吸い込まれていく布石になっています。
それにしても、造形デザインがよく練り込まれています。曲線や色彩、織り上げられた布の動きなどがとっても綺麗で、一つ一つの質感が清らかさにおいて際立って優れています。きっと作画に力があるからでしょう。それがこころよく感性に訴えかけてくるのです。
冒頭の10分間はとても重要なファクターが重ねられている感じがします。ぜひ注意深く観ていただきたく思います。
そのあとの物語はテンポよく回ります。ほどよくリアルな世界観も表現されています。特に難しく考えるところはなかったように思います。
特徴的なのは、マキアや、周りの人たちがいい人ばかりなのです。
あまりにも優しい人たちなものですから、愛の豊かさを感じます。それだけに、マキアの母性本能から生じるいろんな感情が、ときに何の遠慮もなくストンと胸の深い部分に落ちてきてしまいます。それが応えます。震えます。
伏線、とまでは言えないのかもしれませんが、物語の前半部でマキアがみせる言葉や仕草によって、観ている人の感受性や母性のような感情がゆっくりとじんわりと絆され感化されていくので、物語の後半部に移っていくと、とりわけ情愛の深い人は胸の奥底がずしんと楔(くさび)を打ちこまれることになるかもしれません。
それがはっきりと分かるのは、最後の最後です。走馬燈どころではない、ナイアガラの滝のように、怒涛の打ち込みです。涙腺の緩くなっていた私は、完全に崩壊してしまいました。
{/netabare}
●見送る物語。
{netabare}
「逆縁」が初めから設定されてある物語は、とんでもなく儚いし、あまりにも切なく思えます。
時間の流れが違うということは、愛する者の命の移ろいを突き付けられるということ。
それを目の当たりにすることで、知ること、分かることの「残酷さ」があります。
でも、気を付けないと気付かないまま見落としてしまうのですが、「逆縁」だからとか「残酷」だからとか、そういうところからくる儚さや淋しさで流される作品ではないし、だからといって愛のかたちのひとつとして「見守る」ってことを理解できたんだろうか?とやるせない気持ちにもなっていました。(はっきりいって浅い人生しか送っていないような・・。)
避けることのできない出会いに交わってしまったとき、それでも定められた運命を受け入れるためには、どんな智慧を持ち合わせていれば「幸せな気持ちを持ち続けられる」のでしょうか。
ともに同じ時間を過ごし、暮らしを彩り、傍らを通り過ぎていった人たちを、どんなふうに受け止めればいいのでしょうか。
愛する人の語られた言葉の一つ一つを、どんなふうに思い留めればいいのでしょうか。
愛する人の感情や体温や表情を、どんなふうに心に刻めばいいのでしょうか。
愛する人のいた風景と光景を、どんなふうに胸に納めればいいのでしょうか。
そうして、どんな気持ちで見送ればいいのでしょうか。
今、巷では「〇〇ロス」がしばしば話題になっていますが、この作品は否応なくそこに目を向けることになります。
きっと、誰でもが向き合わなければならない、人生最大のストレスになるはずの決定的な要素なのです。
よくよく考えれば、ひとりぼっちが、ひとりぼっちに関わるということは、実は、私たち自身のことでもあるのですね。
私たちは、何も持たずにひとりぼっちで生まれ落ちてきました。
やがて、何も手に持たずにひとりぼっちで、ふたたび別れゆくのです。
それは必ず訪れることはわかっているはずだし、避けられない道理、決まり切った真理なのです。
この作品のマキアやレイリアらが常に心に感じていることは、物語のなかだけに収まることではなくて、私たちの心にとってみても、向き合う定めにある永遠の普遍的な真実なのです。
恐ろしい力を持った「喪失感」に、心が殺されないように、壊されないようにしなければなりません。自分自身が幸せでいられるために、そのためのヒントをこの作品から、感じ取りました。
{/netabare}
●気になったこと、ちょっと分かったこと。
{netabare}
物語の終盤で、マキアとレイリアがドラゴンに乗って故郷に向かって飛び立つシーンがありました。
マキアがエリアルと過ごした場所。レイリアがソドメルに会いたがった場所。そこから離れて、つまり、子どもたちとの離別が表わされるシーンです。
2人の表情、言葉のなかに、先立つだろう?子どもへの愛惜はあっても哀惜は含まれていなかったような気がしました。
愛惜は、母としての感情として理解できました。子どもを愛しく大切に思う気持ちです。強く生きていってほしいと願う気持ちです。
哀惜は、人の死を悼む気持ち(転じて死を迎えるだろう人への悲しみの気持ち)です。子どもたちは先に死んでいくことが分かっているのに、その感情が表現されていなかったような気がするのです。
そこに引っかかったのです。
ラシーヌの言っていた「愛を知れば独りぼっちになる」ということも気になります。
私は「さよ朝」のたくさんのレビューに目を通しながら、自分の咀嚼力のなさ加減に悶々としていたのですが、先日ちょっとした機会を得て少しだけ気づくことがありました。
むしろ、若い世代の方には身近なのでしょうが、坂本九さんの「心の瞳」という曲との出会いでした。そこでやっと少し分かりました。愛を渡すこと、送ることということが。
ラシーヌが話していた独りぼっちというのは、愛した人への執着心なのだと。あまりにも美しいその追憶に、あまりにも切ないその郷愁に、あまりにも楽しいその思い出に、自分自身の心を縛ってしまうことなんだと。
それはラシーヌの言う一つの真理ですが、ラシーヌの心理でもあります。
リーダーとして、マキアに同じ思いをしてほしくないという示唆であり、愛の形のひとつだったのでしょう。
「心の瞳」は坂本九さんが亡くなる直前に吹き込んだ最後の歌です。(坂本九さんは歌手です。「上を向いて歩こう(スキヤキソング)で有名ですね。 1985年8月12日、日本航空123便墜落事故でお亡くなりになったのです。群馬県多野郡上野村高天原山の山中(御巣鷹の尾根)に墜落し、520人の方がお亡くなりになりました。)
若い世代の方は学校で合唱曲として触れているみたいですが、その合唱曲を作られた方(学校の先生でした)は、たまたまこの曲をFMで聴いていたそうです。(この曲は、電波に乗って流れたのは2回しかなかったそうです。)当時なかなか歌ってくれない生徒さんがいらっしゃって悩んでいたところ、この曲なら歌えるかもって思って作られたそうです。
学校という場所は何かにつけ心が揺さぶられる場所です。処世術という智慧を身につける前の純粋無垢な感性をもつ生徒の集合地です。やがて迎える卒業というターニングポイントは、喜怒哀楽の心をそこに残さず、次のステージに向かう大切なタイミングです。「心の瞳」は卒業ソングとして王道にあり、送り出す人、送り出される人の関係性を、温かく、軽やかに、優しい気持ちにさせてくれる名曲として知られています。
それを聴いて、そしてマキアの心情に少しだけ近づけたような気がしました。彼女もまた、自分のいるべき場所、向かうべき場所があり、人間の世界から卒業していくのは自然なことなのだと理解しました。エリアルは結婚し子どももいましたからマキアも育ての母としての責任を果たしたという理解を私はしたのです。
でも、レイリアについては、違和感を持ちました。ソドメルに会いたいと強い執着を持っていたレイリアでしたが、マキアの誘いにのってソドメルと別れることを選んだのです。レイリアは娘とともに暮らせない苛立ちを実感していたから故郷に戻ることを選んだのでしょうか。それとも別の理由があったのでしょうか。私はよくわからなくて、どうしても唐突な別れのような印象をもってしまいました。(どなたか教えてください~。)
マキアとエリアルとの交流の中で生み出された喜怒哀楽のエナジーは、彼の死後、マキアの記憶のなかに別のエナジーに姿を変えて、生き続けていくんだろうなって思いました。彼とのエピソードは美しい文様と煌く彩になって機織られることになり、マキアを慰め、幸せに誘うのかもしれません。
{/netabare}
マキアの生きざまは、私たちの生き方にとても近しい。
私も「一瞬の今を1000秒に生きよう」と思います。確かに生きた証としての文様と彩を機に織り込んで自分なりの布を作っていこうと思います。
岡田氏の意図の糸の端っこを少しは掴めたのかなぁ?
{/netabare}
長文をお読みいただきありがとうございました。
この作品が皆に愛されますように。