まにわに さんの感想・評価
3.5
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
白山羊と黒山羊
{netabare}感情がないとか道具だとかで、身構えて見てしまうところがある。
必然的にサブまたはゲストキャラに感情移入することになるが、それをどこまで主人公に投影していいものやら。
・手紙の出し手の述懐。
・代筆された手紙。
・受け手の受け止め方。
・これらをアニメでどう表すか。
これらがすべてが同じであるとか、筋が通っているという見方をしてしまうが、必ずしもそうではない。
そのうえヴァイオレットが代筆することで必ず渋滞が起こる。
この白山羊と黒山羊があちこちで手紙を食い合って、尚且つ…なところをどう読み解くか。{/netabare}
4話:
{netabare}アイリスの手紙の内容が嘘か本当か、どう受け取られたか、ヴァイオレットには判断がつかないのがミソの話。
水溜りでアイリスの心の成長を表し、その後の汽車でのやり取りが粋。
過去を紐解いて、愛を知っていく物語として見ているが、
アイリスの生まれて両親に感謝するまでと、ヴァイオレットの名前を貰ってからの日々。住む世界が違ったのを考えると、かなり難航しそうに思えるが、
アイリスの手紙が本当と判断できるような境遇が、ヴァイオレットが自動手記人形になるまでになかったとは言い切れないので、少しは希望が持てるのかなといったところ。{/netabare}
9話:
{netabare}どの話でも、誰が出し手でどんな手紙かが気になるが、今話は、ギルベルトが出し手で、名前が手紙ということになる。
その名を手紙として、自らを代筆するかのような話。
出し手としては願いと共に贖罪もあるのだろう。そっちのほうはホッジンズが引き継いで、ヴァイオレットが自動手記人形になってからが罪滅ぼしで筋が通るが、ギルベルトにとっては自動手記人形になるまでを引き合いに出す必要があると思うのだが。
既に死んでるからそこはもう触れないのだろうか?{/netabare}
10話:
{netabare}人形に話しかけても、返事は自分で決めて答えるように、どうして手紙を書くのか問うても、守秘義務で人形が答えてくれないので、自分で答えを考えて自分で迷いに落ち込んでいくことになる。
不安な予感から、人形の誘導、子供目線で話を進め、子供にあそこまで言わせるのは手紙というのも罪深い。
ヴァイオレットの涙は、少佐に会えないことと子供の境遇を重ねたとして、本社に帰ってからなのに意味があるとすると、親身になってくれる人の前で流す涙と、アンが母親からの手紙で涙するのと共通している。{/netabare}
終わり3話:
{netabare}まず、わかるところから。
自身を手紙として、どこかにいる(心の中でもいい)ギルベルトに想いは届いたという終わり方。
12話は、誰にも手紙を書いていないので、ヴァイオレットの話になること。
わからなかったのが、誰も死なせたくないがどこから出てきたのかということ。
いろいろ考えた結果、
どんな人の想いも生きた証として伝える、代筆屋としての覚悟からきているという解釈に至った。11話時点ではそう解釈できないが、11話だけで解釈しようとしてそう考えた。{/netabare}
まとめ:
{netabare}12話で特に目立った常人離れの身体能力と特殊環境で共感しろというのが無理な話、と思ってしまったが…今の時代、銃でなくても車や何やでひょっとしたことから人を殺せてしまうので、そこで考えない方向で片付けてしまうのは、想像力の欠如か責任の放棄なのかもしれないと思い直した。
なぜ人を殺してはいけないか説明するのに、ここまでの設定をしなければならないのかと思うと何だが、今時の風潮というか、そういう昨今の世の中なのだろう。
ヴァイオレットについては、ここまでできればというところで、本編でまとまりがついたと思う。
ギルベルトについては、「瞳が美しいから」から「愛してる」まで、中間が抜けていると思う。{/netabare}